「ダンス好き右近」
 
私はダンスが好きである。

ダンスといっても社交ダンスではない。流行のヒップホップ系のダンスでもない。私のダンスはアジの一夜干しや短歌同様、我流の無手勝流、つまり水無月右近流である。こう言えば、いかにも下手クソなとんでもないものを想像されるかもしれないが、それは外れている。何を隠そう、特技はと訊かれると「ダンスです」と答えるほど自信がある。

私のダンス歴は長い。思い起こせば口にするのも憚られるほど古いが、ツイスト、ゴーゴーあたりが最初であろうか。十代の頃である。(まだ生まれていなかった人、ゴメンナサイ) しかし完全に目覚めたのは1980年のアメリカ滞在中である。これも古い話で恐縮だが、当時ブロンディーの「コール・ミー」などに合わせ、いたるところで若者たちが踊り狂っていた。(古すぎてわからなかった人、ゴメンナサイ)

滞在していたフィラデルフィアのインターナショナルハウスというところでは、毎週末に大小さまざまなダンスパーティーが催された。友達になった日本人女性と初めて参加したとき、会場での熱気に圧倒された。それまで私は日本で一度も踊りに行ったことがなかった。だから大音響の音楽に合わせて、忘我の境地で踊る人々がひしめく光景は、ちょっとした衝撃であった。見ているだけのつもりが白熱した空気に私の身体はひとりでになじみ、じっとしていることがつらくなった。あろうことか、次の瞬間、その集団の中へと突き進み、私は踊りはじめていたのである。

ところが、あとで現地に長く滞在する日本人から聞いた話では、彼の地ではペアでなければ踊りに参加できないという。そう言えばダンスフロアで踊っている人たちは、一見すれば好き勝手にひとりで踊っているように見えるが、なるほどペアになっている。相手がいない男性たちは女性たちに、しきりに踊ってもらえないかと尋ねまわっている。当時100%女性であった私は、ひっきりなしに踊ってもらえないかと誘われた。それでかと納得した。ひとりでは踊りたくても踊れないのだ。

また、インターナショナルハウスでは中南米から英語を学びに来ている人たちが多く、彼らのダンスパーティーでも楽しんだ。これもペアである。それまで聞いたことのない本場のラテンミュージックのメロディーとリズムは強烈だった。床を踏み抜いて全員が墜落するのではないかと思うくらいの力強いラテンダンスにも魅せられた。彼らは踊るために生きているのではないかとさえ思われるほどダンス好きだった。

帰国後、私は「すぐに踊る人」になってしまっていることに気づいた。どちらかと言えば「すぐ歌う」日本人社会のなかで、何か音楽が聞こえてくると、自然にリズムをとって足を踏み鳴らしている自分が浮いている存在であるとわかった。だから「どこでも踊りたい願望」と闘うのに苦労した。今でもCDショップは言うまでもなく、デパート、スーパー、あらゆる店のBGMに身体がすぐ反応するが我慢する。それで体調のよいとき、家ではラジオ体操の前後にアップテンポの曲をかけて踊っている。たまにクラブに出かけて思いっきり踊り、心地良い汗を流して爽快になる。これは持病にもよい。

先日、眼科へ行った帰りに少しばかりビールを飲んだ。店を出るとどこからかいい音楽が聞こえてきた。もう駄目だ。血が騒ぐ。足早になり、音の元を探している。あった。大好きなアンデスの音楽を3人の現地の男性が演奏している。ペルーから来たという彼らの奏でるケーナやサンボーニャの美しい音色とリズムに酔いしれた。踊りたい願望に抗いながら、全身でリズムをとって楽しんでいた。

すると突然、一杯機嫌の中年男性が阿波踊りふうの踊りを始めた。しばらくすると別のところから中年女性も出てきて、フラダンスふうの踊りを始めた。もう我慢できない。やおら私はその女性の前に躍り出て手を取った。そしてラテンダンスふうにリードをしてさしあげた。まことに気分が良かった。

大阪はミナミの中心、ナンバ高島屋前でのことだ。もしもどこかで黒っぽいスーツにサングラスの人間が踊っていたら、たぶんそれは私である。ダンスは楽し、心地よし。
2003年6月
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