2005年総括

まもなく2005年が終わろうとしている。大つごもりの今日、この一年を振り返って総括をしたい。

1月 毎年恒例となった“震災追悼集”を掲載した。悪夢の大震災から十年という歳月が流れたが、悲しみが癒えない人たちが多く居る。めざましい復興の陰に、未だ生活再建ができず、苦しい生活を強いられている人たちが少なからず居ることを知った。1月17日が近づくにつれ、神戸へ帰りたいと願う気持ちは今年いっそう強くなった。

2月 一年じゅうで最も寒さが厳しい時期、Hiroshiを亡くしてまだ半年ということもあって気分がふさぐ日が多かった。先のことが何も見えなかった。「透けてゆく人」の初作を書き直して文章の向上をはかり、掲載を続けることに心血を注いだ。この月の28日に、めでたく最終章が掲載できた。途中、二ヶ月のブランクを埋めるべく無我夢中で書きつづけたが、無事終了したことにより、安堵して再び私は空っぽになった。

3月 文芸社の出版説明会に出向く。何かしなければ潰れてしまうと考え、出版を思い立ったのだ。詩でも小説でもどちらでもよかったが、出版社は小説を推す。売れ筋は、やはり詩より小説のようである。月末に契約をする。同じ時期、歩き遍路の説明会にも出席、大いにやる気になる。何かすれば少しでも心が鎮まるかと考えたのである。

4月 高野山へ行き、弘法大師にご挨拶をし、杖も買ってきたが“完全歩き遍路”のツアーが満席ということで行けなくなり、再び意気消沈する。愛別離苦では、あい変らずメソメソとしたことを書いては気を紛らわせていた。依然として私は死に目に会えず、看取れなかったことを悔やんでいたのだ。その後悔から一生解放されることはないだろうと考えていた。季節は春。桜が咲き、庭に野菜の苗を植え、花々が色とりどりに咲き誇った。旧「水無月右近のひとり言」が100回を迎えた。

5月 気候がよく、気分も少し上向きになった。庭の花々は、いちだんと元気がよく、野菜の苗も成長した。気候と気分というのは密接な関係があるのか、春の陽気は人を陽気にさせてくれる。この時期に書いたものをHPで読むと、前向きになってきていることがわかる。積極的に人とも会い、自分の殻に閉じこもらないよう努めていた。植物によって季節が巡っていることを教えられ、背中を押された。この月に、新「右近的ひとり言」をスタートさせた。

6月 水無月である。水無月の会・第一回例会がポール・マッカートニーの誕生日である18日に行われた。私を支えてくださる皆さんと、和気あいあい、とても楽しい例会であった。人と会うと、その人が持っている力を与えてもらうのか元気になる。「愛別離苦」からのSさんも遠くから来られ、互いの悲しみを右近庵で夜明けまで語り合った。雨の多い6月は私にとって過しやすく、心身ともに調子のよい時期であった。

7月 待ちに待った第一回著者校正の原稿が送られてきた。さぞかし赤ペンが入っているかと思えば、ほとんど無く、ガッカリであった。プロの校正者というのは、もっとバサバサと削除したり、訂正するのだと思っていたので肩すかしであった。この月に三度の校正をしたが、その一回一回には、息を詰めるような緊張を強いられた。出版するのに少しでもよいものにという私の執着には、凄まじいものがあった。三度めを終えたのは月末、すぐにHiroshiの一周忌法要と初盆が控えていた。

8月 早めの法要を無事に終えていたが、1日には思い出の花火を見るのは辛く、3日の命日も更に辛いものであった。娘たちが気遣ってくれ、その両日とも三人で過した。Hiroshiがしたように彼女たちは平屋根に梯子をかけ、椅子を運び、ビールやつまみ、カメラを持って上がり、皆で花火を見たのだった。命日には二人が買物へ行き、沈みがちな私のために料理をしてくれた。8月は辛い月である。月末には同志社小劇場の集まりに参加した。8月30日、待望の本「透けてゆく人」が届く。箱から取り出した最初の一冊を、仏壇の中のHiroshiのそばに置いた。

9月 暑さは一段落する。再度申し込んだ第二回の“歩き遍路”に出かけるため、トレーニングをしたり必要な物を購入して出発に備えたが、直前に風邪をひき、また参加できなかった。予定の立たない身体であることを嘆く。庭に棲むクロが弱ってきたのもこの月。9月19日に永眠。手厚く葬ってやった。下旬、書店に本が並びはじめる。近隣の書店には文芸社の手配で、ひと足早く並びはじめた。「天罰」を書きはじめ、ブログを導入してみる。

10月 いよいよ出版である。一日には出版記念会を催していただき、うれしかった。まずは千部完売を目ざし、参加者の皆さんにご協力をお願いする。書店への挨拶回りや知人へのダイレクトメール送付、販売協力者への本の発送など、多忙な日を過ごす。中旬には神戸山手学園の同窓会にも出席、先生や同級生が本を買ってくれた。その他、Hiroshiや私の友人・知人が販売を快諾してくださる。かくして疾風怒涛のような一ヶ月が終わったのだった。

11月 忙しかった10月には、落ち着いて書くことができず、少々ストレスが溜っていた。その反動か休止していた「天罰」を、水を得た魚のように喜々として書きはじめた。中旬、ブログを休止する。スタートは好調で、訪問者数もそれなりにあったが、ある日、悪意あるコメントが書かれて厭になったのだ。一週間ほど姿が見えなかった小春・小太郎が戻り、大喜びをした。どうやら母親のトラ子が、乳離れをさせるための試練を与えていたようである。この月ブログを閉じる。横ヤリが入っては続けられない。

12月 下旬に「天罰」を休筆、そのことを宣言する。その理由はNo.11を読まれたし。それは、まだ闘う気はあるがバスタオルがリングに投げ入れられ、あっけなく終わったボクシングの試合のようである。まだ闘いたいのに闘えない。それ以上続けると確実に身体を壊す。だから仕方なく中断したような形であった。もう一度鍛え直し、体力をつけ、体調を整え、再び挑戦する気は満々である。

極めて大まかに私の一年を振り返ってみた。365日のことを書き尽くすことは不可能である。今、ざっと振り返ると、昨年よりは向上できたと思えるこの一年を、よしとしなければなるまい。悲しみを引きずりながらも歩きはじめ、人と関わり、その温かさに大いにふれることができた実り多い年であった。

さまざまな思いを抱えつつ、あと数十分で終わる2005年を静かに見送るとしよう。皆様にはこの一年の同道を、心より感謝する次第である。

2005年12月31日 

         
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