「ジェンダー講座」

今月はじめに膠原病のサイトを追加した。「相互リンク歓迎」としている同病の方にその旨希望を申し出たら断られた。

その方が言うには、自分は“ジェンダー”という言葉を知らない。私(右近)も説明していない。「差別」と思われても仕方がないが、リンクは断るというものだった。(なんだ知っておられるんだ。だから「差別」なんてコトバ出るんでしょ?)

たしかに私はバナーに添える自己PRに「ジェンダーをさまよう詩人」と書いているが、その語について説明していない。指摘には一理ある。そこで私の知りうる範囲で「ジェンダー」という語について説明することにした。

★☆★右近のやさしい「ジェンダー」講座☆★☆

「性」を表す意味の語にはsexとgenderがあるが、これらの語は用いられ方が異なる。

sex……生物学的な性別を示す。
gender……社会的・文化的に形成される性別を示す。(広辞苑)

大阪は全国でも人権教育が進んでいる都市である。教え子の公立高校の生徒たちが、「ジェンダーフリー」についてのレポート提出という課題を与えられていたことがあった。「ジェンダーフリー」というのは、すでに固定化されてしまっている男女の社会的立場や役割を見直し、その壁を取り払ってしまおうという考え方のことである。社会や家庭において女性は不利なことが多い。職種・賃金・仕事内容・昇進などの不平等が厳然とある。しかも家庭での家事負担は、仕事を持っていても女性の側に多くのしかかる。また、伝統的に女性が中心であった保育士や看護士などの職においては、男性に門戸が完全には解放されていないと聞く。このような状況や既成概念を壊し、社会的な性差をなくそうというのが「ジェンダーフリー」の考え方である。社会的な性、それがジェンダーである。

これとは別に「性同一性障害」のことを語る場合にも「ジェンダー」という言葉は必須である。「トランスジェンダー」という語は直訳すれば「性を越えた人」という意味になる。この呼称は出生時に指定された性別に違和感を覚えて生きる人たちの総称としても使われている。狭義ではさらにその中に分類される人びとの呼称にもなる。

「性同一性障害」を知るには基礎的な用語を知る必要がある。虎井まさ衛氏主宰の季刊誌「FTM日本」に毎回掲載される用語解説を引用する。

『GID…… GENDER IDENTITY DISORDER(性同一性障害) 
FTM……FEMALE TO MALE (女から男へ)
MTF……MALE TO FEMALE (男から女へ)
TV ……TRANSVESTITE (トランスヴェスタイト)*異性装者。異性装をすると本来の自分にかえったような気がし、性的な興奮を伴うこともある。
TG ……TRANSGENDER (トランスジェンダー)*広義にはTVやTS(後記)の中間に位置し異性の性役割りをもちたい人。例えばFTMTGであれば、男に見られ男として扱われなければ不服である。そのためには男性ホルモンを使ったり乳房を切除したりするが、大部分の人は性器まで変えようとは思わない。
TS ……TRANSSEXUAL(トランスセクシュアル)*俗に言う性転換者。社会的な性別もさることながら、体の、特に性器の転換を望む人 』
(※なお「性転換手術」は、現在は「性別適合手術」という呼び方に変わっています。)

「ジェンダー」という語の意味や用法が、少しはおわかりいただけただろうか。さらに「性同一性障害」について知りたい方は個人や団体で真面目にサイトを運営している方々を検索して欲しい。(ろうあでFTMの伊東聡氏のサイトにはわかりやすい説明があり、私のお勧めである…『さとしの性同一性障害総合研究所』http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Lynx/5626/index.html)

これで今日の「ひとり言」を終わろうとしたが終われない。拒絶された理由が、まだ納得できないのだ。私はその方と同病ということで相互リンクを申し出た。その方の全人格を理解したうえで申し出たわけではない。同じ病気、同じ苦しみを持つ者として、それだけで繋がるに足りうるものだと思っていたのだ。その方にとっては「同病」より「どんな人か」が重要だという。考え方の相違である。平行線である。

もう一つ。私がこのHPを立ち上げたのは創作を発表するのが目的である。つまり文芸系サイトのつもりだ。だから性同一性障害や同性愛の真面目なサイトに見られるような情報や知識、自身のセクシュアリティに関する記述や経緯を述べていない。
この場はあくまで表現者としての私個人がもつ多面的な部分の心情や考えを作品化して公表するのが趣旨である。だから自分のことを説明していないと言われても困るのだ。プライヴェイトな部分の私の現況については特に隠しもしないが、取り立てて説明することでもない。語りたければ自然に語るであろうし、何も頓着していないのだ。

HPでは私の核となる考え方や生き方を、真っすぐ見つめてくれる人びとに巡り逢いたい。そんな人たちと繋がりたいと思っている。私の一面を歪曲して捉え、全人格を否定されては永久に接点が見い出せない。残念なことだ。

いくら考えても私は差別される要素を持たない。否、すべての人には差別される理由がないはずだ。世にあるほとんどの不当な差別は「される側」に非がないのが常である。無知、偏見、誤った認識、そして何よりも優しさが欠如する心を持つ「する側」にこそ問題があるのだ。

いつになく涼しい誕生日を迎えて、いつになく熱い水無月右近のひとり言である。
2003年7月
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