『たのんまっせ2003年』

昨年は最悪の年であった。

初めて書いた長編小説を某賞に応募したが、一次選考にすら洩れた。(あたりまえか……)長年にわたり信頼していた身近な人物に裏切られた。それで六百万円ほどの金を肩代わりし、返済するため所有の不動産をひとつ売却して工面した。そればかりでなく、愛情面でも相手の不貞という事実に直面した。不運なことが重なって鬱状態となり、生存意欲も食欲も失せ衰弱した。夜中に死の誘惑に負けそうになりギクリとしたこともあった。

あれやこれやで四ヶ月もの間、何も読めず書けなかった。私の物書き修業の生活も、始めたばかりなのにこれまでかと諦めかけた。ついに胃をやられ、12月半ばに胃カメラを呑まされた。そのあとひどく喉が痛み、菌がついたのかダメ押しのように悪性の風邪をひいた。 高熱にうなされ、胃が痛み、鼻水、咳に下痢まできて、年末ギリギリまで苦しめられた。ここまでくると滑稽でさえある。笑うほかない。

しかし悪夢のような一年もやっと終わった。また新たに三六五日陽は昇り、陽は沈む。今年こそは良き年であって欲しい。すばらしいできごとが起これば嬉しいが、欲張るつもりは全くない。せめて良くないできごとが起こらないでいて欲しい。つまり平穏無事に日々過ごせることを願うのみである。それは私を含め昨年ことさら不幸であった人々の現在の心境ではないか。

「禍福は糾える縄のごとし」という中国の言葉がある。この世の不幸は、より合わせた縄のように、常に入れかわりながら変転するという意味である。だとすれば去年私に「禍」が巡ってきたので、今年は「福」のはずである。そう信じでもしなければやっていられたものではない。

「運は天にあり」という言葉もある。「運」という語の意味のひとつに「めぐってくる吉凶の現象」というのがある。これは「幸・不幸、世の中の動きなどを支配する、人知・人力の及ばない成り行き」だそうである。つまり運は天にあって人力ではどうすることもできないものなのだ。

半ば諦め半ば期待し、それでもやっぱり今年こそは良き年であって欲しい。こうなれば日頃不信心な私も神頼みをするつもりである。
「たのんまっせ、2003年」
かしわ手を高らかに打って拝んでこよう。

皆様、本年も宜しくお願いいたします。
2003年元日
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