「書き続けること〈宇野千代氏の文章より〉

「右近通信」でも紹介した「私の文章修業」(朝日選書247)という本の中に、宇野千代氏の文「阿吽の呼吸」がある。素人ながら書くことに行き詰まったとき、よくこのページを開いて読む。抜粋や要約でご紹介したい。

「ものを書き始めてから60年になる。若い頃には、この仕事に確固たる目的があることは意識しておらず、人が面白いと思う「男女の間のこと」を書けばよいと思っていた。初期の作品には恋愛のことが多く、それらは深い人生問題としてより読者サービスとして考えるだけであったから、成功はしなかった。

人の興味を惹くには才能がいるが、自分にはその才能がないと自覚したのは40を過ぎた頃である。初期の20年は何も考えていなかったように思う。40にしてやっとものを考えるようになり、文学はただ面白いことを書くだけでなく、確固とした目的があると考えるようになった」〔要約〕

そして何が目的かということが朧気に分かったものを、この眼でしっかり見たように書き表わすにはどうしたらよいか、ということも目的になる。つまり表現法である。一字一句、考えて書いている間に、その根幹となる主題を探すというのである。氏にとっては一字一句が主題を探し出す道程であるのだ。

『まづ、机の前に坐る。文字を書くには、誰にでも分り易い、紛らはしくない言葉で、端的に書く。どうしたら、分り易く書けるかと言ふことが、私にとっては一つの勉強である。分り易く、端的に書いたことではあるが、それは、主題が端的で分り易い、と言ふことではない。表現法は分り易いのに、それに比例して内容が分り易いのではない。それはどんなに奥深く、複雑であるか測り知れないのに、書き方だけが単純だと言ふことである。私は終始一貫して、この道を、この道だけを進むやうになった』〈抜粋〉

このような書き方になった氏は仕事が遅くなる。遅いのが当然だと思うようになる。速く書けると筆を置き、「筆が辷(すべ)る」のを警戒した。徳田秋声は一晩に70枚も書き、ペン先が折れて飛んだと聞くが、彼の書くものは軽薄ではなく、秋声を神さまと氏は呼ぶ。自分は秋声ではなく、のろくて当然だと考え、速い遅いではなく、何をどう書くかに関心がいくのだ。

氏は読み返し、間違ったことを書いていないかと圏点(けんてん)する。(○や、。をつける)そこまでくると自分の書くことはこの一点だと分る。
『さうだ。私の書くことは、生きてゐる人間として、気持の悪くならないこと、それを書けば好いのである。言ひかえれば、人間としてどこにモラルの目安を置いたら好いかと言ふことを、眼で見るやうに書くのである』〈抜粋〉

それがお説教にならず、どう書けばよいかを探るのが道程だと云い、自分には才能が少ししかないが、この仕事を志して仕合せを感じていると云う。

『ときには、この少い才能がこつこつ積み重ねて行くものを、見て見たいと思ふこともある。決して、気を落さない。毎日、飽きずにこつこつと書く。私には私なりの希望がある』〈抜粋〉

氏はまた、天狗屋久吉という人形師を例に挙げ、「こつこつ」の大切さを説く。氏が久吉に出会った時、久吉はすでに八十を超えたお爺さんであった。『16の年から、かうして毎日、木を刻んでましたのや』と久吉は一日中、埃りだらけの縁側でこつこつとノミを使って木を刻む。彼は長い道程で、人形とはどうして作るものかということを会得し、文字通りこつこつと同じ仕事を繰返してきたのだ。

『毎日書くのだ。天狗屋のお爺さんのように毎日書くのである。書けるときに書き、書けないときには休むと言ふのではない。書けない、と思ふときにも、机の前に坐るのだ。すると、ついさっきまで、今日は一字も書けない、と思った筈なのに、ほんの少し、行く手が見えるやうな気がするから不思議である。書くことが大切なのではない。机の前に坐ることが大切なのである。自分をだますことだ。自分は書ける、と思ふことだ』〈抜粋〉

このときの阿吽の呼吸を見逃してはならないと宇野氏は云う。また、ペンと書いたが、本当は4Bの鉛筆を30〜40本ほど削って筆箱に並べ、一本ずつ手にとっては書くのだそうだ。書ける、と思った瞬間に、頭に浮かんだことをすぐ紙の上に移すのには4Bの鉛筆が役立つのだと。

『さて、おしまひに、私は何を書きたいのかと言ふことを打ち明けよう。私は小説家であって、宗教家ではない。お説教は嫌いであるが、しかし、いま書きたいと思ふことは、この世の中には神さま仏さまと言ふものがあって、その神さま仏さまが、この世の中を支配してゐると言ふことを、そのままの表現ではなく、まるで違った言ひ方で書いて見たいと思ってゐる』〈抜粋〉

恋多き女性であった宇野千代氏は、若い頃からしたい放題をし、恬(てん)として恥じなかったと自認する。そういう自分であったればこそ、あ、そこに神さまが、と思う瞬間をとらえて書きたいと述べる。そして最後に「私は陰惨な思考は嫌ひである。しかし神さまの残酷さを見るのは好きである」と結んでいる。

彼女が貫いたことは「毎日書く」ということだ。書けるときに書き、書けないときには休むのではなく、書けないと思うときにも机の前に坐るということだ。これは見習わなければならない。私には「書けそうにないからやめておこう」と鉛筆を持たない日がある。しかし、それをおして鉛筆を握ると氏が云うように鬱々とした気分が晴れて書き始め、気がつけば没頭し、爽快になっていることが多い。

この本が出版された年には、宇野千代氏は87才であったと推定する。天真爛漫に生き、恋にまつわるエピソードも多く、いくつになっても童女のような人であった。彼女は99年の生涯を生きて書き続けた。私はまだ書き始めてたったの五年めである。子供どころかほんの赤ん坊である。私は「陰惨な思考」をしてしまい、「神さまの残酷さ」にほとほと苦しめられているが、とりあえず、私も3Bの鉛筆を握って毎日書こう。そのうち何かがひらけてくるかもしれない。

情けないことに私は一進一退の精神状態から抜けきらない。明るく過せる日と、どうしようもなく塞ぐ日がある。この弱さを克服するには、ひたすら書くしかない。読んでくださる人びとが居る幸せを感じつつ、一生懸命書かなければなるまい。そんな私に、サイトを訪れてくださる北国に住むTさんから嬉しい励ましのメールが届いた。
「書き続けることがあなたの力となって、あなたに生きる勇気を与えてくれますように」

悩むよりは書いていよう。書き続けていると、きっと私に与えられた書くべきことや、これからするべきことが見えてくるに違いない。そう信じて今日も明日もあさっても鉛筆を握り、ひたすら書き続けるとしよう。それしかない。

2005年2月


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