『幸福堂と旧友“D”』

NO.11の「幸福堂のプリン」を読んだ旧友「D」が粋な計らいをしてくれた。

「幸福堂の調査終わりました」というメールが届いたのは先日のことだった。思わずニヤリとした。「あいつ……」本文を読めば案の定、幸福堂を訪ねてみたという。元の御旅筋で店は元気に営業を続けていた。(皆さんもよろこんでください)しかし残念ながらプリンは震災前からすでに製造されていなかったという。(皆さんガッカリして下さい)少々残念、嬉しいような悲しいような。でもやっぱり嬉しい。幸福堂は健在だった。それだけで充分喜ばしい。

Dというニックネームのその旧友とは数々の思い出がある。ともに中高一貫の窮屈な学校へ入れられた身で、中学の時に親しくなった。面白がって酒を呑んでみたりと少々の悪さも一緒にした仲だ。小心で根がマジメな私と違い、Dは大胆かつ気まぐれな猫のようだった。三時間目あたりからフラリと来ては机に伏せて眠るだけ眠り、またいつのまにかいなくなっていたりした。自由気ままに学校とつき合っていた。

Dの皮カバンはペッタンコで、中には「ガロ」とか「COM」しか入っておらず、端にはドラムスティックが挿してあった。冬場はスケート靴を大事そうに持ち歩いた。淋しがり屋のDは常に誰かと居るかグループに紛れ込んでいたが、誰も違和感を感じない。誰もが弁当を差し出し世話をやいた。試験のときは後ろから背中をつつく。それを合図に私は答案用紙を持ち上げDが見やすい態勢をとった。学年でDのことを知らないものは一人もいない。誰にでも甘える憎めない奴で、その甘え方においては天賦の才があった。

忘れられない思い出がある。Dも私も動物が好きで、捨て猫や犬によく関わった。うちの犬が野良犬と間違われ、市職員に連れ去られて畜犬抑留所と呼ばれる所へ引き取りに行ったことがあった。そこにいた処分を待つばかりの哀れな犬たちに心が痛み、その話を私がした。Dを含む数人と、せめて何かしてやれることはないかと思案した。突然ひらめき私が言った。
「K市場の肉屋のコロッケがおいしいで。アレ持っていってやろか」
「それがいい」

Dが賛成し、皆も頷いた。あり金全部を出しあいコロッケを百個買うことにした。肉屋のおばさんは驚いたが、額に汗して快く百個のコロッケを揚げてくれた。新聞紙で包まれたアツアツのコロッケを抱え、余命数日の犬たちの所を訪れた。係員の人に手渡し、全員にゆきわたるだろうかと心配しつつ制服姿の私たちは帰途についた。皆、頬を紅潮させていた。Dは覚えているだろうか。

十年前、輪番で同窓会の幹事が回ってきた。電話嫌いの私が、やむなくあちこち電話をしDも誘った。「この世の中にそんなもんがあること自体おかしなことだ」とうそぶいた。Dめ。ところが昨夏、どういう風の吹き回しか今度はDから同窓会の勧誘の電話があった。しかも、温泉に浸かり一泊するという。「んなものぁ行けるかよ」とやり返した。実は体調がすぐれなかった。ポール・マッカートニーを聞きにいくもんねとついでに自慢したら、癪なことに武道館に行ったもんねとやり返された。Dめ。

「調査終わりました」のメールの三日後、Dから宅配便が届いた。ニヤリとした。「あいつ……」やっぱり幸福堂の菓子折が出てきた。どうやら私は年とともに涙腺がゆるくなっているようだ。

Dとは近々会って飲む約束をした。実に三十二年ぶりの再会である。
幸福堂の和菓子

2003年2月
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