「夏野菜のことなど」

今年の夏は妙な天気であった。
膠原病を持ってから、紫外線防止には年じゅう気を使って生活している。薬の副作用で皮膚も薄くなり過敏である。それで太陽を避けた暮らしを余儀なくさせられているが、私はやっぱり夏が好きなのだ。

夏は本来、太陽が照りつけ、うだるように暑いもの。その強烈なエネルギーによって万物の生命力が最も活発にさせられる季節である。右近庵のささやかな菜園でも、夏には賑やかに野菜たちが生長する。それを毎日ながめるのは夏の楽しみである。ところが、今年はいつもと様子が違った。みな遠慮がちに奥ゆかしく、かつ慎み深く生長したのだ。これは冷夏のせいである。

そんななかでも、いち早く生長した元気ものはキュウリであった。雨水を多量に吸い込み、わずかな日照を取り込み急生長して黄色い花をたくさん付けた。一旦実が成ると、これでもかというくらい毎日できる。ちょっと油断すると一晩でへちまのように巨大化する。それくらいキュウリの成長は早い。去年よりも若干時期は遅れたが、キュウリは豊作で何度か人に分けてあげた。それでも余り、しばらくは「キュウリ御膳」のような夕食が続いた。買ったものより青臭くなく美味しい我がキュウリたちは、天候もなんのその、今年もみごとに実を結び燃焼しつくした。

ナスも上出来、味も良かった。紫の花をつけるとほどなく実が成りはじめ、つやつやと光沢のあるナスが毎日収穫できた。私は年じゅう食べても飽きないナス好きであるから、ほとんど人にあげずに自分で食べ尽くした。焼きナスから麻婆ナス、味噌炒め、天ぷら、カレー、みそ汁の具というふうに食べ続けた。キュウリと違ってナスは火を加えるとカサが減り、いくらでも食べられる。ナスは去年よりも今年の方が良くできた。

元気もののキュウリやナスの奔放な生長ぶりを尻目に、ひたすら慎み深く彼らを静観していたのはミニトマトである。例年なら七月半ばには真っ赤な実を付けるのだが、今年は盆になっても実が青い。まるでマスカットのようである。いったいいつになれば赤くなるのかと首を長くして待っていたが、盆過ぎの残暑でやっと色づきはじめた。さっそくつまんで食べてみたが去年のように甘くない。食感もシャリシャリとして味気ない。リコピン含有量も少なそうである。色づく野菜ほど太陽が必要なのだ。

シソやハーブ類は例年どおり雑草のごとく生い茂っているが、大葉の葉が今年は小さい。右近庵の大葉は好評で、毎年数人の方に切望される。ちぎるそばから出てくるので、人のためにちぎり続ける。小山のようにこんもりと茂った数本の大葉は低木なみに生長したが、そろそろ終わりか花が咲き始めた。天ぷら、サラダ、チャーハン、巻ものに薬味にと今年も大活躍してくれた。

特筆すべき今年の野菜は隣からの来訪者、カボチャ殿である。隣人曰く、私(右近)の庭へ伸びたツルにできた実は、すべて私のものなのだそうだ。それで毎年1〜2個いただいているが、今年のツルや葉の進出は尋常ではない。垣根を登ってフェンスを伝い、わがアイビーを征服しそうである。地を這っているツルはその姿たるや大蛇(おろち)のごとく勇ましく、右近庵の芝生を横断中である。もちろん立派なカボチャはお言葉に甘えて頂戴した。

それにしても今年の夏は夏らしくなかった。暑いからこそ収益が上がる業種の方々には、いたく同情をする。また、身近な問題としては秋からの野菜、果物の高値である。さらに主食のコメも東北・北海道では93年以来の深刻な不作だという。農作物にとって夏は暑いにかぎるのだ。

最後に、夏という季節の想い出が、いちばん鮮明なのはなぜだろうか。想い出というより風景の記憶といった方がいいかもしれない。昭和三十年代の神戸の下町。母からもらった二十円を握りしめ、炎天下の町へ走り出た。五円のオレンジ味のアイスキャンデー。これは袋の紙がくっついており、取り出すのに苦労した。しかし汗まみれの子供の舌に、これほど美味しいものはなかった。アイスは安い方で我慢すると、残りの五円でポンせんとアメ玉が買え、もう十円で当てものをしたり香水えんぴつが買えた。

あの頃は暑い暑い夏であった。私のなかの原風景、それはやっぱり強い陽射しに彩られた夏である。

良く採れたキュウリ やっと赤くなったミニトマト
隣からの来客カボチャ 夏右近
2003年8月

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