「トランスヴェスタイトは愉し」

TV(トランスヴェスタイト〈異性装者〉)になってから五年ほどになる。少しばかり苦労もあるが、それまでよりも装う愉しみがふえたのは事実である。今日はトランスヴェスタイトとしての内幕を少しだけお見せしよう。

☆妥協できないこだわり
ファッション都市神戸育ちながら、女時代に盛んにお洒落をしたかと云えばそうでもない。ただ、Simple is best. という生き方のポリシーは服装においても持っていた。マニッシュな服装をするようになってからも、それは変わらない。色は昔から好きな黒、紺、グレー、ベージュ系に限られ、形は流行に左右されない「定番」を基本にシンプルに装うことを旨としている。

女時代からパンツスタイルが好きでパンツスーツをよく着用した。パンツのみを購入するときも形や生地の材質にはこだわりがあった。妥協はせず、穿いてみて完全に気に入るものでなければ決して買わなかった。現在はそれがもっと昂じ、ひたすら形の美しい男っぽいパンツを物色している。とは云え私は病弱につき、もっぱら海外系のアパレルメーカーの日本人サイズ版をカタログで購入することが多い。そのメーカーは定番のカッチリしたジャケットやストレートのパンツを常に生産しているので重宝している。身体に合ったものを着たいので、もちろん「レディス」であるが抵抗はない。私は肩巾が広く、上は11号か時に13号、下は7号か9号で男っぽい装いには持ってこいの「逆三」体型なのである。

☆TV化して楽になったこと
女性の方々はよくお判りであろうが、出かけるときには女性のお洒落は大変である。まず服を決め、どのバッグや靴を合わせるか決めたりアクセサリーも選ばなければならない。当然のことながら、たいていの女性のクロゼットには多すぎる衣類や小物類がギッシリと詰まっているのではなかろうか。例にもれず私もそうであった。ところが今はどうだろう。衣装ケースもクロゼットも三面鏡の引き出しも、みごとにスッキリしている。ここ数年のあいだに人に貰ってもらい、必要なものしかない。身のまわりはとてもシンプルになった。

出かける際の「男」の身支度は簡単である。スーツに合うシャツの色を決め、どのアスコットタイかネクタイかを決めるくらいなのだ。靴はたいてい黒のローファー、ポーチは愛用のこれも黒というふうに単純きわまりない。その代り、シャツのアイロン、ズボンのプレスには気を使わなければならない。それはそれで翌日お洒落をして出かけることを考えて気もそぞろ、前夜の愉しい作業なのである。

☆苦労も少しばかり
私が生まれもった身体でTVをやるには多少の困った点がある。私は「女」であることを否定しないから、身体は女のままである。公の場で云うのは憚られるが、つまり胸が男のように扁平ではないということだ。たいしたモノではないが一応の出っ張りがある。これが悩みのタネである。シャツを着てネクタイをしめた胸は、あくまで平らであってほしいのだ。FTMの皆さんが苦労するように、私も平らにしてTVをやっているのである。これは夏の暑い時期には大変なことで、夏はFTMTV泣かせの季節である。秋になってホッとしている。(注・私は正確にはGIDのFTM〈女から男へ〉ではない。)

いまひとつの苦労はサイズである。カタログは「メンズ」の方に着たい服が多くあるのだが、みな私には大きい。シャツもジャケットもパンツも駄目、今のネクタイの巾は私には太すぎて仕立て直さなければ締められない。わずかにカジュアルウェアのコートやTシャツに「XS」があるばかりだ。しかたなく女もののなかから男っぽいものを苦労して探している。近頃は「ユニセックス」として男女どちらもが着られるデザインの服を両性のサイズで売っている。しかし私はTVである。異性装主義者である。どちらもが着れるようなデザインの服には魅力を感じない。明らかに男寄りだというお洒落がしたいのだ。メンズウェア業界にお願いする。どうかSやXSサイズをもっと製造してもらえないだろうか。

☆男装への経緯
TV化した理由はいくつか考えられる。幼い頃から男でありたかった気持ちがあったことから始まる。それは性同一性障害の人がもつ違和感からではなく、男中心の家族や社会の中で感じ続けた「女であることの理不尽さ」によるものだ。女は男より下である、女は男に従わなければならない、だから女は損である。その思いは消えなかった。

仕事にのめり込むほどに私は女であることを忘れた。女の先生は駄目だと云われたくない気持ちは強く、能力的に何ら男に劣るところのない自分でありたいと思った。それは人に対してではなく自身に対しての確認である。スカートを穿かなくなりジーンズで仕事に明け暮れた。外出着も肌を出さなくてよいパンツスーツ、夏でも長袖を着て腕を露出しなかった。顔や声は仕方がないとして、外見から判断される「女的要素」を一つ一つ外し、「女」ではなく「人間」であろうとしたのだ。

性の仕切りを取り払い、TV化を一気に加速させたのは膠原病を持ったことである。具体的に死を意識したとき、残りの人生は自由に生きなければと思い、突如としてすべてのものから解放された。「女」として生きてきた過去や、現在も切り離せない女の感性をもつ私、特に「男」になりたいとは望まない(望めない)私。その私の落ち着く先、それがトランスヴェスタイトであった。私はここを安住の地と決めようとしている。

☆男装の心地よさ
男装すると気持ちが引きしまり心地よい。街を歩いても人の視線を浴びると背中がピンとなる。言葉もしぐさも感性までもが自然に男になってゆく。それはたまらなく快感である。男装といっても顔は女だし私は化粧もする。そんなところからFTMTVの場合は単なるファッションと受けとめられることも多いようだ。しかしやっぱりジロジロ見られる。私をじっと見る人たちは何を思っているのだろうか。「カッコイイ」「ステキ」なら嬉しいが、「きもちワルイ」もあるだろう。「男?女?」もあれば「なんだ女のくせに」もあろうかと思う。人がどう見ても関係ない。私は私である。誰にも何にも媚びない服装で自己主張したとて誰に迷惑をかけるものでもない。

ともあれ女時代には女性のお洒落も適度に愉しみ、現在は男性の(ような)お洒落を愉しんでいる。人生においていろいろな装う悦びに恵まれ得をした気分である。秋になると服が欲しくなるのは性別に関係なく皆さんと同じである。冬が近づくと早くコートが着たくてたまらない。今年は久しぶりに男っぽいトレンチを買おう。今ごろになってやっと自分に褒美を与える悦びを知った次第である。

 秋風が吹いて今宵は気もそぞろ
     男を着る我れトランスヴェスタイト
水無月右近

2003年10月

前のひとり言 次のひとり言

ひとり言 INDEXへ