「加藤登紀子さん、ありがとう」

歌手の加藤登紀子さんの「ほろ酔いコンサート」へ行ってきた。長年つづいている恒例のコンサートである。

悲しみの真っ只なかに居た九月の末、広告を新聞で見て、すぐにチケットを購入した。大阪公演の初日がHiroshiの誕生日であるということも行こうと思った理由のひとつだった。亡くなって初めての彼の誕生日というのは、家に居るのはいたたまれないだろうと考えたからだ。届いた二枚のチケットを遺影の前に置き、二人でコンサートに行くということが、なぜ生きている間に素直にできなかったのだろうかと、また苦い思いがこみ上げた。

大阪会場であるサンケイホールで長女のKと待合わせて入場した。客の年齢層は総じて高く、私は若い方であった。29才になるKは「私が最年少みたい」と笑った。ふと見ると着席している人びとは皆、紙コップを手にしている。ロビーで酒が振舞われていたとKが言い、私のために一ツもらってきてくれた。彼女は車なので飲めない。

時間ちょうどにコンサートは始まり、お登紀さんこと加藤登紀子さんが登場した。懐しい歌が次々に歌われ、その間に短いトークが入る。驚いたことに、彼女は途中で酒瓶から酒をつぎ、猪口を口に運ぶのだ。客も彼女も正真正銘“ほろ酔い”である。私も少し頬がほんのりと染まったようないい気分になった。リクエストをというコーナーでは、皆が叫ぶ。「赤い風船」「時代おくれの酒場」「ひとり寝の子守唄」「知床旅情」等々。皆、元気である。どのミュージシャンも言うようだが、大阪の客はノリがいいらしい。これは日本で唯一ラテン系と云われる大阪人のノリだろうか、その日も賑やかを通り越え、オジ様、オバ様たちのかしましさたるや圧倒されてしまった。

一部は「美しき五月のパリ」や「さびた車輪」など昔の曲も多く歌われ懐しかった。休憩をはさんで二部は「百万本のバラ」で始まった。バラをイメージした華やかな衣裳に身を包み、ステージを動きまわっての熱唱だった。

彼女の夫、藤本敏夫氏は2002年7月31日ににガンで亡くなった。その喪失の悲しみを歌う曲では涙ぐみながらも力強い歌声を聞かせてくれた。しかしステージでは一度もそのことを口にせず、主語なしで語るところは照れる世代、団塊の世代だなと感じさせられた。「一人で山歩きをするんですけどね、教えてもらったのに木の名前も草の名前も分からなくて。トリカブトだけは覚えておけよと言われたんですけどね」。もちろん藤本氏に教えてもらったのだ。彼女も悲しみから癒えていない。彼を悼む「檸檬(れもん)」という歌を心をこめて歌った時、私の目には涙が満杯であった。Kは涙を流しつづけた。

後半はロック風の曲で賑やかになり、最後には皆、彼女の指示どおり総立ちになった。団塊の世代も若者に負けてはいない。踊る叫ぶ跳びはねると元気一杯なのである。もちろん皆が立つのに座ってはいられない。ダンスは得意である。私もその場で踊るようにリズムをとった。Kもいつも行くコンサートとはノリが違うといいながら、協調性を見せてなじんでいた。アンコールも三曲ほどあり、熱狂のうちにフィナーレとなった。

ステージ終了後にはサイン会があった。CDか本を買った人には彼女がそれらにサインをしてくれる。はじめは「青い月のバラード」という題の本だけを買った。それは藤本氏との獄中結婚から永訣までを綴ったものである。そのあと「檸檬」という曲に涙して、それが含まれる最新アルバムも休憩時間に買った。無農薬のレモンも一個ついてきた。Kと二人でそれぞれ一つずつ手に持ち、サインをしてもらうことにし、その列に並んだ。

並んでいる間、登紀子さんに何を伝えようかと考えていた。十番めくらいに私たちの順番が来た。KがまずCDを差し出した。登紀子さんはKと握手をし、CDのジャケットにサインをしてくださった。私の番になった。

「登紀子さん、聞いてください。夫がこの八月に急逝しました。五十二才でした。彼も学生運動をしていました。藤本さんの生き方を尊敬していました。今日は娘と泣きながら聴かせていただきました。彼もカバンの中に連れてきています。ありがとうございました。」

一気にこれだけを喋った。若いHiroshiの輝いていた時代をたどるように伝えた。登紀子さんも傍についていた男性も驚きの表情だった。登紀子さんは「そう……」と云った。それからKをもう一度見て私をまじまじと見つめた。
「あなたがお母さん?お若いのね、ごきょうだいみたい」
ときどき私たちはそう云われる。私はKを学生の時に妊娠し、結婚したので若いほうの親なのだ。

「これからどんどん生きてきますよ。想えば想うほど生きてくるの」

登紀子さんは穏やかな声で云った。心の中で故人はこれから生き始めるというのだ。それは彼女の実体験であった。それからやさしく笑って二度めの握手をしてくださった。

やっと涙が止まったKの肩を抱き、私は「また来ます」と約束し、礼を云ってその場を離れた。あの有名な加藤登紀子さん、若い頃からよく口ずさんできたたくさんの歌を作った登紀子さん。私よりも小さな登紀子さんの手はあたたかく、言葉はやさしかった。満たされた気持で私たちはホールを出た。その日がHiroshiの誕生日であることを云い忘れたことに気づいたのは、彼女がサインをしてくれた日付を見た時だった。来年のコンサートでは、元気になった私たちで再びお会いしたいと思う。

加藤登紀子さんも泣くのをこらえて歌い、私とKは涙、涙で聞いた「檸檬」という歌は、彼女の最新アルバム「今があしたと出逢う時」の九曲めに収められている。歌詞を一部紹介することを、きっと許してくださるにちがいない。無農薬有機野菜を育てることに生涯を費やしておられた藤本さんが植えていた檸檬の木の、春から秋を歌った曲だ。私も檸檬の木を育ててみようと思う。


― 忘れないあの夏の日 二人で歩いた
森の中どこまでも 地図にない小道を
空に響く鳥たちの声 騒ぎ立てる小さないのち
山から吹く風に乗って とどいてくる夏のざわめき

何ひとつ変わらない 何もかもあの日のまま
ただひとつあなたがいない それだけが夢のよう

街の灯に迷い込んで さびしさにとまどう
どしゃぶりの雨の中 涙が止まらない
あなたのいない夜も朝も ひとりきりのこの部屋で
同じように生きている 私だけがいる不思議
あなたのいない今日も明日も 窓を開けて陽射し受けて
言葉のない風のように 夢のつづき探している
夢のつづき探している

秋のはじめ檸檬の木に 小さな実がゆれてる

2004年12月






←CDジャケットと本に書いて
 もらったサインと、ついてき
 た檸檬。



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