追悼クロJr.(その2)−往く前に−

クロの異変に気づいたのは九月の初め頃であった。エサを催促するために、一日に何度も網戸を引っ掻いていた音の回数が減っている。それに夜中には全く来なくなった。昼間も芝生に居ないことが多くなり、ドライフードを食べなくなった。みるみる体は痩せてきた。

あれだけ大好きであったアジやイワシも食べきれないのか残してしまう。缶詰めのキャットフードも与えた分量の半分ほどを残している。これはただごとではない。そばへ寄ると逃げていたのが、逃げる元気もないのか、警戒しなくなっている。それほど弱っているクロを動物病院に連れて行くことは難なくできた。

果してクロは重症であった。腹部に腫瘍があるらしい。血液検査の結果では、白血病とエイズにも感染していた。獣医師の云うには手術をして腫瘍を切除しても、二つの大きな感染症を持っている限り、予後は非常に厳しいものであろうということであった。体を楽にするために点滴の処置ならできるとも付け加えた。それは延命治療のことなのか、あるいは安楽死であろうか。いずれにしてもその選択をしなかった。それはクロも望むところではないであろう。

それからは、家の中への出入りを自由にさせた。他の猫たちへの影響は気になったが、外へ置いておくのは忍びなかった。だ液や排泄物から感染するということであるから、その点に気を配ればいいのだ。しかしクロは素早く家へ入り込み、老猫ダッコのエサを食べていたことがある。じいじいと庭でじゃれあって遊んだこともある。ノラ仲間のトラ子とは、毎日エサの奪い合いをし、トラ吉にはこっぴどくやっつけられてきた。今になって感染を恐れても「時すでに遅し」かもしれないのだ。また、陽性であったとしても、必ずしも発病するとは限らないわけであるから、他の猫たちの先のことを案じても仕方がない。

それよりもクロである。クロのホスピスケアを一番に考えてやりたい。家の中へ入れてやったが、元気な頃のスキあらばダッコのエサ場へとか、二階を探検というクロではない。キッチンマットの上で弱々しく寝ているだけであった。アジやイワシを与えても少ししか食べない。人肌くらいに温めた牛乳も飲むが残す。ダッコ専用の缶詰キャットフードは最高のご馳走であったというのに食べない。それならレバーはどうかと買ってきて与えると喜んで食べた。生でも食べたが、呑み込みにくそうなので温めて冷ますと、それも少し食べた。よし、毎日レバーを買ってこよう、と喜んだが、次の日からはそれも口にしなくなった。

そんなクロは水だけはたくさん飲んだ。飲んで大量に排泄した。キッチンマットの上や台所のあちこちでするので、夜だけはケージに入れた。それを嫌がったけれど、抵抗しないほどにクロは弱っていた。家の中へ素早く入り込み、私と追いかけごっこをしたクロが、逃げることも逆らうこともしなくなっているのが哀しかった。ケージの中でただ眠るクロを、私のそばで死なせてやりたいと思って見つめていた。

9月18日の朝、ケージの中が大量の尿で汚れていた。レバーやアジも、ほとんど食べずに残っている。中の紙を取り替えようとしてクロを一旦軒先へ出した。家の中へ入りたければしぐさで解るのだが、クロは朝日を浴びて庭の方を向いてじっとしていた。その前日は自分から庭へ出て行き、一日どこかで過ごしたようであった。そして夕方に戻ってきた。外で過ごすのが好きなら昼間はそうさせてやろう。すべてはクロの意思のままにさせてやりたかった。

私が眠っている数時間くらいは大丈夫であろう。そう思って私は床に就いた。目覚めると正午であった。残暑が厳しい日であった。「クロはどうした」と庭へ駆け出て探したが、クロの姿が見えない。しまった。出さなければよかったと、ひどく私は後悔した。庭や家の廻りも探したが見つからない。もしや死期を悟って出て行ったのでは…。そう思うと悲しくてたまらず、朝に軒先のコンクリートの石段に出したことを悔やんだ。夕方になっても、夜になっても、クロは戻ってこなかった。私は自分を責めてボロボロ泣いた。

深夜になってもクロは帰って来ない。やっぱり死場所を求めて右近庵を後にしたのだ。何度も庭をのぞき、クロ、クロと呼び続けた。何の反応も返ってこない。と、その時、裏山の方で動物が咳込む声がした。クロだ。私は懐中電灯を手にし、裏の土手を駆け降り、けもの道を走り、山の斜面を滑り降りた。その声は山の向こうから聞こえてくるものだった。クロにはそこまで行く元気はない。結局クロの声ではなかったと、トボトボと夜中の山道を歩いていた。Hiroshiと何度、こんなふうに猫を探したろう。彼は猫のことでも最も頼れる人であったのだ。

憔悴しきって居間に座り込んでいた私の耳に、クロが咳込む声が聞こえたのは午前三時をまわった頃だった。裸足で飛び出し、「クロッ」と叫んだ。クロは洗面器に汲んでおいた水を飲んでいた。私は歓喜してクロを抱き上げ、家の中へ連れ帰った。どこへ行っていたのだとか、何か食べたいかと話しかける私に、それよりボクは休みたいというふうに見えたので、寝床を作ってそこへ置いてやった。ケージは洗って干していたので、大きなダンボールの箱が、その夜のクロの寝床になった。

クロはもう、何を与えても食べなかった。水だけを口にした。咳込む回数が減り、出るのは洟と涎であった。それを拭いてやり、頭やノドを撫でると嬉しそうに目を閉じて、されるままになっていた。なんで今まで抱っこさせてくれなかったんだ、今頃になってかい…。クロはその夜、右近庵に泊まった。私は朝までゴソゴソ起きていたが、クロが気になり、時どき箱をのぞきに行っては声をかけた。クロは固く目を閉じていた。私も少しだけ眠ることにした。

朝になると驚いたことにクロが箱から出ていた。箱の高さは50cmほどはあった。あの衰弱ぶりで、どうして跳べたのかと不思議だった。何も食べていないのに、クロは前の日より元気に見えた。庭から朝日が射している。もう私はクロの自由を束縛しないでおこうと決めた。出て行きたければ出て行けばいい。もしかしたら今日一日。そう思われたクロの貴重なこの世の時間を、クロの意思を尊重しようと考えたのだ。

クロはおもむろに庭へ出た。しばらく芝生で丸くなっていたが、日射しが強くなったので生垣の蔭になる所へ移動した。そこにはトラ子親子がくつろいでいた。そのそばに腰を下ろし、クロは一夜だけ契った女と、我が子の姿を目を細めて見つめていた。涼しい風がクロに吹いた。クロはまるで黒豹のようであった。病弱で喧嘩の弱いクロでなく、父親であるボスクロの風格と優しさを溢れさせ、威風堂々とした黒猫であった。

それから姿が見えなくなって心配したが、私の覚悟はできていた。出て行くなら行けばいい。もう止めない。邪魔しない。おまえの好きにすればいい。そう思っていたのだ。すると午後になってクロは裏の土手から戻って来て、また芝生の上に居た。私のところまで近づくと、洗面器の水を飲んだ。私は寝そべり、クロと同じ高さで顔を突き合わせて「おいしいか」と訊ねた。クロは何も云わなかった。入れ替えたばかりの河内長野のおいしい水を、心ゆくまでクロは飲んだ。

クロも覚悟を決めていた。往く前に、右近庵も見納めと、最後の力を振りしぼって家の廻りを歩いてきたのだ。

                    (続く)

2005年9月30日 

         
前の日常 次の日常

右近的 INDEXへ