『道行・心中・お初天神』
 

「平成道行考」という詩を書いたとき、私にはある思いがあった。

平成という時代、ジェンダーをさすらいながら、人生という長い旅の道のりを愛する者と歩めればという思いである。まとまった数の恋愛詩を詩集とするのに、タイトルは迷わずこれにした。

例によって広辞苑を開くと、道行とは道を行くこと、旅をすること、そこに至るまでの事の次第、和服用外套の一種、旅して行く道々を叙した韻文体の文章、浄瑠璃や歌舞伎狂言の中の舞踊による旅行場面、主に相愛の男女が連れ立つところから、かけおちの意にも使う、などの説明がある。コレである。道行には単に旅をする途中のみを指さず、あの世への道行、つまり心中をも示唆する意味が元禄時代に芽生えたようだ。私のあの詩は、ちょっとアブナイ詩なのである。

「この世の名残夜も名残、死にに行く身を譬ふれば、仇しが原の道の霜、一足づつに消えてゆく、夢の夢こそあはれなれ」

ご存知、近松門左衛門の「曽根崎心中」は道行のくだりである。死におもむく徳兵衛、お初が天神の森まで行く道中を、素晴らしく抒情的に歌い上げた部分だ。

近松は元禄十六年五月七日初日の竹本座の演目としてこの物語を書いた。当時、庶民の生活に題材を求めた「世話浄瑠璃」が盛んで、これも実際に起こった心中事件をもとに近松が創作をまじえて書き上げた。

近松は、そのほかよく知られた「心中天の網島」を含む合計十の心中ものを書いている。その美化された形に誘惑され、死を選んだ男女もあったとされる。近松も困った御仁である。

佐藤清彦氏著「にっぽん心中考」(文春文庫)には、有名な昭和の坂田山心中、天城山心中ほか有名無名の百組ほどの恋人たちの心中が、これでもかというほどたくさん、しかも丹念に描かれている。読み通すのに相当なエネルギーを要した。氏によると、心中が多く行われた裏には「日本の伝統文化である歌舞伎・浄瑠璃などの世界で情死が多く扱われ、しかも詠嘆調に讃美されるという事情があったことは確か」だそうだ。「それまでは少なかったのが、江戸時代入ってとくに遊郭を舞台に情死が飛躍的に増えてきた」らしい。

遊郭では自由恋愛が成立するようで、その実、義理や金銭でがんじがらめにされ、身動きがとれない。しかも閉鎖的な世界で流行は伝染しやすかったとも。元禄時代に上方で全盛を極めた情死は、享保にかけて江戸にも移る。十七世紀から十八世紀初頭には情死が大流行したという。近松さんも心中文学も罪なことである。しかし当の本人は、「恋で死ぬるは一人もない」死なないことこそ心中だと(心中立て、つまり誓いを守ること)洒落ている。

曾根崎界隈には時々出向く。行きつけのフードバーがあるからだ。その店へ行くのに露ノ天神社、通称「お初天神」の前を通る。不夜城のように賑やかな盛り場の一角に、けっして広くはない空間が、不思議な静けさを保っている。早くビールが飲みたいので行きは素通りをするが、帰りは終電までに時間があれば立ち寄って拝むことにしている。尤も、さがっている絵馬のように恋愛成就を願っているわけではない。ただなんとなく元祖お初徳兵衛さん、物語のお初徳兵衛さんに手を合わせているだけだ。今年の四月七日は心中の日から三百年めであったという。「聞きをさめの鐘の響」も周りの喧噪にかき消され、さぞかし彼らは驚いていることだろう。

最近では情死は少なくなった。それは喜ぶべきことである。が、愛することを簡単にあきらめて次の恋へとすぐ向かう風潮を危惧しないでもない。近頃の謎の共同心中にも胸が痛む。

究極の愛とはいかなるものであろうか。成就してもしなくても生きぬき愛しぬいてこその、死よりも凄まじい愛のかたちは数えきれずある。それらはみな美しく逞しい。佐藤氏曰く、「いまの心中は、せめて豊かな『心の中』だけの心中であって欲しい」

同感である。いかなる困難があろうとも、恋も人生もゆっくり歩きたいものである。どうかどうかくれぐれも生き急ぐことなかれ。
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