『愛しのダニー』(その1)

我が右近庵では、野山を走り回る猫たちが出入しているので、ときどき室内にダニが居る。猫がつけて帰ってくるのである。

それらはイエダニやコナダニなど埃や布団に生息する目に見えない小さなダニではない。猫が運んでくるダニは肉眼でハッキリと確認でき、クシで毛を梳いてやると大小さまざまなものが取れてくる。手櫛で毛を梳いてやると異物が指先にあたり、毛を掻き分けると愛猫の皮膚にしっかり食いついているダニを見つけることもしばしばである。その大部分はマダニと呼ばれるダニである。

ダニは5万種類も居ると言われるが、このマダニは草むらや竹やぶに潜み、獣や人間が通りかかると体につくのである。このマダニに毎年、夏の間じゅう悩まされる。猫と一緒にくつろいだり同じベッドで寝るせいか、私の体のどこかにも食いついて棲んでいることもある。このダニは噛んでも痒みを与えないので、背中に棲みつかれてしばらく気づかなかったこともある。すぐに見つけたが、今夏も腕を蚊に刺されて掻きむしった跡にチャッカリ棲み、私の血を吸って生き延びようとするけしからん奴らが2匹居た。

猫や犬がつけて帰るこのマダニ、じぃじぃも野山から土産に持ち帰り、私にもよく付ける。小さいものは1〜2ミリ、3〜5ミリくらいのものも居る。運よく動物の毛の中や人間のどこかに棲みついたダニは、ココと決めた場所に食らいつき、その場所で生涯を過すつもりで居すわる。そして24時間おいしい血を吸い続け、はじめは薄かった体をコロコロに太らせて大きくなっていく。そうしてやがて小豆粒、いや、大豆くらいにまで成長するのである。

マダニは動物の(私も動物である)血をたっぷり吸い、大きくなりすぎると歩けなくなる。小さいときはクモのように走って動き回るが、豆粒ほどに大きくなったものを猫の体から引き剥がすと、手足は細く短く数ミリのままで、空を泳ぐように動かすばかりで床に転がしてやるが歩けない。食い過ぎである。いや、吸い過ぎである。仰向けになったまま腹這いになることも出来ず、「もう、どうでもしてくれぃ」とばかりに細く小さくい脚をチョロチョロ動かしているが自身どうすることも出来ない。その姿はグレーのような茶色のような色をしており、オードブルで出てくるスモークサーモンについているケイパみたいである。(あぁ私の大好物なのに、こんなコトを言ってしまった)

マダニとの最初の出会いはマンションに住んでいた頃である。出入りしていた英五郎という猫がつけて帰ったのを見つけて驚いた。そのときはゾッとした。捕獲してビンに収容し、しばらく様子を見たあと、殺生はしたくないから近くの草原にでもと次女に放しに行かせた。右近庵に住んでからは、ヘビあり大ムカデありタヌキありコウモリあり、カエルありカタツムリありカブトムシありクワガタあり、カマキリあり名前もわからない無数の虫ありで、マダニなんぞへっちゃらになってしまった。ここに住んだお蔭で怖い生きものがなくなり、何が現れても驚かなくなった。

へっちゃらではあるが、マダニにいったん食いつかれたら厄介なのである。引き剥がすとそのあとがとてもひどいことになるのだ。背中のときは引き剥がしてもらった後、針か何かが残っているようなピリピリした痛みと、強烈な痒みに長期間悩まされた。腕のときも引き剥がすと噛みつかれた傷から直径20センチほども赤く腫れ、しつこい痒みが襲って掻き壊してしまったため、治るまで長くかかった。マダニが体についたら皮膚科で除去して消毒してもらうのがいいのだと知らなかった。(私はそれくらいで医者になど行かないが)マダニとは、噛みついたときは唾液に痒みを抑える成分があるため人や動物に気づかれず、引き剥がすと置き土産までするとんでもない奴なのである。

今年の夏、そのマダニらしき生きものを、私は一匹飼っていた。30年ほども家にあるネスカフェ赤ラベルの小瓶に住まわせていたのだ。ことの起こりは八月のある日のことであった。洗濯物を取り入れてしばらく居間の床に置き、たたもうと坐ったところへ一匹の虫が歩いてきた。歩くスピードは早い。これはもしやダニ?これがダニーとの最初の出会いだった。しかしこの時点では、ダニーがまだマダニだとわからなかった。(シャレてる場合ではない)なぜならダニーはそれまで見てきた小さなものではなく、ケイパ君でもなく、模様があったからだ。植物でいうとホスタか何かのように背中が“斑入り”(ふいり)であったのだ。それに大きいのにクモのように早く歩く。大きくなりすぎて動けないケイパ君とは確実に姿が違っていた。

私はすぐさま捕まえて空き瓶に入れた。するとその生きものは、さっきの元気はどこへやら、手足をちぢ込めて仰向けになって動かなくなった。瓶をゆするとその体は瓶の底を、あっちへ行き、こっちへ行きしているだけである。はて私の扱いが乱暴だっのか死んでしまったと落胆した。ほとんど触れずに紙ですくって瓶に入れたのに変だなぁとガッカリした。瓶の底でその生き物は、小さくなって干からびてしまったかのように哀れにもじっとしていた。可哀想なことをしてしまった。そのまま庭へ放してやればよかったと私は後悔した。あとで庭に埋めてやろうと意気消沈してその場を去り、夕飯の支度を始めた。

気になって途中で瓶をたしかめに行って私は唖然とした。なんと、その生きものはロッククライミングでもしているかのように、垂直の瓶の壁を中ほどまで登り、たくましくへばり付いているではないか!生きていた。にわかに私は嬉しくなり、おそらくダニであろうと思われるその生きものにエサを与えようと考えた。何が好きかわからないが、とりあえずパンくずをほんの小量与えて様子をみることにした。いつでも見えるように私は瓶を居間に置き、生きものが瓶のどこに張り付いているのかを四六時中ながめてうれしく思った。うむ、ダニのようだがなぁ。しかし模様があって身軽に動いたしなぁ。体は薄くていつものマダニではないような・・。君は誰?と尋ねてみても返事はしてくれず、ときどき空気を入れてやるために蓋を開けると、うらめしそうに私を見上げているかのようだった。

放してやろうかとも思ったが、その生きものが何であるかを調べてからにしようと、その日から私は飼うことに決めた。ダニではないかもしれないが、とりあえず“ダニー”という名をつけ、右近庵の客人になってしばらく滞在していただくことにしたのである。こうしてダニーは、老いても気力はカクシャクたるダッコの統べる右近庵を仮の宿とし、大好きであろう毛皮をもつ猫たちが家の中を歩き回るのに、庭ではトラ軍団が6匹もウロウロしているのに、瓶の中でひとり寂しく過さなければならなかった。

彼だか彼女だかの自由を奪っているのだから、せめて好物でも与えてやろうと私は考えた。しかし猫を与えるわけにはいかない。そこで頭をひねった。もしダニなら血が好きであろう。私は腕に停まった蚊をピシャリと叩いて殺生をし、般若波羅蜜多心経と手を合わせたあと、血を流して絶命した蚊を与えてみた。何時間か経過してダニーの居る瓶の中を見ると、血をすすった跡もなく、蚊を食べた形跡もない。

パンも食べない。私の血も蚊もお気に召さない。これはやはりダニではないのかもしれない。早く解放してやろうと思い、私はインターネットでダニの種類とクモの種類を熱心に調べ始めた。しかしダニーとそっくり同じに見える生きものは見つからなかった。

                                つづく

2009年10月25日 

         
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