「遁世という生き方(その一)」

九人の書き手による「西行と兼好」(ウエッジ選書9)という本の頁を開くと、「遁世という生き方」と題する小松和彦氏の文が巻頭に掲げられていた。20ページほどのその文は分かりやすく説得力がある。簡潔で巧みな文章に、吸い込まれるように読んでしまった。その内容を要約するかたちで紹介したい。

一、「世」の構造

「世」とか「世の中」という言葉は人々が生きていくために作り出し、継承してきた生活の場であり、 それは「社会」であり「世間」である。死後の世界である「あの世」に対しては「この世」のことである。

「世」は複雑に構成されている。家庭も「世」、親族も「世」、ムラやマチも「世」、クニや国家も「世」である。そして友人や仕事仲間などの集団も「世」である。私たちが生きていくために所属している集団は、すべて「世」なのである。

「世」には上下貴賤があり、重層的な構造をもっていた。どの階層に生まれ、どんな生業をもつかにより属する「世」は異なり、「世」の範囲、つまり「世の中」も異なってきた。こうした「世」の構造を図式化すると「円錐」で示される。上方には政治的権力や経済力などの「力」をもつ人々の「世」があり、下方にいたるほど「力」から無縁の「世」がある。

ほとんどの人は、この円錐状の「世の中」での位置が決まっていたが、なかには運と能力に恵まれて「円錐」の下方から上方へと上昇してゆく人びともいた。それが「出世」である。この熟語の成り立ちからは、自分の属している「世」を抜け出ると解されるが、「出世」で意識される「世」は上位の「世」である。すなわち「出世」とは、これまで属していた狭い「世」から出て、もっと広く上位の「世」に入っていくという意味であった。

そして、この複雑な構造体である「円錐」の外側には、「死」もしくは「死後」(誕生以前も含む)の世界がある。生者の世界を「この世」と呼び、そこを「あの世」と呼んだのである。

二、「世」を捨てる人びと

円錐模型図をさらに精緻なものにすると、生者の世界(=「この世」)と死者の世界(=「あの世」)の境界域、すなわち円錐面の内側または外側には、「この世」のさまざまな「世」から逃走し、家族や親族が普通に暮らす「世」を捨てた人びとがいた。それら「世捨て」をおこなった人びとは、あらゆる階層に及ぶ。貴族や武士に限らず農民や職人も、諸事情で自分たちの「世」を捨てることがあった。

「世」を捨てた人びとは、いろいろな呼称で括られてきた。方の外側に出ていることから「無法者」、「あぶれ者」と呼ばれることもある。制度や価値観の外側にいることから、今ふうに言えば「アウトサイダー(制外者)」と呼ぶこともできる。農民が集団でムラを捨てて逃げる「逃散」も、政治的な敗者が山に隠棲する場合も「世捨て」である。

仏教では通常の生き方をする人びとの世界を「俗世」とか「穢土(えど)」とみなして軽蔑した。死後の世界を「浄土」とみなし、死を迎える以前から「世」に遠ざかることを選んだ。このように仏教修行に専心する生き方を選ぶのも「世捨て」であった。とりわけ「聖(ひじり)」と呼ばれる人びとは、国家統制下にある仏教の、さらに外側にはみ出し修行を追求した。

これらの「世捨て人」や「遁世者」が多く生み出されるのは「乱世」の時代であった。これまでの「世」の法や社会制度が崩れ、人びとが己の主義主張や欲望をむき出しにして争うからである。既存の秩序や価値観に幸福を見いだしえなくなったとき、人は現実から逃れ、批判するために「世」を捨てるのである。

………以上が『遁世という生き方』一・二の要約である。

如何であろうか。私は「世」とは漠然と社会や世間のことだと考えていた。身分、境遇、人間関係などもそれぞれの「世」であるという考えは、「目からウロコ」であった。したがって、世をはかなんで出家する修行者のみならず、今も昔も誰もが「世」を捨てうるのだ。では、現在ほとんど人と関わらずに静かに暮らしている私も、「この世」と「あの世」の中間あたりで詩や歌を詠む「世捨て人」の仲間だろうか。いやいや、こうして文明の利器から皆さんに語りかけているところをみれば、私は俗世に生きる迷い多き一介の衆生なのである。     
つづく
2003年6月
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