本が出たっ!

「透けてゆく人」が本になった。これは宿願であった。感慨無量である。

すでにご承知のように、私は子どもの頃から書くことが好きであった。書いて身を立てられたらと願っていた。しかし、それは所詮、子どもが考えることであって、大人になるにつれ、夢は夢だと認識しはじめた。あるいは別の夢を追いはじめたり、まったく別の仕事をしたりで、書くこととは無縁の数十年が過ぎてしまった。けれども引退するとすぐ、私は昔の夢をまた追いはじめていた。本を出したいというのではなく、とにかく私は、思いきり書いてみたかったのだ。

書くということは、書かずにいられないから書くことである。書かずには死ねないぞと思っていることがらを書くことである。私には書きたいという強い願望と、何が何でも書いておきたいテーマがいくつかあった。もうこれは書くしかないのである。そんな思いがあふれ、ほとばしり出て結集したのがこの作品である。初稿から三年を経て、やっとひとつの形にすることができた。この歓びをどう表現したものか。体の中からじわじわと、ほんわり温いものがこみ上げてくるのである。

この作品と、それにまつわることは「ひとり言」bX2(現在、非公開中)ですでに述べた。したがって、今日は初めて経験した“上梓”(じょうし=図書を出版すること)に関する身辺の動きについて語ろう。

八月三十日。文芸社より出来たばかりの本が届いた。20冊ずつ入っている箱が5箱、合計100冊である。それは1000部発行のうち、私へ与えられる分なのだ。届いた日は雨であった。車から玄関へ運び込まれる間も雨に濡れるのが気になった。一個ずつ居間に運び、そのうちの一つを開けた。中には10冊ずつの包みが2つ。片方を丁寧に取り出して紙を開けた。私の本が並んでいた。一冊を手にとり、胸に抱きしめた。そして云った。「できたよ俺、ホラ、本ができたよ」(注:私はHiroshiのことを「俺」と呼んでいた)真新しい一冊めの本を私はHiroshiの仏壇に供えた。

書店に並ぶのは十月一日からの予定であった。文芸社との契約では、申し込み後半年で完成・陳列という流れであった。三月の申し込みは本来なら九月に陳列される。だが、暑さが残る九月ではなく、十月を私が希望し、一ヶ月遅らせてもらったのだ。

さっそく知人や恩人に本を差し上げたり、十月からの販売に向けて協力者と連絡を取り合ったりした。しかし大半の時間を私はウットリとしていたように思う。そんな九月の末、地元の書店のいくつかに、私の本が平積みされていることを知った。文芸社の地区担当者が交渉をして実現したのだった。私は舞い上がった。

十月一日。「水無月の会」主催の出版記念会が、マルビル内の大阪第一ホテルで開催された。例会としては2回めの集いである「安孫子良『透けてゆく人』出版記念会」のタレ幕も気恥ずかしく、お忙しいなか造っていただいた幹事のあまのんさんには感謝の気持ちでいっぱいである。参加された皆さんとは、ブッフェ形式の食事をしながら和やかに親交を深めた。そして、まずは500部突破、そして1000部を完売し、できれば重版に持ち込みたい旨を訴え、ご協力を願って閉会となった。

この日からは全国の提携書店300店余りに私の本が並んでいるはずだ。送られてきた書店名と所在地のリストはHPに掲載してある。地元と近隣の書店数店には、協力店として私の本を並べているとのこと。それはぜひ見に行かなければと思い、さっそく足を運んでみることにした。まずはいつもよく行くミナ書房。なんと平積み&面陳列で計七冊である。次に天牛堺書店河内長野店へ行くと、ここでは面陳列で5冊。正屋書店は5冊、爽智堂は3冊を平積みであった。トークですでにご承知のように、私はさらに舞い上がった。

十月三日。さらにさらに嬉しいことに、長年住み、仕事をしていた堺市泉北地区では紀伊國屋書店が、店のいちばん目立つ所で面陳列。かなり売れていることが解った。これは嬉しい。あの、足しげく通った店で、この待遇を受けるとは夢にも思わず、舞い上がるどころか信じがたく、拙著を目の前にしたとたん、即座にその場を立ち去ってしまった。(HPに掲載した写真は私が撮ったものではない)生徒や知人にDM(ダイレクトメール)を多少は出しておいたが、“センセイ健在”を認識し、嬉しいことであった。

十月六日。地元の書店に御礼を兼ねて挨拶に伺った。家に帰ると文芸社よりメールが届いていた。「透けてゆく人」が社団法人日本図書館協会より「選定図書」に選ばれたとのこと。メールだけでは「ふうん」であったが、九日にリストが送られてきて驚いた。小池真理子、伊集院静、玄侑宗久、大道珠貴、長野まゆみ等々。高名な作家、しかも売れている作家たちに混じり、シロウトである私の名前と作品名がある。これには舞い上がるというよりも「いいのかな」や「なんで私が…」であった。しかし嬉しいことではある。全国津々浦々の図書館に「透けてゆく人」が行き渡ることが可能なのだ。まるで夢のようである。

十月十日。毎日新聞にチョロリと広告が載った。これは契約時の料金に含まれている。こんなのを見ても私なら買わないなぁという程度のものであった。(文芸社の皆サン、ごめんなさい)広告のオプションは望まなかったので、新聞での掲載はこれで終りである。しかし、Web書店では“アマゾン”のレビューに書き込んでいただいていたり、“セブン&ワイ”の文芸社の所では、オススメの11冊の中にあり、瓜谷社長じきじきのレビューが書かれてある。(なんだ、オプションを申し込まなくてもやってくれるんだ)

十月十六日。神戸山手学園の同窓会があった。幹事が「ひとり言」bP4でおなじみの旧友Dであったので、文化的活動を応援するという理解を得て、本を持ち込んで売らせてもらった。昨夏の不幸も含め、出席の先生方や同級生の同情とエールを一身に受け、本は売れた。なぜか皆、「サインして」と云う。なんで同級生のサインなんか要るんだろ、Book offに売れなくなるよ、有名にならなかったらゴメンなどとブツブツ云いながら、それでも嬉しさをかくしきれずにニコニコし、私はひたすらサインをしたのであった。

このように、私の人生でこれまでにない精神の高揚と行動力で、今月を過してきた。けれどもやがて下旬である。提携書店は一ヶ月で返本するところもあるそうだ。その時期がまもなくやってくる。だが、協力書店は売れればいつまでも置いてくれるようである。また、図書館には新刊購入希望があれば確実に入る。来年の一月には虎井まさ衛氏の応援により「FTM日本」にチラシが挟まれる。文芸社では、チラシの文句を変えて「性同一性障害」を前面に出しての販促に積極的である。かれらは売るためにあの手この手を企てるのが仕事である。昨今、話題になることが多い性同一性障害と、これもブームの純愛をからめて時流に乗れば、「もしや」ということであろうか。

ところが作者の私は販促活動にくたびれてしまい、読んだり書いたりの静かな生活が恋しくなってきている。本人としては、するだけのことはした。あとはリュウと奈緒子が自力でどれだけ航海できるかである。願わくば、長く穏やかな航海をして、停泊するさまざまな港で、人びとの心にふれてくれれば嬉しいことである。初稿の文字入力をしてくれたHiroshiとともに、私はそれを願っている。

2005年10月21日 

         
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