「詩集から出てきた手紙」

書きためている詩を、そろそろ詩集としてかたちにしたいと思っている。参考にしようと古書店に出向いて数冊の詩集を買ってきた。

なぜ古書店かと云えば、無名の詩人たちの詩集と出会えるからだ。初めて目にする詩人の名前やかれらの入魂の詩集との出会いは、最近はやりの大型古書店ならではの楽しみだ。その日は詩集のコーナーに本が豊富で運が良かった。どの詩集を手にとるかは、タイトル、装幀、そしてどれを買おうかと決める基準は、ページをひらいたところの詩に共感できるものがあるかということである。何冊かを手にしてひらき、男性名のもの一冊、女性名のもの三冊の計四冊を買うことにした。一冊百円なので四百円也である。安い買物だ。

家に帰ってさっそく読もうと袋から取り出し、女性名の一冊を手にとった。表紙をあけると手紙が出てきた。ひな菊のような花が淡く描かれた一筆箋に男性名の「M様」とある。封筒には入っていない。二枚に夏の挨拶と詩集を出したこと、互いに健康に留意しましょうと作者のAさんが書いている。Aさんはまた、生活習慣を昔風に戻したら病気をかかえていても長生きできると書き、Mさんは食べなさすぎ、自分は食べすぎだとも書いている。手紙の内容は、まるで私に宛てられたようである。人の手紙を見てしまってよいものやらと思いつつ、もしやともう一冊を手にしてひらくと、またあった。

同じ人物である「M様」に宛てられた手紙の封筒にはMさんの住所が書かれていた。後ろめたさを感じながらも、手紙を取りだし読んでしまった。こちらは詩集ができたお知らせではなく、送った詩集に対してMさんから手紙をもらい、その返事のようだった。Bさんは、十年かかってようやく詩がわかりかけ、一作に五年を費すこともあると書いている。とても真面目に生き、詩と取り組んでいる方であることが文面から読みとれた。また、Mさんが入れておいたのかBさんに書いたのだろうと思われる手紙の下書きも封筒の中にあった。Mさんも真面目で几帳面な方であることがわかった。

詩を読むより先に考え込んでしまった。それが五冊めの詩集であるAさんは中部地方に住む女性で、私より十一ばかり歳が上である。Bさんは東北地方に住む女性で、私より七歳ほど若い。この二人が知り合いかどうかはわからない。ビデオ、CD、コミック本も扱う大型古書店に並んだ元Mさん所有の詩集のなかに、共に居合わせただけなのかもしれない。Mさんは、それぞれの詩集の終わりのページに日付けと礼状“済”の印をつけている。Mさんの許には全国各地から詩集が送られてきていたのだろうか。しかしなぜ四国地方に住むMさん所有の詩集が、ここ大阪の南部、K市の「BOOK OFF」に並んだのだろうか。なぜMさんは彼女たちの詩集を手放したのだろうか。こんな几帳面な善良そうな方が理由もなく手紙を挟んだままうっかり処分したとは思えない。とするとMさんのご家族が……。いや、勝手な想像をするのはやめておこう。

Aさんは自然や日常を、やわらかな感性で詠っている。詩には多くの花々が登場する。交通事故にあわれた後遺症の辛さに負けず、詩を読み、書くことを生きがいとし前向きに生きている。Bさんは中学校の先生をしていて、詩集にも生徒たちのことを詠ったものがある。シャープな感覚あふれる現代詩である。それぞれ2,000円、2,200円という値段で立派な装幀の詩集に仕上がっている。自分の詩集というものは、それはそれは思い入れの強いものであることは十二分に理解できる。然るに百円という金額で読んでしまって申し訳ないような気がしている。

ところで、私は詩集を出すなどとエラそうなことを云ってはみたものの、協調性がないので同人誌には加わらず、遁世しようかと考えているくらいだから友人知人たちとも遠ざかっている。私の詩など、いったい誰が買ってくれるのだろうか。明らかに自費出版、自分でセッセと配り歩き売り歩かなければならないことは目に見えている。詩集ほど売れない本はなく、しかも私は素人、隠者系、日陰系、不健康系、少数派系である。「水無月右近恋愛詩集」は完全に自己満足の産物と自覚し、かたちとして残すためだと割りきって本にするべきか。それなら出版化してみようかとも思う。それでも出版した以上、「BOOK OFF」で百円で売られているのを自分で見つけてしまうかもしれない。そのときは、長旅から疲れ果てて帰ってきた我が子を迎えるごとく百円で買い戻し、労をねぎらってやるとしよう。

話をAさん、Bさんに戻すが、私には詩を書く友人がいない。これも何かの縁ではないかと、詩集の感想を手紙にしたためて彼女たちに送ろうと考えた。それを機に詩を書く仲間と認めあえたら嬉しいし、私のような詩もあるのだと知ってもらえればさらに嬉しいことである。

しかしMさんの事情がわからない。Mさんが存命であれば手紙は出すべきでなく、他界されているなら許され私の手紙も歓迎されることだろう。AさんもBさんも詩集の最後に住所を明記しているのでMさんと関係なく手紙を出すことは可能だ。しかし入手経路について問われたら、どう答えればよいのだろうか。私はウソをつくのが苦手である。三人の住所を前に、友だちは欲しいが、なす術のない水無月右近である。

2003年10月

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