楽しかった同窓会(その2)

O先生とU先生は上品な老婦人になっておられた。「お久しぶりです」と、うやうやしく私は挨拶申し上げた。次の瞬間、なんとO先生は信じられない行動に出た。私のサングラスをヒョイと持ち上げられたのだ。これは困った。穴ぐらから突然に引っ張り出されたような状態の私は、慌てふためいた。

「お顔が見えません」
持ち上げられたまま「Mです」と私は情けなく答えた。O先生は思い出したというように頷かれたが、おそらく私のことは覚えておられないと思われた。私は目立たない生徒であり、先生方が苦手であったので、かれらには全く何の印象も持たれずに六年間を過し、卒業したのだった。

O先生は家庭科の食物を教えておられ、学校一の怖い先生であった。風紀に関しては特に厳しく、違反をしている生徒を見つけると、校内でも校外でも韋駄天の勢いで走り寄り、凄じい剣幕で生徒を叱りつけるのであった。O先生は、ご自身がY学園の卒業生であられるため、この学校での女子教育に燃えておられるのであった。当時のオソロシサはすっかりなくなり、私が膠原病持ちだと申し上げると、強く抱きしめてくださった。うれしかったなぁ。

U先生は物理の先生であった。理数系に弱い私は熱心な生徒ではなかった。「パスカルの原理」は今もって解らないが、文系の私には、「人間は考える葦である」というパスカルの言葉の方が魅力的であった。物理や化学は常に低空飛行で切り抜けた。お二人の先生方は七十歳を超えておられるはずである。短い会話のあと、やっとサングラスを降ろさせてもらい、穴蔵から引っ張り出されたモグラ状態の私は、這這の体(ほうほうのてい)で席へ逃げ帰った。

また友人たちとコーヒーを飲んで話していたが、そのカフェも閉店時間となり、一旦各自の部屋へ戻ることになった。そのあとは、何と幹事の部屋で二次会が行われるという。それもそのはず、オテル・ド・マヤは摩耶山上にあり、いざ二次会へと気勢を上げて外へ出ても何もない。せいぜい暗闇でタヌキやイノシシと出会うくらいである。幹事たちはよく考えたものである。しかし、四人部屋は広めであるとはいえ、四十人近い人間全員が果して収まるのであろうか。

ところが収まったのである。時間になってその部屋へ行くと、部屋はすでに満員、どこへ座ろうかとキョロキョロしていると、またYが私の名を呼び、おいでと招く。部屋の壁に沿って全員が座り、先生方もおられる。これはいい。不定型だが円座である。私はもちろん胡座(あぐら)をかいて楽に座った。座るとすぐ盆代りにした大きめの紙皿が渡された。その上には鮮やかなペーパーナプキンが敷かれ、モスグリーンの紙袋が置かれている。それには趣のある毛筆で、一人一人の名前が書かれた紙がクリップで留められている。中には種々のツマミが入っていた。粋なことをするものだ。風呂場には運び込まれた酒類がたっぷりあった。幹事であるQUDとその親友のSは昔から名コンビ。おシャレで味な計らいには舌を巻いた。

幹事の挨拶の後、乾杯をして二次会が始まった。しかし私はすぐに飲み始めるわけにはいかなかった。なぜなら、文化的活動をしている者には発言の場を設けてあり、私は最初に演説をしろ、そして本を売れと云われていたからだ。司会のSに紹介され、出番になった。幸いにも、私は人前で全く動じない。何人の人が居ても平気で喋れる。恥ずかしがりなくせに、そういうことが苦もなくできるのは、芝居をやっていたからであろうか。よしきたとばかり私は本を手に、スックと立ち上がったのだった。

喋る内容は前もって考えていなかったが、行きあたりバッタリで失礼しますと前置きをし、話し始めた。同窓会へは二度め、十三年ぶりの参加であることから話し、今回はQUDの誘いがあって参加したこと、昨夏にはHiroshiを亡くすという不幸があったこと、膠原病を持って十年になること、書くことが好きで、今はひたすら書いていること、そして本を出したばかりであることへとつなげていった。話している途中で、驚いたり同情したりの声や嘆息が、あちこちから聞こえてきた。その本が図書館協会より選定図書に選ばれたことを話した時には、拍手喝采になった。母校は、先生は、同級生は、いいものだ。

そのあと何人かの人々が、自分の活動していることの報告や勧誘の演説をしたが、私は部屋の隅で開店準備をしなければならず、それらが聞けずに残念であった。が、ともかく来客に備えて急いで準備を始めた。持参の紙看板を貼り、本を積んで、ご希望とあらばサインもしようと、おこがましくもサインペンまで用意した。そうして露天商のおっちゃんよろしくスタンバイをしていたのであった。さっそく2冊ずつの注文を先生方からいただき、なんと、サインを所望され、緊張気味に書かせていただいた。例によって、ただ名前を書くだけの、ちっともサインらしくないサインである。

宴もたけなわ、女性たちは飲んで語り、語っては食べている。眺めていると、どの人も女子学生に戻っている。この雰囲気は昔と何も変わっていない。セーラー服ではないだけで、皆ちっとも変らず同じであるのはなぜだろうかと不思議だったが、そういう私もちっとも変わっていないらしい。入れ替わり立ち替わり彼女たちは部屋の隅の私の店に訪れては話しかけてくれる。それに応えて私は愛敬を振りまき、ヘタなサインをし続けた。

しかし同級生というものは、ガキのくせにイキっていた頃の私を、よく覚えているものである。私は記憶力の良さが自慢であるが、彼女たちは私も覚えていないことを、実によく覚えているのであった。

旧姓Kさん曰く。修学旅行の説明会の時、O先生が布団の畳み方を、こと細かく説明し始めた。私は、そこまで細かいことを指示されたくはないと激怒したそうである。私は実際、高3の修学旅行には行かなかったのであるが、布団云々が理由ではなく、24時間の集団生活を6日間もやれる自信がなかったからである。(と思う)

旧姓Yさん曰く、私の作文が入賞し、表彰されたことがあるらしい。しかし私はそれを拒否し、辞退したのだそうである。これを聞くや、私は腹を抱えて笑ってしまった。大きな賞を貰いながら、拒否する人のことをカッコイイと常々思っていたのである。そのマネをしたつもりであろうか。なんと私は幼く、ナマイキでカワユかったのであろう。その私がついに本を出版できたのだ。愉快である。

本のおかげで私は皆に祭り上げられ、すこぶる楽しく、心地よい夜は更けていった。今晩は朝まで飲むぞと、ビールを横目に慣れないサインをし続けていたのであった。

                    (続く)

2005年11月5日 

         
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