平成潮時考 (その4) 『2006.1〜2007.12』

明けて2006年1月10日、「HP40001あける」と日記にある。来訪者数は各ページへの直リンクのかたも居られるので正確な数ではないが、トップページのカウンターは40000を超えた。それまでの「一年に10000」のめやすから大きく伸びた。それは嬉しいことではある。だが、アクセス数のことはたいして気にならず、2006年の日記にはHPに関する記述が少なくなった。

1月30日 「ひとり言U」に出版社の悪口を書く。
5月15日 「小春」の8話、詩「フリージア」、ブログも書いた。
7月13日 HP休筆宣言。(ごく短い期間である)
8月1日 ブログ「捨てる」追加。
11月17日 9月初め〜11月初めまで「言葉屋」連載。
12月24日 出版予定の本(注:詩集『愛別離苦』)にトラブル。返品か。

この程度くらいしか書き残しておらず、私の興味がHPから離れていることが判る。一方で短編小説をひょっこり書いてみたり、秋から「言葉屋」、日記にはないが12月から「とび」の二編の中編小説を書いている。書き進みながらの連載をし、皆さんには楽しみにしていただけたことに喜びを感じた。2006年9月から2007年1月初めまで私は小説を書き続けていたことになり、その間はHP内の他のページが更新がほとんどできなかった。いったん小説を書き始めると、その世界に入り込むため、HPはおろか日常のことも疎かになるのは致し方ないことである。小説とは何かに憑かれたように書くものである。せっかく書いたのだから出してみようかと、2006年12月、「言葉屋」を太宰治賞に投稿した。(一次選考通過)

明けて2007年、「とび」の執筆に追われていた。
1月13日 正月明けから再開した「とび」をドトウの更新。本日完結。
1月14日 朝、ひどい目まいと吐き気に襲われる。何も食べられず。夜、すりおろしりんごを食べても吐く。フラフラで投稿準備。「あらすじ」の400字を書くのもやっと。
1月15日 まだ吐き気。
1月16日 改善するが尚、不調。
1月17日 病院へ。

さてもさても小説を書くということは、夢中になれるが身体を酷使しているものである。あれ以来、根を詰めると耳鳴りがして軽い目まいがやってくるようになった。「ほどほど」を肝銘に書かねばならない。今年は6月頃から「明け方のウィスキー」を連載し、中編は一編のみとなったが、これまでで最も納得のいく小説になった。

2007年の日記には前述の「とび」執筆・投稿に関すること以外、HPについては何も書いていない。(「とび」は「堺自由都市文学賞」に投稿、一次選考通過)庭のこと、片付けのこと、飲みに行ったこと、芝居や相撲に行ったことなどが書かれているばかりだ。6月末から9月半ばまで飛んでいるのは異常な暑さで不調が続き、臥しがちであったためである。秋口に記入を再開するも、晩秋まで記録がないなど、こまめに日記を書いていない。数えてみると2007年の日記には、ノートに10ページしかない。何故か?

一番の理由はパソコン独習を熱心に始めたことが考えられる。本や教材を買い込み、にらめっこしながら悪戦苦闘していたのである。読めば解る。解ると面白い。今までは食わず嫌いであった。私のような家にばかり居る者にとって、これほど便利で楽しいものはないと気づいた一年であった。ところが、パソコンを楽しむと、文芸的なことから遠ざかってしまうのである。文芸書を読まなくなると、文芸的なことを考えず、書こうとしなくなる。これは困ったことである。両方をバランスよく精進しなければなるまい。どうも私は不器用でいけない。

精進といえば、この一年で私は仏教に急接近した。2004年のHiroshi急逝後より仏教に関する本を読むようになったが、思い悩むにつけ仏教のおしえが私を救った。今こうして平穏に暮せるようになったのも、仏教が自分を支えているからだと思っている。日本という国の荒廃は、仏教国といいながら信仰心を持たなくなってしまったことによると梅原猛氏も書いていた。指針をどこにも見出せないこの国の現状は、仏教に限らずどんな宗教でも、信仰心を取り戻すことによって打開できると私は思うが、そのことを主張する人は居らず、諸問題の中で特に「心」の問題の改善策がまったく見えてこない。

仏教の話になったのでもう少し語ろう。私は書く人間であり続けたいが、世俗的な欲は少ない。(ゼロではないから投稿するのだろう)素人であろうと自分の納得いくものを生涯書き続けていたいのである。わずかずつでも一作ごとに進歩していたいのである。思想において、文章において。私は本格的に書き始めてまだ6年ほどであるが、これまでは無我夢中で書いてきた感がある。しかし近頃、書く自分の核となる確たるものが欲しいと思うようになった。それは何によって得られるのかと考えた。書物か。人との関わりにおいてか。それらも大切であるが、それが私の場合は仏教であると気付いたのだ。自分の中心に据える思想なしに文は書けない、まずはブレない自分を確立しなければ人に読んでもらえる良い文など書けないと解ったのである。

こんなことを考えるうち、自分のしていることに虚しさを憶えるようになってきた。HPでチャラチャラしたことを書いたり喋ったりしている自分がバカに思えてきたのである。HPという場では運営者は王様である。その王様が発信することを好む人たちは喜んでくださるのであろうが、未熟な私の言葉を野放途に発信することに疑問を感じているのである。さらに、今の私はHPを通じて発信する価値のあるものを持たないとも思っている。

今や多くの人々が個人でホームページを運営して楽しみ、ブログ人口は800万人と言われている。世の中、発信したい人だらけ、喋りたい人だらけなのである。かつて私もそうであった。せっせと詩や文を書いて更新してきたものである。夢中で書き、夢中で掲載し、閲覧者の皆さんが読んでくださることに期待した。それは楽しい楽しいことであった。スポーツでも何でも、見るよりする方が楽しいように、読む人よりも、やっている自分が一番楽しんでいるのがHPやブログというものなのである。

けれども私は楽しめなくなってしまったのだ。以前のように、「ホラ、見てちょうだい」も「ねえねえ聞いてよ」も無いのだ。自分が最も楽しむときは過ぎてしまった。あるいは体調が崩れやすくなった私には、きちんと出来ないことが歯がゆいこともある。小説の連載は好まれるようであるが、今夏、連載中に体調がたびたび悪くなり、待っていただくことにひどく気を遣った。掲載しなければ気苦労は無く、いつ書いてもいいのである。また、何を発信してもほとんど手応えのないネットの世界にも依然なじめず、ある日突然に良からぬことをする人が現れて、嫌な思いをすると体に響いてしまうのも迷惑なことであった。

こう考えると、もはや現況の道行考は私にとって任務を終えているように思えてならない。現在、我が道行考は文芸サイトのみならず、センセイに戻って明るく皆さんを励ますという役割りも担っているようであるが、これがかなりキツくもある。創作をする私、文学的な随筆を書こうとする私はセンセイ的要素を忘れているからである。毎日トークが楽しみだというお声は嬉しい反面、気が乗らなくても書かなければと重荷になっている面もある。元気な振りをしてまで書いてと誰も望まないであろうが、私はそういう性格であるから困ったものだ。

だらだらと書いていたら、もう原稿用紙は七枚目の半分まで来てしまった。結論をそろそろまとめなければなるまい。実のところ、五周年を目度に水無月右近及び「平成道行考」はネット界から引退することを考えていたが。だが踏み切れなかった。ひと握りであろうと思われる熱心な同道の皆様のことを想ったのである。右近が、素の良が、此の世を去るまで見守り続けたいと思ってくださっているであろう熱い皆様のことである。あなた方のことを想うと、サイト閉鎖は忍びなく候、なのである。

「平成道行考」は潮どきである。それは紛れもない事であろう。あぁ、原稿用紙が終ってしまう。結論は来年に持ち越すとしようか。年の瀬である。皆々様、今年一年間の同道を有難うございました。心より感謝いたします。どうぞ良き年をお迎え下さい。


2007年12月29日 

         
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