『桜好き日本人』

ねがはくは花の下にて春死なん
     そのきさらぎのもち月の頃

この有名な歌で知られる桜好き人間の代表である西行は、歌の通り陰暦の二月十六日に葛城山西麓にある弘川寺で示寂した(没した)。その寺は私の住むK市からほど遠くないところにあり、何度かこの時期に訪れたことがある。山道を登りきったところに、これがあの西行の墓所かと思うほど簡素な墓がある。但し、山じゅうに大小さまざまな桜の木が花を咲かせる。桜に抱かれ眠るとは西行も本望であろう。

いったい日本人は、なぜこんなに桜が好きなのだろうか。なかでも桜好き人間たちは春になると落ち着かない。桜前線の北上や開花予想の情報収集に余念がない。かの有名な高遠の小彼岸桜や根尾の薄墨桜を徒党を組んで見に出かけたり、西行よろしく個人で桜巡礼をする人々もいると聞く。斯く言う私も春は好きではないくせに、桜は大好きである。しかし、なぜ好きなのか考えないまま今日に至っていることに気がついた。

散りぎわの潔さが日本人古来の精神文化と合致しているとは言い古されたことである。昨今は潔くない人だらけだ。冬の厳しい寒さに耐え抜いたからこそ美しい花を咲かせるのだという訓話めいた理由にも納得しかねる。散り際の潔さも忍耐も、ほかの花や木にだって当てはまるものはたくさんあるからだ。では、花鳥風月を愛でた昔の歌人たちならぬ現代に生きる私たちも、なぜこれほど桜を愛するのか。私なりに考察してみたところ以下のような理由が浮かび上がった。

一、木全体が枝の先まで花に覆われる華麗さ。
二、鮮やかすぎない目に柔らかなその淡い色。
三、存在感を示しすぎない仄かな香り。
四、何らかの「思い」とともに眺められ、印象深い。
五、日本じゅう、いや、誰のそばにも必ずある。

一、二、三に関しては説明は不要であろう。四に関しては、春が出会いや別れの季節であることや、年度初めは実質一年の始まりであることから、思い出とともに記憶されやすい。私の個人的な経験だが、七年前の膠原病発病後に初めて見る桜に心を打たれた。この美しい桜があと何回見られるのだろうかという思いがよぎった。限定された生活になったが、私はあれから七回めの桜を今年見る。一年一年が感無量である。それまでよりずっと感慨深く桜を見るようになった回数は、私にとって病気と共に生きた年数になっているのだ。

五も説明の必要はないが、まだ私は喋りたい。全国の有名な桜の名所を訪れなくとも、太陽の光と同様、量の差こそあれ我々には必ず桜を見る機会が与えられている。それらは小学校の校庭にあったり、近くの公園にあったりする。いつもの散歩道の脇で微笑んでいたり、どこかの家の塀の上から咲きこぼれていたりする。あるいは町なかのアスファルトの下に根を張り、人や車が忙しく往来するなかで、さりげなく心を和ませてくれたりもする。これらは誰かが大切に思っている「私の桜」になっているのではないだろうか。

ちなみに私の「マイ桜」は、子どもの頃よく遊んだ神戸市は会下山の桜、長年住んだ堺市泉北は運動公園の桜、そして外出をほとんどしなくなった今の私にとって、ここK市は自宅近くの「スーパーY」横に咲く桜である。「もうすぐ咲くぞ、この桜」「もう咲いたかな、あそこの桜」と、この時期私もそわそわと落ち着かない。咲いてからも春の変わりやすい天気で雨や風になると散らないかと気が気ではない。

ふだんは気にとめないただの木が、年に一度あでやかに咲き誇る。散りはじめて葉桜になるとあの狂乱ぶりはどこへやら、毛虫など下がってこようものなら人々はとたんに桜に冷たくなる。桜たちはそんなことはおかまいなしに若葉をつけ、夏にはさらに逞しい葉を茂らせる。人間界とは無関係に、来春の華やかな祭りの準備を着々と始めるのだ。

浮かれたり見上げたり感心したりする人間たちを、今年も桜は優しく見おろしている。




2003年4月
スーパーYの「マイ桜」。今年も満開。

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