「“新たなる道行き”に出発」

今夏、夫を亡くすという不幸を経験した。それは人生で最大の悲しいできごとであった。その悲しみはまだ癒えていない。いつ癒えるとも分からない。しかし私は生きている。天命を全うするまで、この悲しみを抱えて生きなければならないのだ。

運命とは残酷である。この言葉を私は初めて心の底から噛みしめた。空気のように、水のように私に必要であった人を何の予告もなく奪ってしまうのだから。亀裂が入ってしまった私たちの関係が、やっと修復されつつあった時にである。あわただしく密葬を済ませ、そのあとは事後処理に追われた。四十九日を過ぎてなお、するべきことがいろいろあった。そのため悲しみに浸りきることがなく今日まできた。それは良いことと人は云うが私はそうは思わない。

いつまでも悲しんでいると故人が悲しむと人は云う。あなたが元気でいると故人は喜ぶのだとも。こんな慰めは何の威力もないと知っていたから、人に対して私はこの言葉を口にしたことがない。悲しみは悲しみきらなければならない。そうしなければ、頭を上げることも一歩を踏み出すこともできない。中途半端に悲しんだのでは、いつまでも尾を引くだろうし、歩きはじめてもじき息切れがして立ち止まってしまうだろう。だから私は、まだまだ悲しみ続けたい。

悲しみに圧し潰されそうな時がある。どうしようもなくつらい時がある。投げやりになり、あとを追いたい、この世から消えてしまいたいと思うことがある。しかし私がそれを実行しないのは何故か。何が危険な考えを抑止する力となっているのか。それは私の内にあるのではなく、周りから与えられる力である。もし私がそのような莫迦なことをしたならば、娘たちの嘆きはいかばかりであろうか。親兄弟、友人、知人、教え子たち。そして「平成道行考」に来てくださっている皆さん。身近な人もさることながら、この度私は皆さんにどれだけ勇気づけられたことだろう。私と彼にとって、このサイトがどんなものであったかを、皆さんにぜひ語っておきたい。

サイト内を隅々まで読んでいただくと、立ち上げたいきさつや、私の考え及びセクシュアリティ、二年前に起きたことやそれ以後の立ち直る過程を理解していただける。スタート時は限定された目的であり、対象とする閲覧者の皆さんも私が限定している傾向があった。しかし二年の間にその枠を越えてさまざまな人びとに来ていただけるようになった。これは本当に嬉しいことである。すべての仕切りを取り払って人とつながることこそ私の望むところであるからだ。

ホームページ開設に際し、亡き夫 Hiroshi に頼るところが大きかった。いや、すべてを頼っていた。私は原稿用紙に詩や文を書くことしか能がないのである。加えてパソコンにも全く興味がなく、機械という機械は、すべて苦手な人間である。したがって彼の力なしにサイト運営は不可能であった。私の“うつ”の原因をつくったのは自分であるという責任を感じ、私が意欲的に何かしようとすることに彼は労を惜しまなかった。「怨憎詩集」や「ひとり言」に自分のことが書かれても、黙々と淡々と、毎週の更新を続けて私を支えた。

二年の間、私たちはホームページでのみつながっていたといえる。私たちは一階と二階に分れて生活し、会話もなかった。互いに用がある時だけ目を合わさないで言葉を交した。しかし私は、毎日かならずおいしい夕食を作り、彼がひとりで食べるのを遠目に見ていた。彼はたいていまっすぐ家に帰った。特に金曜日は出張も外し、一生懸命に急いで家に帰ってきた。パソコンの前に二人で座り、私はあれこれ指示をする。彼は無言でそれに従い、私の要求を満たしてくれた。言葉すくなではあったし、笑顔も冗談もなかったが、私たちの間には連帯感があった。信頼も愛情もあったのだ。

その重要なパートナーを失ってしまった。ホームページのみならず、私は人生のパートナーを失ったのだ。しかも二度と会えない、帰ってこないという失い方である。どう捉えてよいかわからないほど私は混乱した。「嘘でしょ」という思い、「なんで居ないの」という疑問は今も強い。それでも私は前を向き、まずホームページを再開しなければならない。なぜなら「平成道行考」は、彼が私のために築いたものだからだ。二人で守ってきたものだからだ。彼の遺志は「継続」にちがいない。

再開を決意した矢先、プロバイダーとの行き違いで契約解除に伴いサイトを閉じられてしまった。いきなり暗礁に乗り上げ、身動きできなくなってしまった。だがじっとしていては何もはじまらない。四方八方、何も分からない私が考えうることすべてに手を尽くし、やっと現在の状態まで復帰できた。アクセスできない状態になり、驚かせたり心配させたり、皆さんには本当に申し訳なかったと思っている。(しかし当の私がいちばん驚き、案じていた。)「やっと辿り着きました」の嬉しい書き込みに喜び、カウンターの数字に喜び、一喜一憂しながらも日々皆さんが戻ってきてくださっていることを感じて喜んだ。感謝の気持ちでいっぱいである。

「平成道行考」の縁の下の力持ちは、私をおいてサッサと別の旅路を歩んでしまった。これから私は一人でこの旅を続けなければならない。しんどくなったらどうしよう。荷物が重くて持てなかったらどうしよう。不安でいっぱいであるが、私は見切り発車をして動きだした。悲しみながら、書きながら、悪戦苦闘しながらも、皆さんがいる限り、言葉を出しつづけようと考えている。

ひとりではない。 Hiroshi は私に寄りそっている。皆さんの多くの温い手はディスプレイから差しのべられている。頑張らなければどうするのだ。今ほどこの言葉を切実な気持ちで口にすることはなかった。

「この平成の道行きの よろしかったら同道を」

水無月右近、新たなる平成の道行きに出発である。

2004年10月


前のひとり言 次のひとり言

ひとり言 INDEXへ