『困った“狩りの達人”』

NO6、NO13に登場の猫のはるかちゃんの再々登場である。

それというのは狩りである。冬場は獲物が少ないのか、ときどき野ネズミを捕まえてくる程度であったが、春になって犠牲になる小動物がふえている。もちろん餌は充分に与えている。それなのに、なぜ彼女は狩りをやめないのだろうか。それには三つの理由が考えられる。

一.身に付いたライフスタイルと「小動物まるかじり」の醍醐味。

飼い猫になるまでの二〜三年をはるかちゃんは自活していた。右近庵には日に一〜二度餌をねだりに来たり、しばらく全く来なかったりした。きっとほかにもスポンサーを持っていて巡っているのだろうと思っていた。しかし、その想像は違っているということが、飼い猫にしてからわかった。はるかちゃんは家の中で遊ぶときも寝るときも、同居のほかの猫たちと異なっている。人間のすぐそばではなく、一定の距離をかならずおいているのだ。抱き上げても身体を突っぱり、決して人間に身を委ねない。どんな猫でも手なずける私にでさえ完全に心を許さない。餌のため媚びはしても、人間を信用していない。ほかの家に出入りしていたとは考えにくい性格なのである。

そんなはるかちゃんにとって、狩りによる捕食は必要不可欠であったのだ。うちの猫たちがお世話になっている獣医のT先生によると、猫の理想的な食事は「小動物まるかじり」だそうである。特にカルシウムが摂れて骨が強くなるという。はるかちゃんは、まさにそれを実践しており健康そのものである。飼い猫化して与えられるキャットフードやアジでさえももの足りないのかもしれない。小動物たちにはワイルドな、えも言われぬ旨さと滋養があると推測される。

二.いくつになっても子供は子供、母は母。

昨夏はるかちゃんが産んだ仔猫四匹のうち三匹は貰ってもらい、一番のんびり屋のオスをおいておくことにした。それがじいじいである。すでに生後九ヶ月、母親より大きくなった。初めての発情期を迎え、もう青年である。それでもはるかちゃんは、じいじいを舐めてきれいにし、獲物を与えることに喜びを感じているのだ。これが正真正銘の猫かわいがりか。

けれども小モグラを与えた翌日、じいじいが吐き、丸一日ほど何も食べず弱っていたことがあった。それ以後モグラは与えなくなった。いつのまに教えたのか、ある日じいじいが自分で野ネズミを捕ってきて狂喜して遊んでいた。はるかちゃんは、その姿に目を細めていた。先日、じいじいが発情して家を飛び出し、二日間帰ってこなかった。初めてのことでとても心配した。風雨のなか泥だらけになって帰ってきたじいじいに、私もはるかちゃんも目がうるむほど喜んだ。奮発して私がアジを二匹与えていると、はるかちゃんはなぜかいそいそと出かけていった。それからヤモリをくわえて帰り、じいじいに与えていた。せめてもの母心か。

三.やはり「ネコ属ネコ科ネコ」

ネコ属ネコ科のライオンも、狩りをするのはメスである。何時間もかけて草原の大型動物を狙い、集団で捕食する。同じネコ科のネコはるかちゃんが狩りをするのも本能であろうか。空腹如何にかかわらず、獲物を仕留めようとするのは使命感か、はたまた血が騒ぎ、内なる野性に衝き動かされてのことなのか。それは本人(猫)のみぞ知ることである。出産後施した避妊手術後、よくじゃれて仔猫化し外遊びが楽しくてしかたがないというふうにも見える。狩りも遊びの一環なのだろうか。はるかちゃんは、らんらんらんと、毎日を楽しそうにエネルギッシュに生きている。その点は見習わなくてはならない。

しかし飼い主としては狩りもほどほどにして欲しい。数日前も夜中に庭で「ギャッ」という怪しげな叫び声がした。出てみると、はるかちゃんがコウモリを押さえ込んでいた。その二日後、白昼堂々、野ウサギの子どもをくわえて帰り、じいじいの前に置いて私を卒倒させそうになった。愛らしくて痛々しい子ウサギの姿は見るのも辛く、庭に埋めてやった。その日は一日じゅう心が重かった。

野ネズミ、モグラ、カエル、ヘビ、トカゲ、ヤモリ、カマキリ、スズメ、コウモリ、野ウサギ……。もう狩りは勘弁してくれないかなあ、もっとアジをあげると約束するから。

前のひとり言 次のひとり言

ひとり言 INDEXへ