『御身も女 吾も女』  ―吉屋信子と門馬千代の愛―

発刊時より気になっていた本がある。買って読んでみれば、期待を裏切らない内容だった。

渡辺淳一氏著「キッスキッスキッス」という本の帯には、「明治、大正、昭和の文豪や才人たちが綴った熱情あふれるラブレター」という文句がある。本の題名は、島村抱月から松井須磨子へ宛てた手紙のなかの、「まあちゃんへキッス キッス」という言葉からとったもののようだ。十七組の恋人たちの、そして著者の二つの恋愛における恋文が公表されている。身を焦がすようなそれらの恋愛のうち、特に注目したのは吉屋信子と門馬千代の間に交わされた愛と、その恋文である。以下本文を抜粋、要約しながら、熱愛を紹介したい。

吉屋信子は明治二十九年(1896)新潟で生まれた。父は長州萩藩の士族の出で、信子が生まれた頃は新潟県警のの警務課長をしていた。信子は男子ばかり六人にはさまれた、ただ一人の女の子であった。男尊女卑が骨の髄まで浸みた古い家風に馴染めず、威張りちらすだけの男たちから離れ、孤立感を深める。女の忍耐と服従の大切さを説いた本を読まされて育つが、八歳のときに書いた作文を担任教師に褒められて以来、文学で表現することに興味を抱く。二十歳のとき『少女画報』に送った「花物語」が大反響を呼び、シリーズものとしてベストセラーになる。その後「地の果てまで」が朝日新聞の懸賞小説で一等を獲得、「海の極みまで」が大阪朝日新聞に連載されるなど作家として安定する。

千代との出会いは、国民新聞社の婦人記者であった山高しげりが、信子の家に千代を連れていったことによる。会った瞬間から、信子は千代に強く惹かれる。千代もがっしりした男のような信子のなかに、純粋で愛に飢えた子どものような初々しさを感じる。信子二十七歳、千代二十三歳のときである。
以後、二人は激しく愛し合うことになる。以下は抜粋である。

「ああ 夕に別れを告ぐることなく 一つ屋根の下に暮す日は いつのことか!男と女ならば易きことなれど 御身も女 吾も女―― でも千代ちゃん 二人の心が定まっていさへすれば久遠の愛を結実させる日も遠いことではないでせう  後略」

これは当時、女学校の数学教師をしていた千代に宛てたものである。その後、事情でしばらく東京と下関とに離れ離れになったときのやりとりは以下である。

「 ………(略)……… ほんたうに千代ちゃんの魂 そして身体 もうわたしにはなくてはならぬもの。その魂にこの寂しい頭を突き込み しみじみと甘くかぐやかな匂いに濡れしめりたい。どんなに力を得るだろう。その唇 その頬 私は官能の上からも苦しく 寂しい。来て欲しい、二度生まれるとは思へぬ此の現世に限りある生命の時にあって 何故 別れて棲まねばならぬの 千代ちゃん もう悲しくなり泪がこぼれ落ちるゆえ これでよしておく。かへって下さい。あなたなしの生活 生命それはあまりにも寂しすぎる。愛する人 もう何とかくべきか言葉がない。帰って 帰って 帰って。ただこの言葉だけが 口をついて出てくるだけ。ああ さびしい。」

このあと千代は以下のような返事を送る。

「大切な大切なお姉さま ………(略)……… 姉様のお手紙見る時 千代はかなしいですの しをれかへって黙って泣いているの あみものをしていても 本をよんでいても よるの事ばかり考へて涙が瞳にいっぱいになってしまふんですもの さやうなら さやうなら 毎晩キスして」

熱烈というより、もの狂おしいほど、まさに相思相愛、熱情溢れるラブレターだと渡辺氏も書いている。その後二人は信子が建てた家に住む。そして信子は精力的な執筆活動を続け、千代は妻の立場でそれを支える。女同士であるため、婚姻関係が結べず、信子はやむなく五十八歳になる千代を養女として入籍する。昭和四十八年七月、千代に手を握られたまま信子は永眠する。享年七十七歳。その後、千代は土地、邸宅、蔵書を鎌倉市に寄贈し、信子との熱い思い出を胸に、八十九歳でこの世を去るまで一人でマンション暮らしをする。

究極の純愛である。誰が揶揄や非難などできよう。同じ性をもつ者同士における愛についての私の個人的な見解は、次回に述べたい。
2003年2月

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