2006年夏の総括 片付け編

2006年の夏が終わろうとしている。
梅雨が長引いたため、今年は夏が来るのが遅れた。私の誕生日は7月下旬だが、その頃にまだ梅雨が明けていない年は記憶にない。明けたとたん猛暑となり、さすがの右近庵も今年の夏は暑かった。それもその筈、観測史上、3番めに暑い夏であったという。

記録的な暑さの今年の夏は、私にとって進歩を認めた夏でもあった。7月の半ば頃から盆過ぎ迄、はやり言葉で云うならば、ワタクシ的には活発に動けたのである。片付けもはかどったし、不可能と諦めていた夏の外出もそこそこ出来たし。持病をもってから苦手になった夏でも少しくらいなら動けるという自信がついたことは喜びであった。なに、健常な人びとにとっては「なぁんだソレシキのことか」というほどのことではあるが、出来ないと高を括っていたことが出来たのだから、それはワタクシ的には嬉しかったのである。

まず大いに動いたことは7月30日に行う三回忌法要のための片付けや掃除であった。2002年以降、諸事情による身心不調で、私は家の中をきれいに維持することが出来なくなっていた。2004年のHiroshi急逝後はさらに動けず、家の各部屋は荒みきっていたのである。そのうえ書き始めると日常のこまごましたことを放棄し、自分と猫が食べることしかしなくなる。(書くことは非日常的なことであり、それは日常生活を大いに乱すものなのだ)したがって、「天罰」を書き終えたばかりの右近庵は目も当てられないほど雑然としていた。

法事のための片付け期間は7月の初めから1ヶ月を考えていたが、一作を書き上げて私は虚脱状態となり、しばらくはボーッとしてしまった。片付けなければと判っているのに動けないのだ。アレはシンドイ小説だったから無理もない。しばらくは休むが良かろう、時間はたっぷりあるじゃないかと腰がなかなか上がらず、だらだらごろごろと過していた。そうしているうち、はや月半ばとなり、そろそろ片付けなければと気がついた。

「さて」と重い腰を上げたは良いが、どこから手をつけてよいやら判らない。仏壇のある居間に客人は座るので、まず居間からと思って片付け始めると、じきウンザリした。居間は現在、私の寝室で食事室で読書室で仕事部屋で、文字通り居間でダッコの居場所でもある。ここ2年、何もかもをこの部屋でおこなっている。したがって当然のことながらモノは多く、布団の上げ下ろしをするので埃っぽい。家猫3匹の毛も無数に舞っては落ちている。(私は埃に神経質でマメに拭き、掃除機は毎日かけるが)

居間を片付けながら考えた。待てよ。かれら客人は(身内ばかりであるが)、また台所兼食事室の方に自動的に移動し、好きな所に立ったり座ったりして喋りだすに違いない。そちらの方も片付けなければならない。さらに坊さんが袈裟を着たり、お茶を飲んでいただく部屋も必要だったことを思い出した。うむ。そうすると、結局は1階のすべてを片付けなければならない。去年もそうだったではないか。一周忌の時は完璧に1階をきれいにしたことを思い起こすのであった。(あぁ、どうでもよいことを、もう原稿用紙3枚も書いてしまった)

腹を括って1階のすべてを片付けるぞと息巻いたのは良かったが、私は本当に片付けが下手である。おまけに暑い。ちっともはかどらずイライラし、何度も give up しそうになったが、「頑張れいっ!」という自分と「ぼちぼちやりよ」という自分の闘いは続いた。子どもの時から私は片付けが不得手であったが、苦手意識も手伝って、いくら片付けても家の中には殆ど変化が見えない。悪戦苦闘しているうちにいたずらに日は過ぎ、私は焦り始めた。

一生懸命やっているのに、なぜ家の中は片付かないのか? やみくもに動き回ってくたびれるよりも、まず考えようとした矢先、注文していた本が届いた。それは「いつか片づけようと思いながら、なかなかできないあなたへ」という長い題名の本である。さっそく読み始めると、まさに目から鱗が落ちたようであった。家の中にあるものを片付けているつもりの私は、片付けてなんかおらず、右から左へ、左から右、下から上へとゲルマン民族大移動よろしく、モノの大移動をしているだけなのであった。

片付けは一旦休止して、その本を黙々と読み、私はバサリバサリとモノを捨てたり処分し始めた。それまで私は、其処に在るモノが不要かどうかを考えるより、収納して整理することだけを考えていたのであった。さんざん人に指摘されてきたが、右近庵は実にモノが多い。(その代り、お望みのモノは何でも出してみせる自信がある) 絶対量が多い上に、本やCD、原稿などは増えはすれ今後も減ることはない。

私は考えた。今まで長い間ずっと仕舞っておいたモノの見直しをするべきである。モノが多いと整理も大変、何か見あたらなくなると探すのも大変である。懐しい、もったいない、あったら便利、いつか使おうなど様々の理由で私はモノを“一応”とっておく性分である。今まさに“もったいない”は流行語にもなりつつあるが、それも昂じると“百害あって一利なし”だ。モノに家を占領され、いつかは征服されてしまうことになる。それはマズい。

こんなふうに、三回忌法要を自宅で執り行うのが切っ掛けで、私は片付けに目覚めた。まずは居間やDK、和室を体裁よく整えるというのが目的であったのが、サイドボードの引き出しや、食器棚にクロゼットの中までが気になりだした。引き出しの中から不要なものを取り除いて整理をし、スッキリしたら満たされたが、どこもかしこも触りたい気持ちを抑えなければならなかった。カレンダーを見ると法事の日が迫っている。これはいけない。今は細部までをゴソゴソやっている場合ではないと気がついたのであった。

そんな訳で、結局は時間切れでいつものごとく1階のモノをとりあえずは二階へと、ダンボール箱に詰めてはセッセと運び、最後にはバタバタとモノの大移動をしただけであった。しかしながら当日には身内の者は皆「綺麗に片付いてるねぇ」と誉めてくれ、とにもかくにも三回忌法要を無事に終え、務めを果たすことが出来たのであった。

2階の3室はモノでモノで、箱で箱で、本で原稿で、足の踏み場もなくなっていたことは、わざわざ明かす必要は無い。さぁ、また頑張って片付けなければ。

                     (つづく)

2006年9月1日 

         
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