美しき老婦人


バスが発車すると
乗ってきたその人は
伐られた木のごとく倒れた

床に伏すその人に
息をのみ
だれもがすぐに動けない

ごろごろと林檎がころがり
客たちは受けとめた
それが務めであるように


席から立ち上がろうとしたとき
ひとりの客が歩みより
その人を助けおこした

わたしは腰をおろし
無関心をよそおって
窓の外に目をやった

なぜなら
その人があまりにも
美しい人であったから


鼓動がわたしを激しくうつ
涙があふれそうになる
怪我なきことを祈ってうつむいた

白髪のまじる髪は品よく結われ
紬の着物に真綿の名古屋帯
投げだされた手さげ籠は籐

足袋の白さまぶしく
薄化粧のくちびるは
ほのかに紅く


美しき人よ
あなたはいかほどの人たちの
心を惑わせてきたのであろう

誇り高き美しき人よ
あなたは今も幸せにちがいない
さけられない不幸せをのぞいては


美しき老婦人よ
ご無事でなにより
これは悪夢
わたしはあなたの老いを見なかった
だれも何も見なかった
林檎の赤さと
艶やかなあなたのくちびるの
ほのかな紅さよりほかは


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