「楽しかった“ひとり言”」

HPを開設して、もうすぐ一年になる。「ひとり言」を書きつづけて一年になるということだ。今回でNo.55になる。

HP開設の意図は、詩(おもに恋愛詩)を公開することであった。しかし丁寧に読んでいただいても、詩という形式は文字数が少なく短時間で読み終えてしまう。それではせっかく来ていただいた方々に申し訳ない。とりあえず何か読みものでもということで書いてみた。ところが書きはじめると面白くて仕方ない。すでに述べたとおり、この頃の精神状態たるや鬱々としたものであったのだが、書いているときばかりはすべてを忘れて楽しむことができた。

私は子どもの頃から文を書くのが好きであった。(但し読書感想文は嫌いであった)だから大人になれば文を書く仕事に就きたいと思っていた。それは小説家ではなく、評論家や批評家でもなく、好きなことを書いて暮しているような人であって、そういう人になりたいと漠然と考えていたにすぎない。その当時は「エッセイスト」などという洒落た言葉もなかった。どこで聞きかじったのかそれが「随筆家」というものだと知り、ソレになりたいと憧れたのだ。先生や友だちに「大きくなったら何になりたい?」と訊かれると「ズイヒツカ」と答え、友だちには「なにソレ?」と首を傾げられたりした。

小学生の頃にはそんな夢もあったはずだが、人生とは思いどおりにゆかぬものだ。長年のセンセイ稼業に携るうち、その夢はいつのまにか潰えてしまった。その後、病気をして仕事を辞め、堰を切ったように「書きたい願望」があふれ出た。病気も落ち着いたとき、半年ほど長編小説に没頭した。それまで抑えていた願望が洪水のごとくあふれて流れた。しかし、書き上がったものを意気揚々と某文学賞に応募したところ、みごとに「ボツ」であった。「まあ、こんなもんやろ最初やし」と気を取り直して次のものに取りかかろうとするのだが、いつも途中で挫折して最後まで書けない。

そんなことをくり返すうち、やっと気がついた。私には小説なんか書けないのだ。センセイ以外に何の経験もないし単調な人生を送ってきた。ストーリー展開もできなければ種々の人物を描くこともできない。フィクション(架空)の世界を築いていく創造力など皆無なのだ。「書くこと=小説を書くこと」となぜ思い込んでいたのだろうか。子どもの頃、「ズイヒツカ」になりたいと思っていたではないか。遅ればせながらやっと気づいた。

そう云えば、私は読みものは小説よりも評論、随筆、紀行文、ドキュメンタリーなどが好きだ。その他は諸分野の専門的なことがらが書かれた新書などを好んで読む。現代小説には失望することが多くて遠ざかり、好む本の傾向が変わってきた。そもそも小説ばなれしている人間に、小説など書けるわけがない。無理に書こうとシャカリキになる必要もないし、書きたいことを書きたいときに書けばよいのだ。要するに書くことを楽しまなければ損である。こう考えたとたん肩の力が抜けて楽になった。

そんなワケで小説に向かないと悟った私が、自由気ままに身の周りのことなど語りはじめたのが「水無月右近のひとり言」であった。アジやネコからコーヒー、ビートルズ、あるいはセクシュアルマイノリティや鬱にいたるまで、軽いものから重いものまで入り混じっている。良く云えば多様性に富み、悪く云えば種々雑多という感がある。軽いことを書くときは完全にリラックスして書いていたが、重いことや文学的なことを述べるときには下調べや準備が不可欠であった。だが、それも楽しい作業であったのは好きだからこそであろうと思う。

書きはじめてしばらくした頃、今のような刺激のない生活で、皆さんに興味をもって読んでもらえる文を書き続けられるのだろうかと不安を感じた。私の生活ときたら驚くほどシンプルなのである。「猫・庭・本」しかないのだ。自分のことといっても病気のことは書きたくないし、マイノリティの部分は極めて個人的なことなので気がすすまない(これらのことも少しは書いたが)。となるとやはり「猫・庭・本」しかないではないか。これは困った。いや、待て。俳句の高浜虚子も指で小さな輪をつくって云っている。俳句とは小さなところを見るものだ、その小さな世界を見つめてつくるものなのだ、と。これに倣えばよいのである。

行動半径の広さや活動量、それに伴う多くの人々との出会いはたしかに刺激的で心ゆさぶられることも多いであろう。書く材料も豊富に与えられるにちがいない。それは羨しいことである。しかし無いものねだりはよそう。それができないからとて私に何も書けないのだと思いたくない。猫でも庭でも本でも、それらのどこか一点に集中して観察眼を鋭くすれば、深みのある世界が拓けてくるはずだ。狭くとも小さくとも奥深く丁寧に、ものを見つめて考えれば書く材料は無限大でこと欠かない。cosmos(宇宙)はアタマの中にこそ存在するのだ。そう考えて書き続けた。

無理やりこじつけ納得しているが、とにかくこの一年、「ひとり言」を書くのは楽しかった。UPする詩が書けていなかったり、目の具合や体調が悪いと焦ったが、なぜか「ひとり言」は必ず書けるのだという自信があった。そしてどんな状態でも書きはじめると楽しくて、シンドさを忘れることができた。本当に私は書くことが好きなのだと気付かされた日々だった。

一年間、一番楽しんでいたのは右近であるが、二番めに楽しんで下さった「ひとり言」読者の皆さんに心から御礼を申し上げたい。皆さんあってこそ書き続けることができたことは云うまでもない。ここに深く感謝の意を表したい。ありがとうございました。
2003年11月

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