「水色の雨合羽」

大好きな雨の季節になった。

雨や雨の降る日が好きな理由はいくつかある。乾燥症状が緩和されることや、外が静かで情緒があるということなどがそれであるが、雨好きになったルーツとおぼしきものがあることに最近気がついた。

私は姉一人、兄二人がいる四人きょうだいの末っ子である。昭和三十年代当時、質素倹約は当たりまえのことであったから、末っ子の私は服はもちろん机から自転車にいたるまで、姉や兄のおさがりであった。それでもとても嬉しかった。ただ、着るものだけはたまに新しく買ってもらえた。それは末っ子である「女の子」の私に、好みの服を買い与えて着せるという母自身の楽しみでもあったからだ。

ある日、「ほら合羽(かっぱ)」と言って母が差し出したのは、水色の新しいレインコートだった。母の世代は「合羽」である。思いがけないことだったので跳び上がって喜んだ。さっそく着てみると、とても大きい。新しく着るものを買うとき、長く着られるようにと母は大きなサイズを選んだ。それも半端でない大きさが常であった。だが嬉しさが勝ち、そのレインコートがとんでもなく大きすぎることは気にならなかった。長すぎる袖を母は外側へ折り返した。下がった肩や、おかしいほど長い丈は足首までもあったが、そんなことはかまわなかった。私は有頂天になって家じゅうを歩きまわった。

その日から雨を待ちこがれた。早く雨の日に外へ着て出たくてたまらなかった。しかし晴天が続き雨が降りそうな気配がない。てるてる坊主を逆さまに吊すと雨が降るというのでやってもみた。しかし降らなかった。「メイシンやんか」と落胆し、うらめしそうに空を見上げる日が続いた。ついにその数日後、窓から見る空がにわかに暗くなり雨雲がたちこめた。「バンザーイ」とばかり私は水色の雨合羽を出してきて、逸る心を抑えつつ折り返してある袖に腕を通した。みごとにブカブカで、私は私ではなく水色の雨合羽そのものであった。笑顔で見送る母に「いってきまあす」と元気良く言い、私は、いや水色の雨合羽は意気揚々と雨の中へ出かけていった。

フードがついているので傘は必要なかった。そのフードも大きく、被ると顔がスッポリ隠れてしまう。縁の透明の部分がなかったら、足元すら見えなくなってしまうシロモノだった。けれども子どもはそんなことは少しも頓着ないのだ。このとき私は、ある快感をおぼえた。雨が降りしきるなか、傘をもつという余分な力を腕にかけず、濡れないようにという気持ちからも解放され、脱力状態で雨の中に立っていることの心地よさ。雨足が強くなると雨合羽の上から全身を雨が叩く。放射線状に降ってくる雨は私の顔めがけて集中攻撃し、目をつむり口をあけて迎え撃つ。その気持ちよさといえばなかった。

『水色の雨合羽』は水たまりを見つけてはバシャバシャと撥ね散らしてみたりしながら、意味もなくあちらこちらを歩きまわった。暗くなる頃に家へ帰り着いたときには、フードも脱げて髪は濡れ、雨合羽は肩からずり落ち、長靴の中の水はなま温かくなっていた。満悦した私が「ただいまあ」と元気よく帰ると、割烹着の母は「あらあら」と笑った。

雨を待ちこがれたこと、やっと降っておもいきり楽しんだこと、今ごろになってそれらが雨のたびに思い出される。私はあの頃から一貫してひとりあそびが好きな子どもで、雨は常にそばにいたような気がする。小学生だったあの日以来、きっと私は雨が大好きになったのだ。

子どもの頃は、カッパとは水に強いということで河童からきた言葉だと思っていた。合羽という字を充てることを知ってからも、その語源を知らなかった。これを書くにあたり、例によって広辞苑を引いてみた。カッパ……capa、ポルトガル語。雨天の外出に用いる外套の一種。はじめポルトガル人の外套を模し、衣服の上に広くおおうように製したもの。羅紗、綿布、桐油紙などで作り、袖をつける。元来、袖はなく、坊主合羽・丸合羽といい、木綿のを引き回しという。云々……。どうやらcapaに合羽という字を充てはめたようだ。最近は「合羽」という呼び方も廃語のような扱いを受けているのは残念なことだ。

さてもさても合羽は遠くなりにけり、懐かしの昭和三十年代は遠くなりにけり。雨の日は、ついつい感傷に浸ってしまう水無月右近である。
2003年6月
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