「うつとの闘い(その一)」

昨年のちょうど今頃、私はひどい鬱状態にあった。したがって夏の終わりの空気や匂いや音などが、一年前の苦しみを甦らせ苦い思いが込みあげる。

信じて疑わなかった身近な人間の裏切りに、奈落の底へ突き落とされたのは去年の七月下旬のことだった。発覚の当日は怒りをぶちまけたが、翌日には自分に言い聞かせた。これは済んだことだ、長い人生いろいろあるのだと立て直そうと努めた。私はことの重大さがまだ分かっていなかった。日を追うにつれ受けた傷はじわりじわりと私の精神を深く蝕みはじめていたのだ。

発覚直後の一ヶ月の間に私は鬱病になっていった。その間これは悪夢だ、忘れ去るべきなのだと悲しみや怒りを外に出さずに封じ込めようとした。家事も普通に毎日こなし、家族の前では平静を装った。しかし抑鬱状態を内に蓄積し、表向きには明るくしているという無理は、そう続くものではなかった。生まれたばかりの子猫の世話をする母猫を手伝い、もらい手探しのため電話で人と話したり会ったりもしなければならなかった。普段なら何でもないことが、対人恐怖症のようになり億劫なことになった。さすがに誰もいない昼間には無気力になり、ソファに横たわり考え込んでは沈み込んでいた。夕方になれば心身に鞭うつように起き上がり、食事を作った。しかし八月末日、最後の子猫をもらい手に届けたその日、何も口にすることができなくなり部屋に籠もって布団に伏した。

慌てたのは加害者の男である。何を運んできても食べる気がしない。なぜなら彼に対する嫌悪感は最高潮に達し、顔を見ても反吐が出そうだったからである。結婚以来、真面目で優しく子ぼんのうと自他ともに認める男であった。それが私のセクシュアリティが「100%女」である頃に、椎間板ヘルニアが治りきらずに悩み、膠原病を発病して頼りきっていた時期に数年間も女にノボせていたのである。それを知った私の受けた衝撃は想像に難くないと思う。そんな男だと知らずに信頼し、長年暮らしたことを私は深く後悔した。それが見抜けず騙され続けた自分を恥じた。

生存意欲を失うと食欲は湧かないものだ。空腹感が全くない。(それは修験道の悟りの境地に似ているか)二日目になると、ただでも夏は痩せているが、体重はさらに減少していくのがわかった。水分だけは身体が要求するので口にして静かに横たわっていた。このまま何も食べなければ、いつか死ねる。そんなことを本気で望んでいたのである。困り果てた夫は嫁いだ長女に連絡をとり助けを求めた。驚いてやってきた彼女が持ってきた寿司とあんパンを三日めに口にした。

娘たちに話すことで大きな胸のつかえは取れた。けれどもそれですべてが解消されたわけではなかった。二人とも気遣ってくれたが、私は心の奥の奥まで語ることを控えた。あくまで親として毅然としたところを保ち、悲しみや憎しみを現物大で見せることはしなかった。全く駄目な自分をさらけ出すことが嫌だったのだ。したがって依然として一人で考え込む日が続いた。気分転換のために旅行でもしたいと思ったが、当時の経済状況はそれを許さなかった。ソファで寝そべって悶々としているしかなかったのだ。

そのうち私はあることに気がついた。仕事を辞めて私が無収入になってから、家計は急に苦しくなった。それは二軒の不動産を所有しているせいもあるからだと慰められ納得していた。そのまま信じていたが何か変だ。なぜならマンションの方は大部分返済済みで月一万ほどの支払いのみだったからだ。不動産のために苦しいというのは妙な話だ。追求するとそれは口実で多額の借金があることを白状した。私の収入がなくなり二十数年ぶりに夫の収入から感謝して受け取っていた生活費は、彼が月末になるとカード会社に返済、借金をくり返して捻出したものだったのだ。給料は借金の返済にすべて消えていた。我が家の預貯金はゼロどころかマイナス七百万円だったのである。それはすべて浪費、遊興費であった。家のローンもまだ半分ほども残っているというのに。目まいがした。

鬱は当然ひどくなった。共に懸命に働いて幸せな家庭を築き、二人の娘たちを育てあげたというささやかな自負が私にはあった。しかし片方の車輪は欺きながら回転していたのだ。それを知らず突っ走ってきた私の人生とは何だったのだろうか。あの男はもう一つ全く別の顔を持っていたのか。そんな奴と長い年月を共にしたのか。ここで終止符を打つべきか。しかし……。年令はともかく、病気を持っていることがあの時ほど口惜しいと思ったことはなかった。元気でさえあればすぐに別れ、確実に仕事を再開しただろう。

真夜中になるとジーンズから皮ベルトを抜き、それを手にして47kgの体重に耐えうる梁を探した。鈍く光る刺身包丁は枕の下に置かれていた。それは時々、腹や胸の上に寝かされその冷たさを肌に伝えてきた。衝動的に外へ出たくなったが、今ハンドルを握ると確実にあの坂の下の正面の石垣に猛スピードで激突させてしまう。あるいは海に向かって走り出してしまう。そんな誘惑とも妄想ともわからぬものに悩まされた。そんな時、私はまちがいなく生と死の両方の囁きを聴いていたのだ。

鬱との闘い、それはまぎれもなく死神の甘い誘惑との闘いであった。
(続く)

2003年9月

前のひとり言 次のひとり言

ひとり言 INDEXへ