「はじめてのアルバイト」

学生時代にはさまざまなアルバイトをした。かならず驚かれるが、生涯で最初のそれはバスガイドであった。

Y学園を卒業し、京都にある大学に入学するまでの短い間のことであるが、それは貴重な経験となった。きっかけは、家から歩いて3分ほどのところにあったバス会社がアルバイトのバスガイドを募集していることを知ったことである。ちょうど私は時間をもて余しており、小遣い稼ぎをしたいと思っていたところだった。その会社が近所であったところから、気楽に応募してみたわけである。

人事担当者は柔和な感じのする背が高い、ちょっとした男前の中年男性であった。会社側は短期アルバイトの人員を求めていたのではなかったが、私の事情を理解し、それでも構わないからと採用してくれた。その男性は雑談で、「ボクも実は…」と私が進学する大学と同じ系列(というか創設者が同じ、というか隣あわせ)の大学を出たのだと話し、そのことがひいき目になったのかと思ったりもした。

後日、講習を受けるために再び出向いた。いくぶん緊張気味で控室で待っていると、なんと旧友“D”(No.14参照)がいるではないか。びっくり仰天、そばに行って「何してるん、こんなトコで」と小声で言うと、DはDで私の方こそと驚いている。どちらもキャピキャピした性格ではなかったから、歓声をあげるでもなくボソッと言葉を交しただけであった。Dとは何かにつけ縁があったのだ。

何度か講習を受け、挨拶、掃除、接客などの方法を教わった。笛を吹きながらのバスの誘導も訓練を受けた。それらはみなとても興味ぶかく楽しいものであった。私たちアルバイトを指導してくれた三十前後の美しい女性は、スタイルも抜群の魅力的な人であった。ベテランバスガイドというキャリアがいっそう輝かせ、彼女は運転手さんたちにだけでなく、会社じゅうの男性たちにとってのアイドルであるように見うけられた。

初出勤の日が来た。いよいよバスガイドデビューである。緊張感とともに、はやる気持ちでワクワクしながら仕事場へと赴いた。バスの発着場は面接試験を受けた営業所ではなく、電車で四駅の神戸の中心地、三宮にあった。その日は早起きをしてそこへ出向いた。まずは控室で紺色のステキな制服に着替え、帽子を心もち斜めにして被った。それをピンで留めれば身づくろいの準備完了である。次に、お茶のポットをもらいに行き、バスの清掃が完全であるか車内を点検したり備品がそろっているかを確認する。

運転手さんがやってきたら名を名乗り、よろしくお願いしますと挨拶した。初仕事のときの運転手さんの顔も名前も覚えていないが、無口で優しい人であったと記憶している。その日の仕事は解説が不要の“送迎”であった。バス会社は観光地への往復ばかりでなく、指定の場所への送迎のみの仕事も請け負っていた。初めて乗車するシンマイに、軽めの仕事を与えてくれたのは会社の配慮であったのだろう。

「発車オーライ」、いざ出発。バスは動きだした。依頼された会社は明石かどこかにあり、まずはそこまで迎えに行く。初めてのことだけに、運転手さんと二人で乗っていることだけで緊張した。依頼主である工場に着き、いよいよ客を迎える時がきた。バスから降り、ひとりひとりに笑顔で会釈し「おはようございます」をくり返す。なんと客は男ばかり、入社式に出席するための新卒入寮者たちであった。彼らは私と同じ年齢で社会へ出るのだった。

全員が着席し、バスが動きだすと同時にマイクを手に取った。全員の眼が自分の全身に釘づけになっている。私は花も恥じらう18才。しかも女子高あがり、もちろんまだ今のように男化していない。男、男、男に圧倒された。しかし頑張らねばと自分にハッパをかけ、マニュアルどおりのことを喋りはじめた。途中、ひやかしの言葉も飛んできたが、笑顔でかわした。喋り終えると運転手さんが声をかけてくれた。それで私はガイド席に腰をおろし、力が抜けて汗を拭いた。

そんな私でも回を重ねるごとに仕事に慣れ、余裕をもって臨めるようになった。神戸近辺の観光地を中心に、春の好楽シーズンを、あちらこちらとバスに揺られた。私たちアルバイトのガイドは観光地の説明を暗記しなくてよく、会社が作った小冊子を読むことが許されていた。しかし、ただ読むのでなく、身振り手振りや表情で、客に楽しく聞いてもらえるよう気配りが必要であった。慣れるにしたがい、観光地への往復という、人びとの楽しい時間を共に過ごし、その手伝いができることに喜びを見い出すようになり、予定の日数を楽しんで頑張ったのだった。

入学式が済んでからもアルバイトはしばらく続けた。土日や祝日のうち、出られる時だけでもと引き留めてくださったのだ。しかし、演劇活動を始めたり、京都への通学の疲れで体力的にも時間的にも無理になり、辞めた。振り返れば懐しい。三ヶ月少々のこの経験は、私に大切なものを与えてくれた。高校を出たばかりの右も左も判らない未熟な私に、大人たちは皆、とても優しくしてくれ、お客さんたちはシンマイガイドに皆、とても温かかった。

このアルバイトをして、いろいろな人びとに出会った。ネンネであった私には、キャリア(専門的技能)を持つ大人たちが、皆カッコよく見えた。人事担当者、教官、運転手さん、正社員のバスガイドさん。それから、忘れられないのは外国人のツアーを引率していた四十代くらいの“ガイド”さんであった。これから英文科の学生になる私にとって、彼女が話す流暢な英語は惚れぼれするものであった。“英語ガイド”の国家試験合格は弁護士同様に最難関とされているのだ。

勤務時間内に長い時間を共にしたのは、あたりまえだが運転手さんたちである。彼らは皆、例外なく優しかった。客を乗せている時は喋ることができないが、カラのバスで営業所に帰る途中、よく話を聞かせてくれた。家族のこと、仕事のこと、若い頃の話など。夕やけに染まる空を見ながら、ガイド席でそれらの話に耳を傾けるのは、とても贅沢なことであった。それは、ひとりの男の人生や哀愁を、特別席で覗かせてもらうことであったから。

その後、私はいろいろなアルバイトをしたが、バスガイドというこの仕事が、最も鮮やかに懐しく甦える記憶として残っている。労働の喜びと、それによって報酬を得る喜びを教えてくれた最初の体験である。今にして思えば、あれが私の“社会への船出”であったのである。

あのとき出会った人びとは、皆どうしているのだろうか。誰かれなしに写真を撮り、私の制服姿も一枚くらい撮ってもらっておけばよかった。そうすれば、女時代の思い出の写真となること間違いなしであったのに。口惜しがることしきりのオトコ水無月右近である。
2004年4月


前のひとり言 次のひとり言

ひとり言 INDEXへ