「“うつ”との同道」

二月のはじめ頃から“うつ”の自覚症状が顕著になった。二年前にひどい状態を経験しているが、その時に近いものがあり危機感をもっている。この招かれざる客の再来に手をこまぬいている。

私はまだHiroshiの死から立ち直ることができていない。(そう云うとすぐ“悲しみのあまり”と思われて困るが、悲しみよりは悔いや疑問など別の感情で立ち直れないのだ)一時は前向きな考え方になり、人とも会おうと思いはじめた。気分は少し上を向き、これはいいことだと喜んでいたのだが、いったいどうしたことか。なぜ私の気分は沈んでしまったのだろう。全く外出をせず、“ひきこもり”状態である。ひと月半の間に、次のような“うつ”の諸症状が出そろった。

◎家の中を歩きまわる

台所から居間にかけてL字型に歩き続けている。意味もなく歩いているのである。無意識に、気がつけば、ただ歩いているのだ。それはまるで動物園のクマか何かのようである。「あ、また歩いている」と気付くのは、かなり歩いてからのことである。落ち着きがなく、むやみに歩き回るのは“うつ”の特徴である。

◎無気力になり、ぼんやりする

しなければならないことはいくらでもあるのに、とにかく気力がなくて何もできない。料理をはじめ、いっさいの家事が億劫になる。しかし食べなければならない。空腹に耐えられなくなったら何かをテキトーに食べているから、今のところ飢え死にはしていない。読むことも書くこともせず、ぼんやりと一日を無為に過ごしている。読み書きができないのは情けないことである。

◎太陽から徹底的に逃げる

目覚めたときに雨戸やカーテンのすきまから太陽の光が入っていれば晴れだと分かり、なかなか起きられない。“うつ”の時の脳や体が、元気を出せという交感神経と相容れないのであろうか、とにかく晴天の日は目覚めた時には最悪である。雨の日は起き上がりやすいが、晴れの日は雨戸もカーテンも開けられない。

◎人と会えない、話せない

電話はもちろん、インターフォンにも出ることができない。それらの音にもビクッとして身構える。留守電にしているが、何度もかかる時は座布団を上にかぶせて防音をする。しかし誰だったのだろう、何の用事だったのだろうと気になるので、心の準備ができてからこちらから折り返し連絡をしたり留守録を聞く。宅配便はたいてい二度ばかり足を運んでもらうことになり、申し訳ないと思っている。

◎体にいいことを何もしない

心が元気な時はストレッチ、ウォーキング、筋トレというふうに熱心に鍛えている。ところが“うつ”になると体にいいことを何もしなくなる。しないばかりか甘いものにすぐ手が延びる。太らない体質のため糖分の摂りすぎに気がつかず、余分な糖分がコレステロールとなって血中にふえ、基準値の上限を超えてしまった。こんなことは初めてである。筋力も著しく低下し、ちょっとのことでギックリ腰になったりもした。腹筋と背筋が弱っているのである。筋力の衰えを表わすCPKの数値も悪く出た。

◎思考の断裂、言葉の出にくさ

“うつ”が進むと頭の中で考えていることが寸断されてまとまらない。すぐ別のことに脳が占領され、ちがうことを話しはじめる。もっとひどくなると、どもったり口から言葉が出なくなる。失語症のようになってしまうのだ。幸いそこまでひどくはないので頭はまだ働き、小説は更新できた。というよりは、それだけしかできなかった。あらゆることから逃げてこもり、小説だけに集中していたが、何もできなくなる“激ウツ”には、すんでのところでならずに済んだ。

◎死にたくなる

これがいちばん厄介なのである。こんなことを云っても、たいていの人はなぜか「何をアホなことを」と取りあってくれない。だからそんなことを口にするのも恥ずかしいことだと分かり、口にしなくなった。誰に対してもニコニコし、元気だとか大丈夫だとか答えている。私は困った性格である。いったい私の話を聞いてくれる人はどこにいるのだろうか。私は聞いてほしいだけなのである。打開策も解決策も人には求めていない。ただ聞いてほしいのだが、それが出来る人が周りにいないのである。なぜ人は分かったようなふりで的はずれのことを云って慰めようとするのだろうか。私はただ、悲しいね、つらいね、悔やむよね、そうだねそうだねと云って聞いてほしいだけである。

時として、私はほんとうに死にたくなることがある。何かやってしまいそうだと怖くもなる。死にたいと思う強い感情は、真夜中に考え込んでいるとき、夜道を歩いているとき、車を運転しているときなど突然にやってくる。だが、それには段階がある。暗く重い心を抱えた数日を経て、ついにどん底まで沈んでしまった頃にやってくるのだ。小さなことがきっかけになったり、孤独感や絶望感が最高潮に達すると「死にたい」になるのである。何かやってしまいそうになるのだ。それでも私はそんな気持ちを周りの者に伝えることができない。“一瞬”を回避するために悶々と自己との闘いを繰り返している。私だって死ぬのは怖いし、死にたくはないのだ。克己。私はまだまだ弱い人間である。この言葉を胸に修行を続けなければならない。


過ぎてしまったことだから明かすが、連載小説の最終近くで、私の神経は最後の一本でもっているなという感じであった。もちろん納得のいく出来で仕上げたいという願望はあった。リメイクで原稿用紙に書いている時は、すべてを忘れてのめり込めた。書くことが嫌だったのではなく、見切り発車でサイトを再開した昨年十月以降、張りつめていた私の神経は、プツンプツンと切れはじめていた。そして最終近くでは最後の一本になっていたのだ。

「連載を終えて」の文を書くのは精一杯だった。サラリと書いているように見えるであろうが、脱力感でボロボロになって書いていた。何を大袈裟なと思われるかもしれない。しかし、すべてはこれを終了してからと思っていたし、連載は現実と向き合うことから逃げ込める場所でもあった。したがってそれが無くなると、再び現実と向き合わなければならなくなる。まだ私はHiroshiとの年月や彼のしたこと、彼の死に関するもろもろのことに何も答を見つけていないのだ。それを思うとまた“うつ”へと陥ってしまったのだろう。

実際、私はどうかしている。外へ出るのが嫌で仕方ない。一人で外出ができなくなっている。二月には一度だけ“禅をきく会”というのに行った。三月は先日、大阪梅田まで出版のことを聞きに行っただけである。これらは人に付き添ってもらった。帰りにスーパーでやたら食糧を買い込んでしまった。しこたま買った三日後に、出かけなければとまた出向き、ふたたび大量に買う自分の異常にその時は気付かないのだ。冷蔵庫には肉や魚や野菜が入りきれない。しかも料理をする意欲がなく、食欲もあまりない。驚いたことに、二度の買物で同じカレールーを三個も買ってしまっている。夢遊病者のようにスーパーをさまよう私は病んでいる。食糧専門買物依存症になっている。

実のところ、最後の一本が切れる前に、三月はゆっくり休養しようと考えていた。詩や文はおろか、言葉すら出ないであろうと思ったからだ。“金曜日週一up”も初めて穴をあけた。以前なら、何が何でもと書こうとしたが、書くどころかパソコンを開けることもできなかった。ほんとうに苦しくて、パソコンから「誰か私を助けて」と叫ぼうとしたが、どうにかこうにか思いとどまった。まさに海底2万哩で息をひそめ、いつまでもじっとしていたいという心境であった。

そんななか、「透けてゆく人」の出版化は明るい話題であった。完成に向け、秋までは動かなければならないことが一つできた。これは良いことである。そのほか以前お世話になっていた詩の同人誌にも復帰した。4月にある発表会に参加しないかとも誘われている。Hiroshiのことでの悔いを埋めるため、歩き遍路の旅も考えている。その前にまず身体を快復させ、精神も鍛え直さなければならない。私はすっかり弱りきっている。生きながら死んでいる。

ひとまず“死にたい病”は治まったように思う。“うつ”を撃退するのでなく、仲良くしすぎることなく、膠原病同様に、“うつ”とも同道していこうか。私は初めてがんばれないことを知り、「がんばらなくていい」と人が云う言葉に耳を傾けようと思うようにもなってきた。

背負った荷物は以前にもまして重くなった。そろりそろりと歩いてゆこうか。そうしなければ息が切れて動けなくなってしまう。ウグイスが鳴いている。ガンバレガンバレ ホーホケキョ。デモ ガンバラナクテモ イインダヨ。

2005年3月


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