「万年青(おもと)」

万年青が今年も赤い実をつけている。何度か雪をかぶったが元気である。今は右近庵の庭にあるその万年青を見ると、ときどき思い出すことがある。

もう十数年も前のことである。仕事場兼住居であったマンションで私は万年青と出会ったのだ。集合住宅には、ありとあらゆるセールスや勧誘員が毎日やって来る。たいていはインターフォンごしに丁重に断るのだが、「見るだけでも」という明るい声に、あの時はドアをあけたのだ。門扉の外には六十くらいの健康的な婦人が笑顔で立っていた。

私は少なからず驚いた。なぜならその人は大きな荷物を背負っていたからだ。そんな姿の人を見るのは子どもの頃以来であった。(家に出入りしていた呉服屋さんが、いつもそんなであったのだ)たぶん私はポカンとしていたであろうが、その人は「こんにちは」と言って門扉の内へサッサと入ってきた。それからやおらしゃがんで荷を下につけ、とにかく見てと前で結んであった風呂敷の結び目を素早くほどいた。

大きな風呂敷の中からは、いろいろな鉢植えの植物が出てきた。彼女はそれらの植物の名を、一つ一つ説明した。私は「はぁ…」と聞いていた。値札がついていないので値段が全くわからない。勇気を出して訊いてみると意外に高い。ドアをあけてしまったことを私はすぐに後悔した。断るのが大の苦手なのに困ったな…。笑顔ながら彼女の押しは強く、今さら買わないわけにはいかないという空気になってしまっていたのだ。

私は黒い鉢に植わった万年青を買うことにした。水苔からまっすぐに伸びた緑の葉と赤い実。それらが上品な黒い鉢によくマッチしていた。「それを貰います」と言うと彼女は相好をくずし、白い歯がこぼれた。それから「万年青は人を呼ぶっていうよ」と言った。彼女の巧みな話術で、私は塾を開いていることを数分で告白させられてしまっていたのだ。

鉢を靴箱の上に載せ、彼女は大荷物を背負って出て行った。その後姿を見送ったあと、今度は買ったことを後悔した。それがいくらであったかは忘れてしまったが、かなり高額であったと記憶している。その値段に見合う品であるのかどうかと思うと無駄使いをしてしまったような気がしたのだ。シャレて見えた黒い鉢も、陶器ではなくプラスチック製だとわかり気落ちした。一杯食わされたかな…。しかし万年青に罪はない。せっかく咲いているのに安いの高いのと云々されては可哀そうだ。大切に育てることにした。

万年青は南向きのバルコニーに置いた。太陽の光を毎日あびて葉はいきいきとした。1〜2年後に黒い鉢は小さくなり、植え替えが必要となった。その後も万年青は成長を続け、何度か植え替えなければならなかった。一方、私の寺子屋も生徒がふえ続け、孤軍奮闘、最盛期には私の体は土・日・祝も返上の“稼働率120%”であった。嬉しい悲鳴を通り過ぎ、忙しすぎて助けてくれぃと叫びたい状態であった。そして突然気がついた。これは万年青のせい(お蔭)である。

仕事にかまけ、植物の世話もおろそかになっていた。久しぶりにじっくり見るバルコニーの万年青は大きくなり、雑草と仲よく共存していた。その名の通り年じゅう青く、実をつける年とつけない年があった。天気のよい冬の日には飛んでくるヒヨドリが実を食べた。せっかくの赤い実をと最初はヒヨドリを追い払ったが、好きに食べさせてやることにした。餌の少ない冬の都会のことである。これは植物が鳥に与える自然の恵みであるのだと思ったからだ。

右近庵に越してきて万年青を地植えにした。もしかしたら枯れるかと思ったが根づいた。大阪府内ではK市は寒いことで知られ、雪もすぐ積もる。しかし枯れずに年じゅう青々し、毎年のように実をつける。けれどもここでは小鳥たちがついばむことがない。餌となる実をつける木々が周りにたくさんあるからだ。かれらが地面をつついているところをみると、地中の虫たちというご馳走も豊富であるのだ。

私の起床は昼頃もしくはそれより遅いが、布団から出るとまずDKにノソノソと行く。カーテンをあけると真正面に万年青が見える。暑い日、寒い日、晴れの日、雨の日、曇りの日、万年青はいつもそこにいる。気分がふさぎ、やっとこさカーテンをあける日も、静かに笑って「おはよう」と言ってくれる。その風貌は、もはや室内鑑賞用のそれではない。しっかりと地に根を張り、逞しくワイルドな風情である。私も見習わなくてはなるまい。

そんな万年青を見ていると、これを売りに来た婦人のことを思い出す。訪れてくれた時は農閑期だったのだろうか。今でもきっとお元気で明るい笑顔を見せておられるにちがいない。伝えることができるなら、私は彼女に伝えたい。「あなたの言ったとおりでした。多くの人が集まりました。そして今、右近庵では多くの猫を呼んでいます。万年青は今も元気で、毎日私に勇気を与えてくれますよ。『万年青』の下に『年』をつけると『万年青年』、そう呼ばれるよう頑張りたいと思います。買って本当に良かったです」。
2004年2月
今冬も赤い実をつけた万年青
凛々しくなった“じいじい”と万年青


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