「『遍路計画』延期の弁」

さんざん大騒ぎをした遍路であるが、残念ながら“今春より決行”は見合わせることにした。その理由は以下である。

一、予定のツアーが“定員”で締め切られてしまった

安全性と体力的に無理がないという点で選んだツアーは盛況であったようである。説明会のあと、すぐに申し込まなかったため、満員御礼でキャンセル待ちということだった。定員があるなど聞いていなかった。バス会社主催だというのに、バスを増便すればよいものをとか、初回の客全員をなぜ大事にしないのかと腑に落ちない。当日になっても連絡は来ず、このツアーには縁が無かったのだと振っきれた。実を云うと内心ホッとしたところもあったのだ。やはり私には団体行動は向かないという神のお取計らいであろうか。団体ツアーで行こうなどと二度と考えないことにした。これでよかったのだと思うことにしよう。


二、春は角膜 いとつらし

かくなるうえはと再び私は遍路の原点、“単独あるき遍路”を企てた。地図を入念に調べ、宿や交通機関をチェックした。阿波(徳島)へは明石海峡大橋や大鳴門橋のおかげで、思ったより多くバスが往復している。ただ、片道三時間とあっては私の体力では日帰りがキツい。

御礼参りだけでなく、出発前に御挨拶にも行くとよいというので、高野山へも脚を運んだ。弘法大師が63歳で修行に入られ、即身成仏された御廟(ごびょう)の前で手を合わせてきた。お守りも金剛杖も買ってきた。あとは体調のよい日を選んで出発の日を決めるのみだ。そう思っていたところ、持病のトラブルが発生した。それは目である。

高野山へは登ったわけではなく、電車、ケーブルカー、バスで行ったのだが、次の日には疲れを少しばかり出してしまった。しかし体よりも目である。陽射しが強く風もあったため、花粉も多く飛んでいたのだろう。その日から目の具合が悪くなってきた。その後、何度か外出しなければならなかったが、日光、風、花粉に私の目はさらに充血し、あけているのがつらくなってきた。そうなると次はコロコロ、イガイガし、その次には痛みがひどくなるというコース通りに症状は進んだ。目ばかりか頭がズキズキし、ボーッとなり、私はイライラして不機嫌になった。春は花粉、いとつらし。春はホコリ、いとつらしである。


三、老猫が心配でたまらない

高野山へ行って帰ってくると、老猫ダッコがひどく弱っていた。夜までひとりでいたのと風邪気味だったのとで、すっかり元気をなくし、寝床から起きてこない。ときどき咳もする。

ダッコは拾った猫で、母親はバリバリの野良であった。そのため野性が濃く、気の強い凶暴なメス猫である。家族以外の人間にはなつかず、家族である私たちですら噛みつき引っ掻き、皆がナマ傷の絶えることがなかった。そのダッコも今や御年十七歳。人間にすれば九十歳ほどであろうか、このところ衰えが目立ってきた。歯が弱って小さめのドライフードも噛めなくなり、飲み込むものだから食べてすぐ吐くことが多い。ドライフードが大好きなのに思うように食べられず可哀想である。好む味の缶詰めをつぶし、練るようにトロトロにしてやると、日によっては食べてくれる時もある。

気位の高いところは昔のままだが、ダッコは痩せて小さくなってきた。人生(いや猫生)のラストステージに入っているのは確実である。野性が強ければ強いほど、馴れた人間には可愛いのだと畑正憲氏が云っていたが、まさにその通りである。ダッコは若い時から私が留守にするとその間は何も食べないのである。食べず、弱るのだ。怒りっぽく神経質、いつ噛みつかれるかと思うけれど私のそばを離れない。だからいつも一緒にいて、できるだけ多くの時間を共に過ごそうと、今はなおさらそう思う。

四、気力の衰えも

四月から“遍路”開始と考えていたが、あれやこれやのトラブル続きで、「さあ行くぞ」という私の気力は減退しはじめた。これは、やめておけということなのだろうかと逃げ腰にもなっている。

考えてみれば、歩き遍路を思い立ち、一ヶ月やそこらの準備期間で出かけるつもりでいることが、どだい無理なことなのではないか。私は病弱であるうえ完全夜行性人間である。皆さんが起きる頃に寝るのである。もう何年も太陽を避けて生活している。私の目は涙液ゼロの乾燥砂漠である。ゴーグルやマスクをつけて遍路の傘をかぶりたくない。それに 昨夏以来、体を鍛えていない。ダッコは私が留守にすると衰弱する。考えるほどに“時期尚早”を感じるのであるが、私は逃げているのであろうか。

それやこれやで私は今春のスタートをやめることにした。一度きめたことを取り下げるのは大嫌いな質(たち)ではあるが、遍路こそ無理をしてするものではない。振り出しに戻って長期計画の立て直しである。まず体を鍛え直し、生活時間帯を少しはまともにし、花粉が多く飛び紫外線の強い春や夏を避け、私の体調とともにダッコの体調が良い時を選び、何年かかってもというくらいの気持ちでの歩き遍路をいつの日かしたいと思う。金剛杖はその日まで仏壇の横に立てておこう。

ひとりで騒ぎ、ひとりで中止し、恥ずかしいことである。しかし私はいくぶんホッとしている。何ごとも準備が必要、逸る気持ちだけではうまくいかないことを学んだことだけは収穫であった。

やや、この「ひとり言」もNo.99になってしまった。100まではあと一つである。貴重な一回分をこんなことに使ってしまい、誠に面目ない次第である。いやはや。

2005年4月




痩せて小さくなってきたが、凛としたところは若い時のまま。あのボスクロを負かしたダッコ、堂々の17歳である。めざせ20歳。
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