「《理由》二種」

うれしいことに「平成道行考」を定期的に訪問してくださる方々や、感想、激励のメールをくださる方々が定着してきた。ありがたいことである。これらの皆さんと〈交流〉したいのはヤマヤマであるが、私の堅い考えが邪魔をしている。

◎〈交流会〉をやめた理由

実を云えば、水無月にちなんで6月頃に交流会のようなものを催すことを考えていた。大げさなものではなく、会場は料理がおいしい気の張らない店、いくつか詩の朗読を披露しようかなど、あれこれ構想を練っていた。楽しい会のイメージはふくらみ、そろそろ『右近通信』でお知らせしようと思っていたところだ。しかし待てよ。この計画には問題があることがわかったのだ。

インターネットのつながりを〈オンライン〉と呼ぶのに対し、そこから外れることを〈オフライン〉と呼ぶ。したがってパソコンから離れて実際に会い、交流する会を〈オフ会〉と呼ぶらしい。会合ではなく単に会うことも〈オフで会う〉というのだそうだ。以前テレビで〈オフ会〉の様子を視たが、私には不可思議な世界のように映った。なぜならば自己紹介はハンドルネームのみであり、住んでいる都道府県すら明さない。それなのに、あたかも十年の知己ででもあるかのように話がはずみ、盛り上がっていたからだ。

〈オンライン〉でのつながりは、互いに何もかもを明かし合わないのが暗黙のルールであろう。しかし、ラインの外でもつながろうとするのに、なおもライン上のきめごとを適用するものなのだろうか。じかに会って、なま身の相手と語り合うのに、依然としてハンドルネームで呼び合う不自然さは私には耐えがたい。宙に浮いて語り合うようで気持ちが悪い。会を催したとすれば、私は「水無月右近こと何々と云う者です」と本名を名乗ることは間違いない。それは礼儀だと思うからだ。

武士道では「それがし何々と申す」と名乗り合うのは当然の流儀であった。私たちは武士ではないが、「何々と申します」と名乗ることは現代社会においても礼儀であり常識だ。名前など人と自分を区別してもらう単なる手段にすぎないからどうでもいいという意見もあろう。また、私のように現在の姓を名乗ることに、私的事情で強い抵抗を感じつつ名乗っている人もいるかもしれない。しかし社会的な活動をする場合、やはり姓名を名乗ることは必須条件なのである。

自分は名乗るが来てくださった方々には、名乗るも名乗らないも随意でとも考えた。けれども会話のなかでその人を呼ぶのにハンドルネームでは、その人と本当に語っているような気がしないのではあるまいか。それは単なる呼び方の問題ではなく心の問題なのだ。こちらが心を開いて話していても、名前を語らず話す人は心を開かず話しているのだと思ってしまう。信頼関係が成立してこそ心からの会話は成り立つものだ。

しかしながら、〈会〉となれば、私を信用していただいても、いろんな人もいるからという考えも理解する。だが、「○○から来ました○○です」と云うだけで、ただちに何か不都合なことが起こるかもしれないと怖れなければならない世の中というのも、いかにもさむざむしい。あれこれ考えていると面倒臭くなってしまい、〈水無月に語りあう会〉(仮称)の開催を今回は見合わせることにした。私は古い人間である。人と会うなら互いに正々堂々と名乗って語り合いたい。そんな会がいつか持てれば嬉しいものだと思っている。

◎メッセージボード(BBS)を外した理由

これについて述べるのは今さらという感があるが、いつかは説明したいと考えていた。

BBSやその類の掲示板は、管理者と閲覧者、または閲覧者同士の〈交流〉が目的である。取り付けた当初は書き込みが多く、楽しく返事を書いていた。内容も嬉しい感想ばかりで面映さを感じながら読ませていただいた。しばらくは楽しんでいたのだが、そのうち一日中パソコンが気になり始めた。ご存知のように私は〈対ヒト几帳面〉である。返事は迅速に返さなければならないと考えてしまうあまり、こまめにチェックしなければと落ちつかなくなってしまったのだ。もちろんそれは私自身の困った性格ゆえのことであるから、皆さんには申し訳ないことであった。

しかし、主な理由は以下に述べることである。取り外す頃には書き込んでくださる顔ぶれが定着していた。その方々は書き込みの達人たちである。空気を読むのにたけており、タイミングよく現れ、黙るべきときには静観してくれた。助けられながらの掲示板運営であった。だが、その方々とはメールのやりとりもあり、ある種の違和感が私のなかに芽生えてきたのだ。

それは〈掲示板用喋り〉と〈素の自分喋り〉のギャップである。誰しもそうであると思うが、掲示板では〈おもて向き〉の喋りしかできないし、するべきでない。それは公の場であるから当然のことである。一方、メールは個人的な会話のやりとりである。素の自分で喋ることが許される。私には一時、サイト運営者としてメールでも右近として喋るべきであると考え、それに徹しようと努めた時期がある。しかし〈右近〉と〈私〉の狭間で揺れ、結局はその二つを分離することは不可能であると悟った。だから今はメールをくださる方々とは自然体で楽しく喋っている。

旧ボードを取り外す少し前から、新しく訪れてくださった方の書き込みはなくなっていた。常連さんであり支持者である方々と語るのに二重の喋りをすることが不自然であると感じ、本音で語り合うのにはメールだけでよいのだと考えた。それで旧メッセージボードを外すことにしたのだ。メールを送るのは気後れするがBBSならという方々には、その場を奪ってしまい申し訳ないことをした。けれども〈右近=私〉と話し合いたい、議論したい、または何かを伝えたいと思う方々は、ぜひメールでお越しいただきたい。じっくり話し合ったり会話を楽しみたいと思う。

わたしはパソコンという文明の利器に頼って発信を続けているが、すべてをヴァーチャル(仮想)として捉えることがどうしてもできない。そのルールに完全に従うことに抵抗がある。特に人間関係においては希薄なものを良しとできないところがある。やっぱり私は古い人間なのである。
2004年5月


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