楽しかった同窓会(その1)

同窓会へ行ってきた。中学・高校の同級生が集まって、楽しい時をともに過した。

そもそも私は群れることが嫌いである。したがってこの類の集いとは無縁であると思っていたが、QUD(旧友“D”=水無月右近の「ひとり言」No.14参照)の誘いで参加することにした。幹事をするのでぜひ来いと云う。本を売りに来いとも云う。それではと、いくぶん重い腰を上げたようなことである。同窓会に出席するのはこれで二度目、それは十三年ぶりであった。

十月十六日。午後二時過ぎに家を出た。日曜とあって大阪の都心部は人でいっぱいである。平日とは違い、切符を買うのにも列に並ばなければならない。その分を計算に入れていなかったので、神戸までの往路は思いのほか時間がかかってしまった。三宮駅へ着いたのは午後四時半であった。集合は五時半である。ちょうど一時間。うむ、摩耶ケーブル下までタクシーで行き、ケーブルに乗ってロープウェイに乗って……。間に合いそうにない。見通しが甘かったようである。ケーブルやロープウェイの時刻も、会場まで徒歩で何分かかるのかも調べていなかった。結局タクシーで、摩耶山上にある“オテル・ド・マヤ”まで行くことにした。

タクシーというのは当りハズレがある。その日の運転手サンは私と同じくサングラスをかけてキメていた。サングラス対決である。シブイ男だと思っていたら、なんと彼は喋りづめで黙っているときが無い。その内容は自身の華麗なる恋の遍歴であった。やれ美人の弁護士夫人と恋に堕ちただの、その前の彼女はどうだったとか、口角泡を飛ばす勢いで喋り続けるのである。だが、私にとっては誠に退屈きわまりない話であって、ただ合槌を打つことに終始した。それよりも、どうしたことか車は走れども走れども着きそうにない。メーターはじき3,000円を超え、あたりの景色は見覚えのある六甲山である。その山中をグルグルと走り、私の乗ったタクシーは思いきり遠回りをしていたようであった。

彼の話を遮って、私は五時半から始まる旨を伝え、着換えの時間も必要であるからと、自称色男の運転手サンに訴えた。それを聞くや彼は恋愛談義を中断し、突然ビュンビュン飛ばしはじめた。私は生涯であれほど荒い運転の車に乗ったことがない。彼はモト暴走族であったのかもしれない。彼に惚れた数々の女性たちは、この運転に惚れたのではないかと後部座席で激しく揺られながら考えていた。お喋りに熱心なあまり、道を間違ってしまったことを彼はようやく悟ったようであったが、それを知られまいとさらに喋り続ける彼の話は支離滅裂になり、余裕がなくなってきた様子だった。

途中で停まっていた別のタクシーを見つけると彼は車を停めて歩み寄り、何やら尋ねた。戻るとすぐにメーターを止め、料金はこれでいいですと云ったあと、もうすぐですからと付け加えた。それからも車はさらに走り続け、もう私は間に合わないなと諦めモードで無口になった。さすがの彼も言葉すくなになっていたが、それでも前を走る車の異様なほどの遅さに苛立ち、ピタリとくっついて走ってはボヤいていたが、なんとか間に合い、目的地に着いた。しめて4,300円也。カーチェイスのようなドライブであった。

ホテルの正面玄関に向かって三々五々歩いている女性達は、紛れもなく同窓会の参加者であった。大部分は見覚えのある顔であったが、中には初めて見るような顔もあった。私はとても恥ずかしがりやであるので、誰とも目を合わさず、言葉も交さないで、そそくさとロビーへと向かった。居る居る。うわぁ、あんな人いたな、この人○○さんだな等々。それでも私は誰とも挨拶をせず、受付をしている幹事のQUDの所へ直行して「やぁ」と云った。

その後フロントで本を受け取った。当日に届くように送っておいたものであるが、それらを自室へひとまず運び入れた。群れるのが苦手な私が同窓会へ出てきた最大の理由というのが本を買ってもらうことである。果して同級生は買ってくれるのだろうか。私はマイナーな子であったから、誰も買ってくれないのではないかと心配しながら、カッターシャツを着てネクタイを締め、ジーンズ姿からスーツ姿へと変身した。正装すると心が自然に引きしまった。

集合時刻の午後5時50分になったのでロビーへ降りた。居るわ居るわ。えっと誰か知っている人はっと…。すると「良っ!」と声がかかった。旧姓Yである。横浜在住の彼女とは十三年ぶりに会う。初めて同窓会に出て司会までやらされてから、それだけの年月が経っていた。Yはその時と少しも変わっていない。彼女とは、一緒によく教室に立たされた仲である。Yと話していると、いろんな人が近づいてきて「Mさん?」と私に聞く。「そう」と答えてみたり、「さぁて誰でしょう」と答えたりして楽しんだ。サングラスにスーツ、ネクタイの私が誰だか判らない人もかなり居たようである。

先に集合写真を撮ってから、レストランへ移動した。料理はイタリアンであった。私は和食がいちばん好きだが仕方がない。ナイフやフォークよりも箸の方が使いよいが仕方がない。幹事の挨拶で食事が始まった。和やかな雰囲気のなかで、席の近い人同士が楽しそうにお喋りをしている。私もそのお喋りに加わった。斜め前の席のY・Kサンは宝塚歌劇団員であったが今はダンスを教えているとのこと。高校生の頃とまったく変らず可愛いままなのに驚いた。レストランは貸切りではなく、一般客も店内に居た。彼らは賑やかな団体がいるこんな日に当たって運の悪い人たちであった。

飲んでばかりであまり食べなかった食事が終わり、次はデザートカフェへと移動した。そこではスイーツが食べ放題、お茶は飲み放題であったが、そんな時はそれほど食べられるものでなく、Yの取ってきてくれたケーキやスフレを少し食べた。そのカフェでも中高時代の時と同じように、仲よしグループに分かれて談笑していた。コーヒーを飲んでいると、いろんな人がやってきて話しかける。私は愛敬を振りまいて喋り、携帯で写真を撮ってあげたり撮られたりした。ふと見ると先生たちが傍に居られる。これは挨拶をせねばなるまい。大のニガテな“先生”に、意を決して私は歩み寄った。

                    (続く)

2005年10月28日 

         
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