『人生って』 −マンスフィールド「園遊会」

ときどき読み返してみたくなる本がある。マンスフィールドの短編集もそのひとつである。

キャサリン・マンスフィールドは、1888年、ニュージーランドのウェリントン市で生まれた。少女のときから芸術に憧れ、ロンドンへ遊学後、音楽家と結婚するもその生活はすぐに終わる。その後、文芸批評家のジョン・ミドルトン・マリーと熱烈に愛し合い、障害を越え再婚する。訳者の安藤一郎氏は、われわれが今彼女の作品に接することができるのは、このマリーの愛情と深い理解によるとしている。

私がマンスフィールドを知ったのは学生のときだ。英書講読の授業で彼女の代表作「湾の一日」(英題はAt the Bay)が取りあげられた。当時は辞書と首っ引きで訳すのに精一杯、作品を味わうまでには至らなかった。それを読了した日、教授はこんな言葉でしめくくった。「それにしてもこの作品に溢れる潮の満ち干、寄せては返す規則的な波の音は心臓の鼓動のようであります」。その作品の心地よさの背景には母なる海があったのだ。

本屋で短編集を見つけたのはそのあとだった。もちろん日本語訳の文庫本である。表題の「園遊会」(英題はThe Garden Party)ほか全十五編が収められている。「園遊会」は二十数ページの小編であるが大好きな作品として常に私の心に棲んでいる。以下にあらすじを紹介する。

主人公の若い娘ローラの家では、その日に開かれる園遊会の準備で大わらわだ。母に言いつかってローラは天幕を張る職人たちに指示を与えたり、花や食べ物の点検に忙しい。そんな中、出入りの男が近所で死人が出たことを得意げに話す。それは荷馬車屋の若い男で、機関車におびえて馬が暴れ、投げ出されて即死であったという。妻と五人ほども子どもがいるらしく、ローラはひどく心を痛める。母や姉に園遊会を中止するよう願い出るが聞き入れられない。

華やかに園遊会はおこなわれ、大成功のうちに客たちは帰る。会のあと、家族だけでコーヒーを飲む席上、不幸な事故について父が話題にする。気まずい沈黙のあと、手つかずでテーブルの上に残っているサンドイッチやケーキをバスケットに入れ、持っていってあげればと母が提案する。ローラは気の毒な妻が、はたしてそれを喜ぶのだろうかと疑問に思う。ここでも彼女は自分がみんなと違った考えを持つことを知らされる。

バスケットを持っていくように命じられ、ローラは邸の坂の下にひとかたまりになった貧しい家々の小路へと向かう。煙っぽくて暗い小路を、着ていたフロックや、びろうどの長いリボンがついた大きな帽子を後悔しながら訪ね歩く。探しあてた家では、小柄な夫人が目も唇も、顔じゅうふくれあがらせ、礼を言う気力もなく悲しみに包まれていた。

帰ろうと慌てて廊下に出たローラは、間違って死人が横たわる部屋に入ってしまう。若い男は深々と眠り、夢にゆだねられているかのようだ。美しい。園遊会の賑やかなバンドや御馳走、レースのついたフロックなど何の意味があるのだろう。彼は幸福に満ちあふれてここで眠っている。ローラは泣いた。何か言わなければと、派手な帽子の無礼を死人に詫びる。泣きながら戸口を出ると兄のローリーが待っていた。「泣くんじゃない」とやさしく兄は言う。

『「人生って」と彼女は口ごもった。だが、人生とは何か、彼女には説明できなかった。』(本文より)

読むたびにローラのみずみずしい感性、汚れていない正義感、まっすぐな倫理観に感動する。あらすじでは伝わらない心の機微はぜひ一読して味わってもらいたい。

生来病弱であったマンスフィールドは、感受性が豊かで繊細な女性であった。自然や人間に対する洞察を、精緻な文体で詩のように詠いあげた。惜しいことに、34歳の若さでこの世を去る。彼女はチェーホフが好きで、修業時代はチェーホフの作品をまねたという。

ところで『斜陽』のモデルとなった太田静子は、太宰をマイ・チェーホフと呼び、マンスフィールドのような作家をめざそうと考えたらしい。好みがどうも似通っている。私もチェーホフ、マンスフィールド、太宰が好きである。若かりし頃、才能なんかないだろうが、私も両腕を広げたぐらいの小さな世界を、こまやかに描いてみたいものだと考えたことがある。ちょうどマンスフィールドのように。しかし戻るに戻れず違う道を歩き続けた。困ったことに、今になってその後悔が胸を掠めることがある。

「人生って」を近頃よく噛みしめる。だが、いまだ私も人生が何であるかを説明できないままでいる。
前のひとり言 次のひとり言

ひとり言 INDEXへ