『冬を惜しむ』

ひなまつりの翌日、戻り寒波で雪が降った。京都の三千院が雪で真っ白に覆われたのをニュースで見た。なごり雪だな。ああ、冬も終わってしまうのだと嘆息した。

日本には四季があると言うが、季節と季節のはざまや梅雨も数えると、その倍も季節があるように思える。今の時期もそうである。三月から五月は春と分けられてはいるが、このように雪も降り、大阪でないような寒さのここK市では、まだまだストーブが必要だ。北の地では更に冬の色が濃いことだろう。

かと思えば天気予報では桜の開花予想などを伝え、今年も早めで今月末には西日本のほとんどで開花するらしい。たしかに弥生は春というイメージが強いが、冬の余韻を楽しみつつ春を迎えてはどうか。春だ春だと春にばかり愛想良くしては、冬が可哀そうだ。冬を見送りつつ春を迎えるためにも、この時期にピッタリの呼び名を誰か考案し、定着させて欲しいものだ。

どの季節が好ましいかということは年齢とともに変化した。子どもの頃は夏、思春期には秋、大人になってまた夏が好きになり現在は冬が一番好きである。だから春の声をきく頃になると、ついつい冬を惜しんでしまう。なぜ冬が好きなのか、その理由を考えてみた。

私はコートが好きである。丈を問わずコートは何でも好きだが、とりわけロングコートが好きだ。スプリングコートなどと呼ばれるものもあるが、コートはやっぱり、どっしりと重量のある冬物にかぎる。それが着用できる季節は、わくわくする。

次に、冬は日が短く夜が長いからだ。現在の私は超夜型人間であるから、すぐに日が暮れて夜が長い冬場は、何時間か得をしたようで嬉しい。夏はすぐに夜が明け、それから眠ってもじきに陽は高く暑くなり、おちおち眠ってもいられない。しかも日が暮れるのも遅いから、読み書きに適した時間帯が短くて困る。

三つめには、外界が静かであることを挙げたい。人々は家に籠もり、それぞれの楽しみ方で過ごす。窓も開け放たないから互いの騒音も洩れない。外を歩く人々も背を丸めて小声で話す。雪でも降ろうものなら静寂は完全なものとなり、心地よさは倍増する。

食べ物の楽しみもある。冬といえば鍋である。私は無類のネギ好き人間で、たっぷりのネギを入れてさまざまな鍋を楽しむ。この冬は下仁田ネギを大量に送ってもらい、心ゆくまでトロトロとした美味しいネギを堪能した。満足。満足。

温かい飲み物が美味しいのも冬である。一年を通じて温かいものしか飲まないが、その旨さがきわだつのが冬なのだ。コーヒー、カフェオレ、紅茶、ココア、日本茶、ウーロン茶、ハーブティーに至るまで、すべてホットが冴える季節だ。寒いからこそ温かい飲みものが美味しい。

そのほか自然界では何もかもが眠っている冬の間、街なかにむしろ風情がある。車から見る木々のイルミネーションや、曇ったガラスの向こうの店内の暖かな灯りなど、心なごむものが目を楽しませる。寒いからこそ暖かいものが目にとまる。

出かける日にはコートを着て寒風を肩で切り、静寂と暗闇のなかで温かいものを飲み食いし、ゴソゴソ読み書きしたりボーッと考えごとをしたりするのは、寒さも何のその至福のときである。けれども、これは寒さといっても、たかが関西の寒さだから言えることだ。極寒の北の地の人びとにすれば、阿保らしい戯れ言にちがいない。しかしながら温暖な土地なりの冬を愛する者として、私だけでもそっと惜しんでやりたい。

ああ、今日はもう啓蟄、地中から虫が這いだしてくる日になってしまった。冬の後姿が小さくなってゆく……。
2003年3月
前のひとり言 次のひとり言

ひとり言 INDEXへ