『サングラスの効用』

外出するときにはサングラスが欠かせない。それにはいくつかの理由がある。

ビョーキ持ちの私はその影響で乾燥症だ。だから目も乾きやすいので、ゴミや埃から角膜を守らなければならない。眩しい光も苦手である。しかし最大の理由は、現在の私の装いにはサングラスをかけた方が合うからというものだ。私は何ともやさしい目元をしている。スーツにネクタイと、めかしたときなど特にかけないとサマにならないのだ。

「色メガネで見る」という言葉があるが、私は色メガネを年じゅう愛用していることになる。しかし念のためことわっておけば、相対的に私は偏見の強い人間ではない。目を乾燥や光から守ることやファッション性のほかに、この色メガネ、実は絶大なる効用がある。

たとえば電車に乗ったとき、座ると必ず向かい側のシートの人と目が合う。たいていの人は互いに相手を確認しあう。私は敢えて見ないようにするのだが、敵は真向から見つめてくる。一種異様な雰囲気を漂わせているのか、人はすぐに私を観察し始める。その視線を感じながら、私は文庫本に没頭しているふりをする。そんなときサングラスは誠にありがたい。人々の鋭い視線を和らげてくれるような気がするからだ。

少しばかりものを書くようになってから、知らぬまに私は人間観察をしていることがある。こちらがサングラスをかけていると目の動きが相手に判りづらいせいか、大胆にも無遠慮に見続ける人もいて愉快だ。舐めるような視線が私の体をなぞる。そんな目にあうのは今の世の中ではマイノリティの宿命なのだろうか。私のサングラスは、むしろ「世間の色メガネ」から自身を防御する武器でもあるのだ。

ありのままの自分を晒けだし、堂々とすることは好ましいことだ。心の内も外見も隠さず自由に表現し、それが個性であり主張であると受けとめてもらえれば、どんなに心地よく暮らせるだろうかと嘆息する。奇異なものを見るように人に見られることがないならば、赤塚不二夫氏が描くところの、懐かしのあの「ケムリの親分」のケムリが吹き飛ばされた状態よろしく、やさしい目元でネクタイもまた良しとは思っているのだが。 
2002.11
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