「黙祷1995,1.17 午前5時46分」

阪神淡路大震災が起こって9年めの日がまもなくやってきます。この日がくるたびに考えることがあります。それは今を生きている私たちは何をするべきなのかということです。

恥ずかしながら、それまでは過去に国内や海外で起きた震災に関して客観的な捉え方しかしていなかったことに気づきました。しかし私のふるさととその周辺を襲った巨大地震が残した爪痕を目のあたりにし、底しれぬ自然の脅威に身ぶるいしました。被災を免れた人でもあの光景を前にすれば絶句しない人はいません。それはテレビの映像や報道写真で見るのではない凄まじいものでした。初めて訪れた時は息を呑み、言葉を失いました。そのあとにはやり場のない憤りと深い悲しみがこみ上げ、涙が止まりませんでした。生涯忘れるものではありません。

そんな強い思いにもかかわらず、9年の間、私は震災について誰にも語ることができませんでした。被災しなかった自分、復興に何も協力できなかった自分には語るべき言葉がなかったのです。昨年のこの日に向け、開設後まだ日が浅い当HPに初めて詩を掲載しましたが、それも迷ったうえでのことでした。大阪でのうのうと暮している私ごときが語ってはいけないことだと考えていたからです。しかし敢えて私の思いを初めて伝えました。

1995年1月17日付の夕刊から2ヶ月分の新聞を私は保存しています。今年の「あの日」のために何かを書かなければと思い、それらを9年ぶりに出してきました。記事を読み直し、写真を見ました。当日の夕刊には“死者429名”とあったのが、日ましにふえて6,000人代にまでなる数字、取材された悲劇の数々…。それらをふたたび目にするのはつらく苦しいことでした。つらい作業を進めるうち、私のなかであるひとつの意思が固まりはじめていました。それは「忘れてはならない」「忘れさせてはならない」ということです。

つましく幸せに生きていた善良な市民が、一瞬にして命を夢や希望とともに奪われてしまう理不尽さ。そんなかれらや残された人々の無念さを、綴ったり詠うことによって私は代弁しなければならないのだと考えました。あの時、受験生たちを抱えて動けず、その後は発病して結局なにもできなかった私が今できること、これからずっとできることはこれしかないのだとわかりました。今年は新聞をもとに文をひとつと詩を三編“追悼集”に加えました。これだけ書くのが精一杯でした。

もしも私が書いたものから何かを感じてくださったなら、どうか皆さん、その先を凝視してください。今を生きている私たちは、いつ降りかかるかわからない天災に対し、ひとりひとりは何をするべきなのでしょうか。幸いにしてまだ身近に起きていないあなたにこそ、起きたときのこと、起きた後のことを真剣に考えて欲しいのです。天災は本当に、ある日突然やってくるのですから。

黙祷 阪神淡路大震災犠牲者
   イラン南東部大地震犠牲者
            
2004年1月

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