年度末そして春

2008年度が今日で終わる。実にしんどい一年であった。その疲れがまだとれない。

昨春より通信制の大学生に復帰し、みたび英文学を学び始めた。20年前、まだ30代の頃に学んでいたのだが、仕事が忙しくなってやむなく中断した私は、その挫折への悔いを心の隅にずっと置いていた。そこで一念発起して残りの26単位を取得してしまおうと決心した。読むのも書くのも好きなので、通信制での学習は打って付けだと思い、それくらいの単位数は楽勝だと考えていた。甘かった。

30代の頃は、もっとスイスイ学べた記憶がある。それもその筈、心身とも最も元気なときであった。このたび学習を始め、認めたくはないが能力の衰えを痛切に感じた。理解力や記憶力には自信を持っていたが、それらを支えるところの集中力が長く続かないのである。仕事から遠ざかって10年たらず、その後は好きに遊び暮らしていたせいか、脳の老化が進んだせいか、悪戦苦闘の連続であった。すぐコーヒーを飲んでみたり、その場から逃げようとした。面白いと感じて集中し、ずいぶん頭に叩き込んだと思っても、眠る直前に布団の中でその日の学習を思い起こそうとすると、細部が思い出せなかったりする。知らぬまにポロポロと抜けているのであろう。こと記憶力に関しては、並々ならぬ自信を持っていただけに情けなさを感じることしきりであった。だが今の自分を認識できたことはよいことで、速度も遅く、メモリも小さい古いパソコンのごとく自身をフル回転させて取り組んだ。

そんなふうではあったが、一教科につき原稿用紙8枚のレポートを2つ、論述形式の試験問題(6項目よりどれか1項目が出題される)を五教科なんとかクリアし、予定通りに18単位の取得が出来た(と思う)。残すは4回生でしか取れない8単位のみとなった。好きで始めたことではあるが、ずいぶんと苦痛を伴った。いったんレポートや試験準備にかかるとそれしか出来ず、いっさいを遮断して取り組んだ。30代の頃は、プラス仕事、家事、子育ても同時進行していたことと比べると、さてもさても容量が少なくなったことよのぉ。ともあれ予定通りに進められたことに安堵している。

私は1月から今年度最後の一教科と取り組んでいた。その教科は比較的好きな部類のものであったが、本を読んでただ楽しむのとはワケが違う。課題について考察し、要点を外さずに自分なりの論を展開し、文章にするのは骨が折れる。そのしんどさから逃れて小説「逃避行」を気まぐれに書き始めた。それは勉強からの逃避行でもあったかもしれない。学習が一段落したときに短時間で一気に原稿用紙10枚ほどを書き上げて楽しんだ。水を得た魚のよに私は喜々として書き、自分へのご褒美としても書いていた。書き進みたいが勉強がある。試験も近づき、連載をストップして学習に励み、終わったら思う存分に書くぞと考えていた。だが、いざ終わってみると心身の消耗が激しく、持病に特有の倦怠感・疲労感に襲われて寝込んでしまった。

このように、一教科終わるごとに疲れを出して寝込んだが、達成感と満足感はあった。ちょうど相撲が始まり、WBCの試合も寝床で大いに楽しんだ。試験が終わって一週間後には兄貴のおごりで相撲観戦の予定があった。なんとか出向ける体調となったので、難波まで出かけて楽しんだ。そのあとまた少しばかり疲れて三日ほど寝ていたが、体力は徐々に回復してきた。

放ったらかしにしている「逃避行」の続きも書かねばと思えど、トークでじぃじぃが伝えたように、小説とはその世界に入り込み、浸りきって書くものである。相撲だの野球だの、スケートだのサッカーだのとスポーツ系で満杯になった私は、すぐにあの小説のWetな感じに戻れず、どうしたものかと思っている。ほんの10数枚で終わるつもりが50枚を越え、それなら100枚ほどの中編に仕上げようと考えてはいたが、あの世界はとんと沸き出てこない。やはり中・短編は一気に書き上げるものなのであろう。どうか気長にお待ちくだされ。そのうち再開されるでありましょう。

そんなこんなで体力のない私は、この一年にモノ減らしがいくらも出来なかった。それらも再開しなければならないし、衣類の入れ替え、季節用品の収納、それに庭もシーズン・インである。水仙は咲き終わり、ムスカリは今が盛りで、植えるのが遅れたチューリップも白が真っ先に咲いてきた。ジャガイモの種芋を買ってあるが、それも芽が出てきたので急いで植えなければならない。種から育てたエダ豆も、ポットから畑へ移さなければ。

ここ1、2年、私は体力の衰えが著しい。そのため何かをするとすぐにだるさを感じ、ときに息切れやめまいもし、以前に出来ていたことが出来なくなり、嘆くことしきりである。私の持病は進行性であるため症状がしだいに強くなり、不自由を感じることがしばしばある。重篤にはならないが、QOL(クオリティ・オブ・ライフ)、つまり日常生活の質は極端に低いと言われるこの病気と共存しなければならない都合上、あらゆる負荷を少なくするべきであろう。だが新年度の8単位だけは何としても取得したい。

そもそも仏教を学びたいと思って近づいた通信教育であるが、英文学を学んで楽しい部分もあり、ためになることも多くある。しかしながらストレスが体のだるさを引き起こす膠原病患者には仏教までもいちから学ぶ体力が無かろう。レポートや試験は、注ぎ込む意欲と比例して私の体を疲労させることを知り、仏教は別の方法でのんびりと学ぶのがよいと考える。少しは気を抜け、ゆっくり休め、気楽に暮せとよく人に言われるが、出来るものならそうしたい。性分というのはどうすれば変えられるのであろうか。どなたかお教えいただきたい。

この冬が越せるかどうか心配だった老猫ダッコは、何とか春を迎えた。けれども毎日が油断できない状態であることに変わりはない。炬燵の中で咳をよくする日にはとても心配する。動物は先ほどまで歩いていたのに命を終えることがある。したがって、走り回ったり、大声で鳴く日は元気なのかと安心はするが、そのあと長時間動かないと生きているかと触ってみる。

ダッコを拾ったのは21年前で、その猫は最晩年を迎えている。手のひらに乗るほど小さかったダッコと21年以上の歳月を過ごしてきた。私も当時は人生で最も元気な時であったが、病気も持ち、年齢的にも体力が衰えた。ダッコの世話が私にとって辛い日も多い。しかしダッコは22回めの春を迎え、まれにみる賢さと逞しい精神力でその日一日を生きている。

天気のよい日は外へ出たがり、しきりに季節の匂いを嗅ぐ。そしてカドを見つけると、大好きなスリスリをする。そのときはダッコの「あ、いま幸せ」なのであろう。“あぁ、いい気持ち”と言っているダッコである。こんな時間が何度でも来ればよいと願っている。


鶯が鳴き、近辺の桜が咲きはじめた。2年前、裏庭に桜の苗を植えた。細いながらも成長し、固い蕾もつけている。この春には咲くのだろうか。咲けば嬉しい。もうすぐ初孫なるものも誕生する今年の春である。
2009年3月31日 

         
前の日常 次の日常

右近的 INDEXへ