『愛しのダニー』(その2)


(その1)を書いてから随分と間があいてしまったが続きを書きたい。皆様には、先に今一度(その1)をお読みいただければ幸いである。前回は、その生き物が果たしてダニかクモかわからないというところで終わっている。

このダニーであるが、夏のある日、脱走をした。酸素を入れてやろうとほんの少しばかり瓶の蓋をゆるめておいた隙間から逃げたのだ。私は大いに落胆した。ダニかクモかもわからないまま出て行ってしまったのである。まだそう遠くへは行ってはいないであろうと、そこらあたりを探してみたが見つからない。飼いダニを探すなんぞ妙な気がしたが、私はダニーがすっかり可愛くなっていたので懸命に探した。けれどもいくら探しても見つからないず、とうとうあきらめることにした。

ところが10月のある日、ダニーは最初と同じ居間の真ん中に、突如として登場したのだった。季節はすでに秋であった。ダニーはふたたび現れ、あの夏の日と同じく私の方へ歩み寄ってきた。「ダニーっ!」と大喜びしたのは言うまでもない。戻ってくることは予想ダニしていなかったので感激もひとしおであった。かくして約2ヵ月ぶりに戻ったダニーは、またネスカフェ赤ラベルの瓶に棲むことになった。それからは逃げる気配はなかったが、あれ以来、酸素を入れるために瓶の蓋を少し開けてやるとき、じっと見張っていることにした。けれども見つめていると、狭い瓶の中で暮らすダニーがしだいに哀れになってきた。

こうして拘束しているのは人間の傲慢ではないかと思えてきたのだ。だが、彼または彼女の生物学的な分類上の名前だけは知りたい。そして私は考えあぐねた末に思いついた。専門家に尋ねてみよう。すぐに浮かんだのが箕面(みのお)昆虫館であった。なぜか?関西で高視聴率を得ている人気番組に「探偵ナイトスクープ」といういうのがある。(このナイトはnightではなくknight、つまり騎士という意味である)私もこの番組を昔からよく観ているが、ここに寄せられる虫に関する疑問に答える専門家として、その昆虫館の方が登場する。その人がまた何ともやさしい方なのだ。よし、ココに決めた。

私はにわかに文書を作り始め、一度脱走したことや、死んだフリをする癖があるが生きているので処分しないよう頼み、これまでのいきさつと小さいが逞しい生き物の性状を詳細に記述し、最後にこの生き物が何であるかをぜひとも教えていただきたいとお願いした。文書はすぐに出来たが、問題はどうやってダニーを届けるかである。ご承知のように私は外出が思うに任せぬ体である。私にとって、大阪の最南端から大阪の北まではかなりの距離である。遠出はとんとすることが無く、私はとても身構えてしまった。ここは送るしかない。さいわいダニーは何日間か蓋をした瓶の中でも平気である。紙箱ならば尚更のこと大丈夫であろう。そう考えた私は二階へ駆け上がり、適当なマッチ箱をHiroshiの部屋から探し出してきた。「信州そば」と書いたマッチ箱が丁度よかった。それは彼が生前、東京で食べたそば屋のもののようだった。

ダニーが快適な旅を出来るようにとその中に柔らかな紙を敷き、ダニーを置いてみた。ダニーはとくに反応せず、逃げ出す様子もなくキョトンとしていた。どうやら気に入った様子である。瓶から外へ出てうれしかったのかもしれない。そこにじっとしているダニーに名残惜しさを感じつつ、私はマッチの箱をスライドさせて蓋をした。四方から眺めてみたが、酸素を取り入れる隙間はあり、ダニーが息苦しくなることはないであろうと思われた。

それから私の行動は素早かった。A4用紙2枚の文書を三つ折りにして封筒に入れ、ダニーが入ったマッチ箱も入れた。そしてポストへ直行した。ストンという音とともにダニーが赤いポストの底に落ちたとき、無事に着いてくれよと祈るような気持ちであった。人間界では可愛い子には旅をさせよと言うが、私は可愛いダニにまで旅をさせてしまったのだ。

翌日より私は箕面昆虫館から連絡が来ないかと毎日待った。しかし次の日も、その次の日も来ず、一週間が過ぎたが来なかった。ダニーは死んで到着し、死骸を処分されてしまったのだろうか。あまりにバカバカしくて捨て置かれているのだろうか。重さを量って切手を貼ったが、もしや郵便料金不足でこちらへ帰って来る途中なのであろうか。いろいろな場合を考えてみたが、そのどれもが不安になるようなものばかりであった。だが先方も忙しいのだ、そのうちに連絡をくださるであろうともう少し待つことにし、結局は2週間待った。これ以上はもう待てない。ついに私はシビレを切らして電話してみた。

事務の女性が応対し、担当の者に替わりますと言った。次に出てきたのは男性であった。まず最初に私は無事に届いたかどうか訊いた。「はい、無事に到着していますよ」
やさしい声に、おもわず私は「よかった」と洩らした。彼が言うことには、たしかに届いているのだが、昆虫を調べる資料はたくさんあるけれど、ダニの詳しい資料が無く、いまだ詳しいことを調べるに至らないとのことであった。そうなのだ。ソコは昆虫館なのである。けれども彼は、これはマダニであると教えてくれた。やはりダニーはダニであった。しかし私の知っているマダニではなかったので、ダニかクモかわからなかったのだ。マダニと言ってもそのなかにいくつも種類があることを知り、私はひとつ賢くなった気がした。

彼はマダニについて私がすでに知っている事柄を丁寧に色々と説明してくれた。私はそのひとつひとつを初めて聞くように返事をしたり驚いたりして相槌を打った。そしてひと通り彼の説明が終わったあと、すかさず訊いた。
「で、ダニーは元気にしていますか?」
「はい、元気にしていますよ」

目頭が熱くなった。ウルウルである。もう少しで落涙するところであった。ダニーは信州そばのマッチ箱に入って私の手からポストに投函され、中央郵便局に集積され、機械で分類され、ベルトに載って運ばれ、トラックに乗り、バイクにも乗り、局員さんの手によってはるばる箕面昆虫間まで届けられた。ひとり旅をしたダニーは、今そこに居るのであった。込み上げてくる想いを抑えながら、そうですか元気にしていますかと私はつぶやくように繰り返した。
「で、どうしましょうか?」
「書きましたとおり、箕面の森に放してやってください」
「わかりました。では、そうします」
礼を言って電話を切った。切ってから、その人の名前を尋ね忘れてたことに気がついた。しかしあのやさしい話しぶりは、たぶんテレビに出てくるあの人に違いなかった。

こうしてダニーは我が右近庵近辺在住であったが転出し、箕面市在住のダニとなった。めでたしめでたし。だが、毎日愛しく瓶の中のダニーを見つめ、声をかけていた日々を思い出し、一抹の寂しさもあった。

我が閑居の右近庵にはヒトの客人が訪れることは無くなった。その代わり年じゅう動植物や虫、爬虫類、鳥類、昆虫などの客人が訪れる。私はこれらすべての生き物の来訪を歓迎し、なぐさめられて暮らしている。近辺にはいくらでも訪れる場所があるというのに、右近庵を選んでやってきてくれたのだから精いっぱい歓待するのである。人間の言葉を持たぬかれらは余計なことを言って私を害することもなく、ただひたすらに生きる姿をさらして命の実地授業をし、多くの大切な事柄を教えてくれるのだ。

ダニーもその一匹であった。歓待どころか迷惑であったかもしれないが、私の気持ちに応えてくれ、昨年の夏から秋の二ヶ月を共に暮らした。年も変わって今は冬。ダニーはどうしているのであろう。箕面でサルかイノシシの毛の中にでも棲み、寒さをしのいでいるのであろうか。そして吸血を続け、さらに成長して立派になっているのであろうか。それともダニとしての生涯をまっとうし、すでに土に還ったか。愛しさ込めてダニーの姿を思い出し、時々なつかしむことがある。
                              (おわり)


脱走後、ふたたび戻ってきたダニー


2010年2月2日 

         
前の日常

右近的 INDEXへ