追悼クロJr.(その1)−右近庵での日々−

クロJr.の姿を初めて見たのは2003年の秋であったと記憶する。ちょうど二年前のことである。その辺のいきさつは「水無月右近のひとり言」に詳しい。

クロJr.(以下クロと呼ぶ)は、かつてこのあたりを治めていた“ボスクロ”の息子であると推定される。ボスクロは2001年頃にフラリと現れ、はるかちゃんの夫として居すわった。その頃、はるかちゃんはまだ外猫であったため、2匹で物置きの上に棲みつき、仲の良い夫婦として過していた。翌2002年夏、はるかちゃんは“じいじい”を含む4匹の仔猫を庭で産んだ。Hiroshiの諸問題で私は悩み、その頃は鬱々とした日々を過していたので、仔猫の誕生や子育ての手伝いは明るくなる出来事であった。

母親になったはるかちゃんは、その秋から室内への自由な出入りを許された。パパさんのボスクロにも冬には許可がおりた。これによって長老ダッコは2階から降りて来なくなり、彼女にとっては不遇の時が以後しばらく続くことになった。この後、ボスクロは成長してきた“じいじい”をこっぴどくやっつけたり、ダッコを「長」の座から下ろそうと、この2匹をいためつける。Hiroshiと私はボスクロの横暴ぶりにほとほと手を焼き、やむなく追放に踏み切ったのであった。(「水無月右近のひとり言」Vol.2 No.49

出入りを始めていたトラ吉は、これ幸いとばかりに入り込み、新ボスとしての地位と、ボスクロの2匹めの妻であるトラ子を手に入れたのである。ボスクロは右近庵だけでなく近辺を治めるボスであり、トラ子ばかりか方々に遠征しては種の保存に励み続け、そこここに妻が居て子孫を多く遺したようであった。クロもその1匹であろう。ボスクロ追放後しばらく経った2003年10月頃、トラ吉が小さな黒ネコをいじめているのを庭の隅で見つけた。それが私とクロとの出会いであった。説明が少しばかり長くなったが、そういうことなのである。

それからは姿を見せず、どうしているのだろうかと案じていた。トラ吉を追っ払って逃がしてやって以後、どこにいたのか現れず、やがて冬が来て12月に久しぶりにやって来た。その頃のクロのことは「水無月右近のひとり言」Vol.3 No.69 に詳しい。この文を書いた2004年3月には、クロは庭から室内に入ってエサを食べ始めたようである。文末に掲載のクロの写真は、Hiroshiが撮った。私たちはクロが人間に徐々に心を開いていることが嬉しかった。その写真からはよく太って見え、おいしそうにドライフードを食べている。(Hiroshiは5ヶ月後の八月に急逝する)

生粋の“ノラ”であるクロは人間に対する警戒心が強く、初めは決して私のそばに来なかった。エサは欲しいが距離を置いてじっと見ていた。投げてやると大いそぎで走り寄ってくわえ、他のネコや人間からの安全圏まで運ぶのであった。落ち着いて食べればよいのに、ノラの悲しい習性であろうか、そのエサを横どりする他のネコが周りに居ないか確認し、呑み込むように急いで食べるのだ。そして食べたものを吐き戻してはまた口にするのが常であった。

Hiroshiが居た頃、彼が庭仕事をしているとき、たいていクロは芝生の上に寝そべっていた。腹ちがいだが“お兄ちゃん”であるじいじいが大好きで、いつもそばに居たがり、じいじいが日なたぼっこをしていると、目を細めて太陽の光を受けていた。じいじいが眠ると、丸くなってクロも1メートルほどのところで眠った。けれども、じいじいが大人になって庭だけでは飽き足らなくなり、裏の田畑や山など遠くまで遊びに行ったり、狩りをしたりと出て行くことが多くなった。そのためクロは芝生でひとりで過す時間が長くなった。じいじいが庭に帰ってくると、「ハオッ、ハオッ」とハスキーな声で鳴いてあとをつけて喜んだ。じいじいだけがクロをいじめない猫なのであった。

ボスクロ追放後、すぐにトラ子はトラ吉の正妻になった。庭に棲むクロはトラ子とはエサの争奪戦を、いきなり現れては暴力をふるうトラ吉からは執拗なイジメを余儀なくされた。そのため、芝生で気持ちよく寛いでいても、毎日それなりの苦労はあった。もちろん私は病弱なクロに優先的にエサを与え、「ギャッ!」というイジめられる声を聞くと、裸足で庭へ飛び出してトラ吉を追っ払った。そんな私を信頼し、クロは信愛の情を示してくれるようになった。

昨年末、寒さが心配なので、屋根があって雨風がしのげる場所にステキな家をKが造り、クロはそこに棲んだ。気に入るだろうかと見に行くと、ちゃんと入って目をクルクルさせて中に収まっていた。その家もトラ吉一家に占拠されてしまったりと、苦労は絶えなかった。今年の冬はもっと暖かい家をと考えはじめていたところである。気候の良い時には芝生の上が断然お気に入りであった。うちの猫たちが遊びや狩りに忙しい春にも、クロはいつも庭のどこかに居た。出かけるには体力がなく、ケンカも弱いので、庭に居るのが安心できることであったのである。花や野菜に水をやりながら、私はクロに話しかける。「私たちは仲間だなぁ。おまえもここが一番好きなのか。私もそうなんだ。ここが落ち着くんだよな」。私はクロに親近感を覚えていた。右近庵の庭。ここが自分の居場所である。どちらもそう思っているのであった。

そんなクロに、ただ一度だけ神は恋をお与えになった。今春、トラ子がクロを誘惑したのだ。いつもは意地悪く接していたトラ子が、クロに嬌態を呈しているのである。ころんころんと転がって媚態を演じ、シナをつくられてはクロもたまらない。いつものかすれ声も浮わつき、トラ子のあとを「ハォーン、ハォーン」と庭じゅうを追いかけていたことがあった。それはまるで自分でもワケがわからなくなっているようにも見えた。三日間ほど2匹は蜜月を過したようだが、結局トラ子は色気より食い気とばかり、じきに恋から醒めて元の“食べ物争奪関係”に戻ってしまい、クロを威嚇しては食べ物を横取りしていた。

トラ子は大きなお腹になった。それは初めてのことではなかった。前にも自分と同じ茶トラの仔猫を2匹連れてきて、トラ吉とともに4匹のトラ猫が一家で団らんを楽しんでいるのを見たことがある。この度もお腹はへこみ、無事に産んだらしいと思われたが、エサをたらふく食べてはすぐ居なくなり、どこかで隠れて子育てをしているのであった。八月の半ば、やっとトラ子は仔猫たちを連れてきた。1匹は茶トラ、別のは、はるかちゃんと同じくサビ色と呼ばれるまだら猫であった。「可愛いっ!」と思わず叫んでしまったくらい、小さな2匹の生き物は愛くるしかった。

複数で生まれる仔猫たちの父親というのは、1匹なのか複数なのか解らないが、サビ柄の女の子の方は(私はひと目で雌雄が判別できる)黒色が出ている。体全体の地肌には茶トラの縞が見えているのはトラ吉の遺伝であろうが、ところどころの黒い色はクロを思わせる。決定的なことは顔の半分を分けるように黒い模様が入り、それはまるで“太陽の塔”みたいであることだった。そこに出ている黒い色は絶対にクロの遺伝子だと思われる。もしそうであれば、クロは病弱であったけれど、立派に子孫をこの世に遺したことになる。

あっぱれクロ、でかしたぞクロ。トラ子の子どもたちを初めて見た時、なんだか私は嬉しくなり、心からクロを祝福したい気持ちになったのだった。

                    (続く)

2005年9月21日 

         
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