平成潮時考 (その1) 『2002.11〜2003.11』

今週末で「平成道行考」は五周年を迎える。
2002年の11月23日は祝日で土曜、24日は日曜だったから、おそらくこの旅はこのあたりに始まり、それから五年間、水無月右近はさすらっていた。雨の日も風の日も、雪やみぞれの日もあれば、晴れの日もあり曇の日もあった。

旅に出るきっかけは、恥ずかしくも書きためた恋愛詩を公表することであった。詩だけではアッという間に読んでしまう。それで小文も掲載しようと書いたのが「ひとり言」である。恋愛詩はそれなりの数があったので、小出しにすれば更新はヨユウであった。週に一度の小文を書き続けられるか不安であったが、書き始めるとこれが何とも面白い。この頃、折しもHiroshiとの仲は最高に険悪であった。彼は嘘の上に嘘を塗り、神の力によってそれらが次々に暴露されていた時期である。会話もほとんどない暗い家の中で、水無月右近という飄々とした人間(ではなく宇宙人かもしれないが)になって愉しく文を書くことは何よりの安らぎであった。

恋愛詩と「ひとり言」のみの小さなサイトで、しかも極めて怪しげである。やってる奴は男か女か判らない。こんな所へ訪ねてきてくれる人などいるのだろうかと思っていたが、毎週金曜日の夜を更新日と定め、とりあえずスタートした。Hiroshiは大きなマイノリティサイトにリンクし、いくつかの文芸サーチにも登録をした。カウンターも付け、なぜか80という数字から始めた。末広がりを願ったのだろうか。その頃、私はパソコンに触れることすらできない人であり、かろうじてメールのみができたのであった。Hiroshiはいくつもの欺瞞を重ね続け、私への謝罪のつもりでホームページを勧めたのである。どうにかして私の気持ちを他へ向けさせたかったのが本音であろうか。ともあれHiroshiの力なしではこの道行きは叶わなかった。また可愛いと思われるかもしれないが、当時の私の日記(HPやブログのではなく正真正銘の大学ノートにつける日記)からホームーページに関して述べている部分を抜粋してみよう。

2002年11月26日(火) HPが今晩119になっていた。昼間は99だったから20人もふえた。これで約40人が見た。とても嬉しい。がんばらねばならない。

2002年11月27日(水) HPが150を超えた。もう70名も見たことになる。やはりインターネットはすごい。思いのほかHPのカウントがふえている。詩も文もがんばりたいと思う。Repeater がふえてほしいものである。ボヤボヤしてはいられない。常に「ひとり言」の題材を求めたい。

2002年11月28日(木) HPが180名を超えた。(注:つまり100名を突破)がんばって多くの人に見てもらうため、充実させたい。

2002年11月29日(金) HPは200名に。nifty の HP の宣伝のトップに載っているのが幸いし、開けてみている人が増えているようだ。これから約一ヶ月後、あちこちの検索にかかるようになるらしい。嬉しいことだ。P.Cとはすごいものだと改めて感心する。「ひとり言」“水無月右近という名前”を清書。

2002年12月2日(月) HP夜には253名に。嬉しい。Club Jelly の客も少しは見てくれたか。(注:月1回のダンス・パーティーに前日行く。オーナーのMさんがHPのチラシを配布してくれた)

このあと私はひどい風邪をひいたようだ。病院で待たされたとか頭痛がマシになったとか書いてあり、
2002年12月7日(土) 「HPが380人を超える。『すこたん企画』さんよりメール。快諾をもらう」とある。相互リンクのことであろう。このあと「P.Cというのはすごいものだ。私も少しはできるようにならねばならない」とある。だが依然、不勉強であった。

振り返って読めば、自分でも「可愛いッ」と思う。カウンターの回転数が伸びることを子どものように喜んでいる。なつかしっ。はずかしっ。日記にはHiroshiとのことや体調、日々の出来事とともにかならずその日のカウンター数が書かれている。年が明けて1月下旬に1000を超えるが、その日のことも記されている。

2003年1月21日(火) 朝方、寝る前にHPを開ければ1000になった。自分が1000を開くとは! そして現在は1013。1日に10人前後はふえる。リンクひとつふえる。

その日も日記の最後に数字は記録され、3月23日(日)に再び2000を自分で開けてしまい、5月に3000、10月に8000を超え、カウンターは回って、2003年11月には9000に達する。個人の小さな特殊なサイトとしては上々である。

このように1年めは閲覧者数ばかり気にしていた様子が判る。肝心のコンテンツであるが、更新の内容を書き留めるノートを作らなかったので詳細は判らない。「ひとり言」には日付けを入れてあるから更新日を知ることができるが、その他は原稿を見なければ判らない。

開設1年以内の「平成道行考」の流れとして覚えているかぎりでは、翌2003年6月にBBSなるものを初めて付けたこと、短歌のコーナーを設けたこと、Hiroshiみずからの手によって「怨憎詩集」も掲載したことなどがある。だが半年間はトップページの写真のみで姿は現さず、文章と詩でしか語っていなかった。BBSを設置して初めて右近なる人物は喋ったのである。このBBS、実に多くの人びとが訪れてくださった。皆さん一様に緊張して書き込まれるのはなぜかと不思議だった。BBSのレスポンスも丁寧語で書いていたせいであろうか。今みたいにクダけずカッコつけていたせいであろうか、とにかく皆さん決死の覚悟で書き込まれるご様子であった。何故だらう。何故わたしはそれほど人を緊張させてしまふのだらうか。判らぬなぁ。

ともあれ、私は1年間で「ひとり言(T)」を55編も書いている。No.55では、1年間書き続けたことを喜び、読み続けてくださった皆さんに御礼を述べている。平成道行考は2003年11月、無事に一年の旅を終えた。この時には翌年の夏に起こる悲劇について知る由もなかったのである。

                             (つづく)

2007年11月20日 

         
前の日常 次の日常

右近的 INDEXへ