「元祖『水無月右近のひとり言』(その二)」

「FTM日本」33号から九ヶ月後、36号に掲載された文をご紹介しよう。両方ともにまるでカムアウトした文となっている。36号の文を書いた頃は、家庭内の問題も諦めによって落ち着きつつあった。自分を鼓舞するつもりで私はこれを書いたのだろうか。ようやくひどい鬱状態から脱出できそうな時期だと記憶する。

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『拝啓 春爛漫となりました』
              「FTM日本」36号より抜粋
同志の皆さんへ

33号で初めて自分を語り賛同や激励の言葉をいただいた。心ひらけばおのずと人は集まってくれるもの。それを痛感した。今号では前回語りきれなかったことを補いたい。

私は病気を持つ身体ゆえ、精神性を重んじる考えを述べた。しかしもうひとつ別の意図もあった。GIDに悩む若者たちがふえているが、今一度、ホルモン療法や胸の手術に関して熟慮してはどうかという忠告を込めていた。虎井さんをはじめ幼い頃からGIDに真剣に悩んできた方々には、それらの治療は切実で必要不可欠のものだと思う。だが本当に必要かどうか不明確なまま処置を受け、自身を追いつめ混乱している若い人を見てきた。しかも彼らのほとんどが社会的に自立していない。精神力、思考力、体力、生活力等が確立されないまま、ただ体を変えたいと先走りすることは徒に自ら重圧を加えるだけである。何よりもまず強い精神力と体力を有し、男として自活の道を歩める自信のある者のみが自身にGOサインを出すべきではないだろうか。それらの条件がみたされないうちは、将来の選択肢は複数がよい。若い人を育て、今も若い人に囲まれることが多い私の老婆心ならぬ老翁心と思っていただいてよい。

もし私が健康で若ければ、同じように悩むだろう。悩んだ結果、体を変える選択をするかもしれない。しかし諸事情のもと、現在の私は心身ともに何が何でも男でありたいとは思わない立場にある。私はGIDではないのだと思う。思春期より男願望はあったし女の子ばかり好きになった。けれども当時はGIDという言葉すらなく知識もなかった。自分のセクシュアリィティーに疑問を感じながらも曖昧なまま大人になり、結婚もし2児をもうけた。社会人になってからは女の先生として長年英語指導にあたった。いつのまにか私は女であることに疑問を感じず、妻として母として女講師として長い年月過ごすことになる。それは私の人生の壮年期にあたり、充実した日々となった。

とは云え仕事によって私は男化した。雇われた「女の先生」は、社内での扱いや制限された仕事の内容に不満を感じ、辞めて自分で塾を開いたことはすでに述べた。私が独自で始めたことは私一人の責任において成されなければならない。女だからと許されない。やっぱり女の先生は駄目だと云われたくない。何があっても休講にせず頑張った。仕事に男も女もないが、男が上とされる今の世の中で、仕事の上では男だと思われたかった。つまりその頃の私は体や服装よりも能力的に男でありたかったのだ。そして約20年後、発病して床に伏していた時、膠原病治療のため男性ホルモンが増えたことも手伝って心身ともに男としての欲望を感じ、自分の中に男が根づき浸透していくのを意識した。

意識しはじめた当初は態度や言葉で無理に男っぽくあろうとし、何もいじれない自分の身体を嘆いた。今でもホルモン注射を完全に諦めたと云えば嘘になる。たとえ一年間だけでも低い声で無精髭を撫でてみたいものだと思う。しかし現在、私の中で「したいこと」の第一位は書くことになった。病弱な身体に無理をさせ、書けなくなってしまうなら私はこのままでいい。これでいい。下手ながら一篇でも多く詩や小説を一日でも長く書いていき、私を愛してくれる人のために遺したい。この願望の前には何ものも屈服させられる。だから「男」が騒いでも、この身体に甘んじたい。また、詩や文を書くときは男女両方の心に自然になっている。書く上でも揺れ動く性はむしろ好都合なことが多い。だから自分の中から「女」を追い出そうと思わない。気の向くままに性を遊ばせておくことは気楽である。ただ服装と恋愛だけは「女」に戻ることはない。男装を愛し女性を愛し、私はそれで満足している。

FTM日本を講読しはじめた頃、男でありたいと願う人たちに気圧された。女として疑問を感じず長く生きてきたことや、その結果としてある自分の状況に負い目を感じた。しかし今は違う。過ごした半生を後悔も否定もしたくはない。女として生きた自分の過去に誇りをもっている。そして、これからの人生はあるがままの性を肯定したい。死を睨んで生きるとは、自身に忠実に生きることだ。心のおもむくまま自由に生きたいものだ。病むベッドの上で虎井さんの姿をテレビで観て以来、おそまきながら私の「ジェンダーをさすらう旅」は始まった。何にも誰にも臆さず、正々堂々と生きたいと思う。悔いなき日々を生きたいと思う。水無月右近、半世紀を生き抜いた。怖いものは何もない。隠すものも何もない。これからは渋さを目ざしたいものだ。

病める同志、健やかなる同志、ともに手をつなごうではないか。人生かならずや薔薇色なりと信じたい。

      2003年4月
                    水無月右近

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何も隠さず述べているようで、実は一つだけ伏せていたことがあった。それは夫との関係で「女」であることの理不尽さを痛感していたことには触れなかったということだ。様々な事情を克服し、前向きな文を外へ発信して健全な自分を取り戻そうとしていることがうかがえる。その夫Hiroshiはこの一年四ヶ月後の2004年8月に急逝する。私はここにきて激動の人生に翻弄されている。

過去に書いたものを読むと恥ずかしく、懐しく、過ぎ去ったことはすべてが夢物語であったような気がするのは不思議である。
2005年4月


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