「私の病気―シェーグレン症候群」

前回「わが友」膠原病について少しばかり紹介したが、いま少し語らせてもらいたい。

私は強がりである。よってして自分の辛さを人に話すことは好きではない。けれども敢えてそれをしようというのは、難病に対する人々の理解を得たいのと、この病に罹患する人が少なくあってほしいと願うからである。

膠原病とその類似疾患の種類は多いが、以下が共通してみられる特徴である。

1.発熱、関節痛、筋肉痛、こわばり、体重減少、易疲労などの全身症状を伴う。
2.二つ以上の臓器が障害される多臓器疾患である。
3.症状が重くなる「増悪(ぞうあく)」と軽減されて安定する「寛解(かんかい)」をくり返す慢性疾患である。
4.免疫の異常が見られる自己免疫疾患である。

これら以外の共通項には次のようなものがある。

・はっきりした遺伝性がない。
・他人にうつる伝染病ではない。
・悪性腫瘍ではない。
・抗生物質での治療は無効である。
・副腎皮質ホルモン(ステロイドホルモン)が効く。

発症の時期も幼年から老年まで広く、発症時の状態や程度も人によって異なる。女性に多いが男性も発病する。内臓や筋肉、皮膚などの急激な異変や、激しい脱力感に襲われることもあれば、ゆるやかに病気がしのびよっていることもある。私の場合は、ゆるやかにしのびよっていたことに気づかず、風船がパチン!と割れたように急に発病した。

1996年7月1日、目ざめると身体が動かない。全身の関節という関節すべてが痛むのだ。首を動かすことも寝返りを打つこともできず、起き上がることができなかった。手指はすべてが硬直し、こわばって曲がらなかった。そのほか動悸、息切れがひどく心肺にも異常があった。口の中には潰瘍ができ、顔や掌には赤い湿疹ができた。何にもましてつらかったのは、経験したことのない全身の疲労感だった。横になっていてもそれは少しも緩和されず、まるで地獄の底へと引きずりこまれるような苦しみだった。ひたすら目を閉じて耐えているしかなかった。

最初に訪ねた病院には専門医がおらず、膠原病のようだがむしろ心臓疾患の方が重大といわれ心臓の検査ばかり受けさせられた。病院という場に、必ずしも自己免疫疾患専門の医師がいるとは限らないのだ。専門医を訪ねてやっと膠原病の「シェーグレン症候群」と診断されるまでに2ヶ月を要した。私にも知識がなかったので、2ヶ月間、息苦しさと激しい脱力感に耐え、不安とともにただ寝ていた日々は無駄であり悔やまれる。(そんな時でさえ私は詩を書いているのだ。)

ステロイドホルモン剤のおかげで身体の辛さはみるみる軽減された。受験生を優先し、仕事にすぐ復帰した。副作用でボールのような丸顔になったり、太らない体質の私が食欲異常亢進のため体重が増え、体型も変わってしまった。ウエストがどれも留まらなくなるという情けなさも味わった。しかし、生徒たちを教えたい一心で、顔も体型もどうでもよく、一日を元気に活動できる喜びに満たされステロイドに感謝した。

幸い私の病気は膠原病のなかでは予後がよいとされている。悪性リンパ腫にならなければ比較的おだやかに経過する。その代わりというのもなんだが、常時悩まされる厄介なことが多い。その代表がやはり倦怠感、脱力感、疲労感である。そんなときの頓服も特効薬もなく、安静あるのみなのだ。

それにも増して最近ひどくなってきたのが渇きである。私の病気は外分泌腺を破壊されてしまうので、涙腺、唾液腺など身体のなかの腺がうまく働かず、涙液や唾液などが少量しかでない。内臓では胃液や膵液も足りない。健康なときには気づかなかったが、浄化したり潤滑油となるものが極端に少ないことによる不快と苦痛はかなりのものだ。生涯この半端ではないドライアイ、ドライノーズ、ドライマウスとの闘いは続く。

30年ほど前には「死に至る病気」とされた膠原病も、医学薬学の進歩のお陰で「生きられる病気」となった。しかしいまだ完治することがない難病であることはたしかだ。とにもかくにも天命を全うするまで仲良く共存しなければならない。発病から1〜2年は地団駄を踏む思いであったが、7年目にして「これも私、これが私」と考えられるようになった。

前回「安定している」などと書いたとたん、次の日から不調になり寝込んでしまった。ようやく座って書けるまで快復し、その喜びを味わっている。教訓。調子がよいと吹聴するべからず。どれ友よ、そろりと参ろうか。皆さんもどうか無理をなさらぬように。
2003年5月
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