「『歩き遍路』への挑戦(その一)」

四月から長期計画で「歩き遍路」に挑戦することにした。

遍路とは「空海の修行の遺跡である四国八十八ヶ所の霊場などを巡拝(じゅんぱい)すること。また、その人」である。(広辞苑)弘法大師すなわち空海が開いた霊跡を巡る四国遍路は、衛門三郎が自らの非を詫びるために、大師の後を追って四国を回ったのが最初であるとされている。

ある僧が富豪の衛門三郎に布施を願い出たが、彼は僧のもっていた鉢を叩き割ってしまった。その翌日から彼の8人の子が次々と亡くなる。これには強欲な衛門三郎も衝撃を受け、自分が乱暴を働いた僧が弘法大師だったことに気づき、懺悔と許しを乞うため四国各地に大師を追い求める。衛門三郎は死の間際に大師に再会し、自分の非を詫びると、大師は「衛門三郎」と書いた石を握らせる。衛門三郎は十二番札所「焼山寺」近くに葬られるが、領主河野家にその石を握った子が生まれる。衛門三郎が転生したのである。その石は現「石手寺」に納められ、寺宝となっている。〈週刊『四国遍路の旅』(講談社)付録「遍路の手引き」より〉

その後、西行や山頭火も大師の旧跡を訪ね歩き、今日にいたるまで有名無名の善男善女たちが歩き続けている。そして今、私もその道を歩こうとしている。きっかけは勿論、Hiroshiの死である。さまざまな悔いを残し、一歩も前へ進めなくなっていた私にはこれしかないと思ったのだ。明けても悔い、暮れても悔いで、にっちもさっちもいかなくなり、このままでは圧し潰されてしまうのではないかと思うほど私は苦しんだ。喪失の悲しみよりも悔いという苦しみの方が大きく、今もってそれらは少しも軽減されない。

もろもろの悔いは消えることはないであろうし、許され解放されることも望んでいない。悔いや苦しみ、悲しみを抱え、私はまだ生きなければならない。せめて何か行動をして償いながら、少しずつでも前進しなければならない。そう考えるとき、遍路が最もふさわしいことのように思えた。しかし私になどできるわけがないと最初はあきらめた。けれどもあきらめきれない。そこで私はビョーキ持ちにでもできる遍路の方法を探しはじめたのだ。

遍路とひと口に云っても、「歩き遍路」以外にも様々な方法がある。クルマ遍路、バス遍路、バイク遍路、自転車遍路から乗合いタクシー遍路まである。これらは乗物を使って四国一周をする遍路である。各旅行社が一年で八十八ヶ所を巡るツアーを盛んに宣伝しているが、それらは寺から寺をバスで移動するものがほとんどだ。一部に歩きを加えているプランもあるが、大部分はバスに揺られての巡拝である。

インターネットでは、一人で「歩き遍路」をした人のホームページが多く見られる。私も団体よりは一人で行動するのが好きな人間である。それらを見ているうち、私も単独での歩き遍路がしたくなった。しかし、どの人も健康そのもののように見受けられ、私のような病弱系の人は見あたらない。ある人は歩き続けて四十日ほどで結願(けちがん=八十八ヶ所すべてを回り終えること)している。またある人は1年、3年、8年など結願までの期間は長短さまざまである。何度巡ったかということもさまざまである。かならず年に一巡する人や、これで何度めというふうに、巡拝回数を重ねている人も多い。

さて私はどうしたものか。三月に創刊号が出た講談社の週刊「四国遍路の旅」をさっそく全巻予約し、届いたものから精読しているが、私の「一人歩き遍路」は非常に厳しいものがあると次第に分かってきた。若ければ可能である。健康であれば可能である。若くて健康であれば鬼に金棒である。私は若くもなく健康でもない。はてさてどうしたものか。ハンデは長期計画で埋められないものか。死ぬまでに結願するくらいのつもりで、少しずつ進めばいいではないか。そう考えて心は遍路へと駆り立てられた。

ところがである。この話を人にすると、皆が「無茶な」とか「無理でしょ」と云う。山道で行倒れたらどうするのだと猛反対をする。実際、真念という僧は、弘法大師800年忌(1635年)頃から大師に帰依して四国遍路を続け、20余度めの途次、行き倒れとなる。真念は遍路道に道標を建て、善根宿(ぜんこんやど=漂泊の信徒または行き暮れた旅行者を宿泊させる無料の施行宿(せぎょうやど))を作り、案内書を書いて遍路の便宜を図った人である。そのような立派なおこないもせず、私のようなものがやみくもに歩き、山を登り、金剛杖(こんごうづえ)を持ったまま、ある日バッタリと倒れて昇天するのも人迷惑な話である。それはそれで本人としては大往生を喜ぶべきであろうが、あまり人に心配や迷惑をかけるのは好ましいことではない。

遍路とは基本的に単独での歩き遍路を旨とする。しかしながら私には譲歩をする必要があるようだ。うむ。仕方がない。それならばといろいろな遍路トリップ、遍路ツアーを探し、できるだけ私の望みが満たされるものを選ぼうときめた。A社は格安だがすべてバスでの巡拝である。B社は部分的に歩き、あとは同じくバス巡拝、C社は三泊四日程度の旅を年に何度かして八十八ヶ所を巡る。ダメだ。どれもダメである。どうしても私は全行程を歩きたいのだ。それに三泊も複数の人びとと同室で過すことなど私には不可能である。うむ。困った。ええい、かくなるうえは何年かかっても“病弱系人間四国八十八ヶ所単独歩き遍路”を決行するしかない。

こう考えた私は昨夏よりナマってしまった体を、やおら鞭うち、ウォーキング、ダンベル、ストレッチ、腹筋と鍛えはじめたのだ。
                     (つづく)


2005年3月


前のひとり言 次のひとり言

ひとり言 INDEXへ