誕生日のプレゼント

まもなくHiroshiが逝って5年になる。最初の3年は1日がとても長く感じられ、少しも時間が過ぎてくれないような気がした。けれどもあとの2年は早く過ぎた。宇宙の仕組みが変化するのでなければ時間は同じ長さのはずであるが、人間が勝手に長く感じたり短く感じるのは人の心身の状態によるものであろう。

5年前の夏、7月の終わりに来る私の誕生日に、彼は電子辞書を贈ってくれた。当時、彼のつくった膨大な借金のため、切り詰めた生活を強いられていた。そんな中で電子辞書は贅沢品だと私は考えた。重いけれど広辞苑を開けばいい、英和辞典を引けばよいのだ。しかし、一方でずいぶん便利だろうと、欲しい気持ちもあったことは否めない。そしてポロリと口にしてしまったのだ。すると彼は「たいした値段じゃない。買えばいい」と言ってインターネットショッピングでさっそく注文した。その電子辞書は36の辞書を内蔵し、価格は26,000円ほどだった。

誕生日より数日早く届いた電子辞書を当日まで開けないでおこうと包みを解かないでいる私に、すぐに使えばいいと彼は促した。そのほうが彼は嬉しいのだと気づいて私は包みを開いた。今よりも機械のことがまったくわからなかった私は、説明書を読んで何とか広辞苑と英語の辞書の使い方を理解した。なるほど早い。重く厚い辞書を持ち出してきて引くよりは、ずっと楽である。その素晴らしさに驚き、新しいもの好きで家電大好き人間の彼にも試しに使ってみることを薦めたが、興味を示さず黙って2階へ上がった。

夫の浪費癖から、積年の借金は家が一軒建つほどの額になっていた。暴露されたのがそれより2年前のことで、私の驚きの大きさは言うまでもない。それは数年にわたる女性関係もあったことを示す彼の手紙から知った。不貞がばれ、それに連動して多大な借金の額が判明したのだ。マンションを売るなどして大半を返したあと、心を入れ替えて真面目にすると約束した彼の生活は、ほんの数ヶ月しか続かなかった。退職金の前払いがあった後、いつの間にか浪費癖は復活し、また一度に複数で衣類や靴がふえ、彼の周りにいろいろなモノがふえた。帰宅時間も遅くなった。死後に参りにきてくれた同僚によると、相変らず盛んに飲み食いを楽しんでいたという。それらの金額に比べれば、なるほど電子辞書の代金など微々たるものに違いない。

私の誕生日、彼は高野山へ出かけていった。悪いことをしていながら自分から歩み寄らない彼は、休日に家で顔を合わせることを避けていた。私は埋めようがないと思われた大きな亀裂を、その頃には埋めようと努め、明るく話しかけることができるようになっていた。しかし彼は目も合わさず、笑いもせず、よけいに私を避けるのが気になった。その理由も死後にわかった。悪事は過去のものではなく、そのときも進行していたのである。

何度も改心したような言葉や素振りを見せ、そのそばから自分で崩れていった。そういうところは若い頃から少しも改まることがなかった。だが、その頃の崩れ方は尋常でなく、憑き物でも憑いたように浪費を続け、自分でもどうすることもできないほど病的なものになっていた。ひたすら借り、ひたすら買う。ひたすら使い、ひたすら返す。そんな狂った有様が彼の日常で、月末になると工面に往生し、借金を回しつづける自転車操業に追われていたようだ。誕生日の前日にも20万円を引き出していたことを後で知った。明らかに病んでいた。さぞかし苦しかったことであろう。

彼の精神はすでに崩壊していたのだ。死に絶えていたと言ってもよい。精神の病気としての買物依存症、浪費依存症。それを疑った私が口にすると激怒した。今にして思えば首に縄をつけてでも精神科か相談できる所へ連れて行けばよかったと後悔する。往々にして心を病むものは自身を病んでいると認識していないことが多いと聞く。彼も決して認めず病識を持とうとしなかった。加えて彼や彼の身内は借金の恥が世間や勤務先、私の身内に知られることを極力怖れた。そのために私はことを明らかにせず、ギリギリまで私の身内に言わなかった。彼の再起を信じていたのだ。しかしそれはこれまで同様に裏切られ、最後まで再起はかなわないまま多くの不明瞭な借金と疑問を残して突然に逝ってしまった。電子辞書を私に贈ってわずか2週間ほどあとのことである。

この5年の間、私はゆっくりと心の整理をつづけてきた。そして彼と長く関わったことに対するもろもろのことに私なりの結論をみた。それはここであからさまにすることでもなく私の胸におさめておこう。長くも短くもあったこの5年、私は今、確実に以前の私ではないことを感じている。その間、悔いも苦しみも悲しみ、もちろん憎しみも大いにあったけれど、彼と同じく借金から解放されて晴れ晴れとした気持ちになったこともたしかである。それまでの切り詰めた数年間の生活の反動からか、私もありとあらゆるモノを好きなだけ買ってみた。おそらく生涯で最もモノを買った五年間であったろう。その結果、知的欲求を満たすためのものは必要だが、あってもなくてもどっちでもよいモノを買って後悔することもあった。モノで人の心は満たされないとわかっていたが、まったくその通りであった。

5年を機に、私はさらに彼との過去に距離を置き、人生の区切りをつけたいと考えている。電子辞書を買い換える気になったのも、この区切りの年に自分で自分に誕生日プレゼントをしようと考えたからである。私は私である。なるべく誰にも寄りかからず、知的好奇心を湛えて前進し、誇りを持って尚も生きなければならない。探究心が涸れないかぎり私は潰れない。肉体は弱っても、精神さえ強ければ人間は最後まで崩れることはない。さらに私には書きたいことも山ほどある。書かねばならないことだらけなのである。個人的な禍々しい過去はこのあたりで切り捨ててしまい、ふり向くことなく前を向いて歩いていこう。

しかしながらモノの進歩には目を見張る。新しく買った最新の辞書は120ものコンテンツを含んでいる。私の好きな文学作品もパソコンからダウンロードして読むことが出来るし、音声も楽しめる。私もネットショップで最も安い福岡の店を見つけて購入した。その額は22,000円で、なんとこちらの方が安い。なんだか彼に勝ったような気がして嬉しい。パソコン常時使用者になっている私は、おそらくパソコンの知識も彼を追い抜いたのではないかと思う。頼り切っていた私に偉そうにしていた彼に、「エヘン」と言えることがずいぶんふえたものである。

もしまだ抜いていないものがあるとすれば、車の運転と大工仕事、それに力仕事くらのものである。私も運転は下手なほうではないが、それらは追い越せそうにない。けれどもこの際、区切りをつけるため、彼も運転した今の車に別れを告げ、エコ車に買い換えようかと思案しているところである。こんな私を彼はどんな思いであちらの世界から見ているのだろう。「おぬし、やるな」とでも言っているのかもしれない。一度訊ねてみたいものである。

2009年7月25日 

         
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