「セクシュアリティより今は」

       −現在の心情を吐露するの巻−

二回連続で過去に書いた文を掲載したが、それらは我ながら青臭く、恥ずかしくなるような文である。

詩や文章や歌詞を書く人は昔のものを読むと気恥ずかしくなるとよく云う。むろんこれは有名な人たちの話であるが、シロウトの私でさえもそう思う。それを書いた頃の自分が懐しいのと同時に、未熟であったなと小っ恥ずかしい気持ちが起こるものだ。そう感じるということは進歩した証であるから喜ぶべきであろうが、わずか2〜3年前に書いたものがたまらなく稚拙に思えて仕方がないのはなぜか。その稚拙さは文体にだけではなく、精神性、つまり私の中身においていっそう感じるのだから始末が悪い。

あれらの文章を書いた頃、まだ私は駆け出しの青年であった。内なる願望や欲求からオトコ化したわけであるが、ケツの青いことである。男、男と、何を私は鼻息を荒くしていたのであろう。威勢のよさだけは評価するが、まるで青二才である。あれからさらに激動の日々は矢のように過ぎ、いくらか私は成長したのか、はたまた老化してしまったのか、とにかく今の私はあの頃の心境ではない。と云うよりも、男であるとか女であるとか、セクシュアリティについて考える余裕すら無くなってしまっていると云うべきであろうか。それほど私は過酷な状況に直面してしまった。しかし、これを機会に自身のセクシュアリティを整理しておくのもよいことだ。

性同一性障害(以下GIDと表記する)をもつ人には二つのタイプがあるとされる。生まれついて心と体が一致せず、違和感を感じる症状がある人と、社会においてどちらのジェンダーでありたいかと願い、望む性に見られたい人である。もちろん両者は完全に切り離せず、程度も人それぞれである。私もその両方の要素を秘めていたと思えるが、如何せん、GIDの情報など皆無の時代に生まれ育ち、自身のセクシュアリティは曖昧なまま大人になった。

昔は今よりもっと男性優位で家庭があり社会があった。その環境では女性は損なことばかりだと幼くして感じていた。「女のくせに」という言葉がまかり通り、腹立たしいことはたびたびあった。男に生まれた方が得なのだと悟り、併せて私には思春期に同性への思慕もあった。女子中高という環境がそれを芽生えさせたのであろうが、思春期における同性同士の擬似恋愛はよくあることで、特に珍しいことではなかった。旧友によれば、中高の6年間に私は女が勝っている時と男が勝っている時の両方があったそうである。

そんな時期を経て私は大学に進学したが、その頃の私はロングヘアにミニスカートであった。ごく普通の若い女性と何ら変わるところのない女子大生であったのだ。Hiroshiと出会い、恋に堕ちてと云いたいところであるが、私には彼にときめいた憶えがない。強い恋心を持った記憶がないのは私ばかりではなかったかもしれないが、とにかく交際を始めた。振り返ってみれば、彼はクラブの先輩であったので、なんとなく云うことをきいていたように思う。それはともかく、私のセクシュアリティは「女」に定まっていたから彼と付き合いはじめたのであろう。

それからの長い年月を私は女であることに疑問は感じず、社会的な不平等は感じつつも自身のセクシュアリティに違和感なく過した。結婚、出産、育児を経験する過程においても妻や母であることに歓びを感じていた。女としてお洒落を楽しみ、編物や洋裁も少しばかりやってみた。着つけ教室に通って着物で遊んだこともある。思春期に感じた女であることの息苦しさはいつしかなくなり、結婚後の20数年を女として幸せのうちに過していた。

そんな私の性が揺らいだ理由はいくつかある。その詳細をここで語るには原稿用紙の枚数が足りない。また、つまびらかにしようと思う日が来るかどうかも現時点では不明である。そのことに少しだけ言及するならば、本来もっていた男願望、女性への思慕、性差別のある社会への反発などのほか、女であることを嫌にならせたのはHiroshiであるのは疑う余地のないことだ。もちろん世の亭主たち皆が彼のようなことをするとは思わないが、私が長く向き合っていたのは彼ひとりである。その彼が私にそれまでの人生を否定させ、奈落の底に突き落としたのであるから男性不信になっても仕方がない。

それでは現在の私のセクシュアリティやいかに?これまでずっとサイトを見守ってくださっている皆様には興味のあるところであろうか。それでは答えるとしよう。と云いたいところであるが、もうそんなことはどうでもよくなってしまったのである。Hiroshiの死後、会社の人やいろいろな人々に会わなければならなかったが、皆が一様に「奥さん」と私を呼ぶ。そう呼ばれることに抵抗があったというのにしだいに慣れてしまい、ついにはなんとも感じなくなってしまった。Hiroshiとの関りにおいては私は奥サンであり妻であり、女でしかありえない。詩や文に表れている彼に対する私の気持ちも、女のそれ以外の何ものでもない。それは水無月右近も認めるところである。

しかしながら私は女性が好きであるし、女性たちの支え無くしては立ってはいられない。幸いなことに男性不信はHiroshiの死後に少しずつ改善されてきてはいる。だが、男性とは友好的なお付き合い以上のものにはなりえない。では私は同性愛かと問われればそれにもYesと云えない。好意をもつ女性の前では自然に男言葉になり、男のようなしぐさになる。男でありたい気持ちも皆無にはならないのだ。その点ではGIDが少しあるのだろうか。しかし、しかし、結論から云えば、とにかく、もうそんなことはすべて私にはどうでもいいのである。

私はHiroshiを憎みつつ愛していた。だから別れなかったのだろう。彼との34年は凄まじいものであった。それ以上の愛も、それ以上の憎しみも生涯ありえない。良くも悪くも彼とは最大の関わりであった。そんな彼を突然に亡くした私に、女性たちはかぎりなく優しい。女性たちの支えや応援なくして私はここまで立ち直れなかったであろう。彼女たちは私のHiroshiへの強い思いを理解し、共に悼み、さまざまな手段で私を助けてくれている。彼女たちにとっても私のセクシュアリティは、どうでもよいことのようである。どんな私も私なのだそうである。嬉しいことである。

私はTV的(TV…トランスヴェスタイト=異性装者)ではあるが、やはり真性のGIDではないことが分かった。男だ男だと肩に力が入っていた頃の私こそ、女であったから力んでいたのであろうか。あまりに大きな悲しみの前に、私の中のジェンダーにこだわる意識が薄れてしまったかのようだ。女としてのHiroshiへの想いはこのまま持ち続け、あとは揺れ動くままに性の仕切りを外した自然体の生き方を、私はこれからも続けるのであろう。今こそ本当に私は「性」を意識せずに生きているような気がする。私はまるで修行僧のような生活をしている。これまで通り、性の仕切りを外して変幻自在に生き、男だとか女だとかを超え、人間として残りの人生を意義あるものにしたいと願っている。

セクシュアリティよりも、悲しみに圧し潰されることなく平穏にその日を過すこと。そのことの方が私には重要なことになってきた。心地よく感性を遊ばせ、心地よく孤独を愉しみ、心地よく人と関わり、心地よく読み書きをする。大きく沈み込まずに一日が過せたら良しとしたい。女性たちに感謝、男性たちにも少しだけ感謝である。

春の陽は明るく風は暖い。人の心も温い。気負わず気取らず、そろりそろりと歩いてゆこうか。ああ、早くまた長編小説でも書いてみたいものである。

2005年4月


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