追悼クロJr.(その3)−クロの最期−

おいしそうに水を飲んだクロは、おもむろに生垣の方へと歩いていった。生垣の根元のあたりの土の上は、いつもクロが居た所だ。そこを死場所と決めたのだ。

のぞき込んだり、引っ張り出して家の中へ連れていくことはクロの望むところではないであろう。自分で決めた場所で息を引き取らせてやるべきである。私はそう考え、遠まきにそのあたりを見守っていた。咳込む声もなく、鳴き声もせず、クロは静かに「その時」を待っていたのだろう。あんなに家の中へ入りたがったクロは、ノラの自尊、野性の誇りから、人工的な場ではなく、人間のそばでなく、草の香りがする土の上を選んだのだった。

私もクロも覚悟はすでに決まっていた。ここで死ぬぞ、そこで死なせてやるぞ、であった。とは云うものの、庭のその一角が気になって仕方がない。畑仕事をしていたKも、「ゴーヤの横あたりに居るみたい」と云うものの、触ろうとしない。クロが居る生垣の根元のあたりは、雑草が茂ってよく見えないが、そこはまるで御廟(ごびょう)のように神聖な空気が漂っているようであった。

台所で家事をしながら、私の意識はクロから離れることがない。流し台の前に立つと庭が見渡せ、私とクロの居る直線距離は、ほんの3mほどであった。ガラス戸越しに、何度もそのあたりに視線をやっては気が気でなかった。やがて夕方になり、冷えてきた。地面に寝ているクロの体も冷えていることだろう。それでも私はクロを引きずり出して家へ入れようとは思わなかった。クロの死にたい場所で死なせてやるのがいいのだと考えた。

とっぷりと夜が更けた。クロはそこに居るのだろうか。もしかしたら居なくなっているのではないか。あるいはもう……。私は居ても立ってもいられなくなり、真っ暗な庭へ出た。ゴーヤや雑草やらが生い茂ったあたりに四つん這いになり、生垣の根元あたりに首を突っ込み、「クロ、クロ」と名前を呼んだ。クロは、水面に浮かぶ水鳥のように体を地面に着けていた。それは芝生で日向ぼっこをする時と同じ体勢であった。一つだけ異なる点は、クロにはすでに首をもたげる力がなく、顎を地面につけていたことであった。

もう死んでいる。クロは目を閉じ、名前呼び、頭やノドを撫でても何の反応も示さなかった。私は名前を呼びつづけた。あちこち蚊に刺されながら、私も地面に腹這いであった。もう死んだのだ。そう思った私は、そのことをKに電話で伝えるために家に入った。それからクロの所へ戻ると、クロは先ほどと違った姿で横たわっていた。四肢を伸ばして横向きになり、カッと目を見ひらいて死んでいた。

さっきはまだ生きていたのだ。私が名を呼び続けた声は聞こえており、撫でる私の指の感触やぬくもりも伝わっていたのだ。私を待ってクロは旅立っていったのだ。私に最期の別れをするまで、クロは死なずに待っていたのだ。クロ、クロ、クロ。私はまだ呼びつづけた。九月十九日、午後九時三十分、クロJr.永眠。昨年のこの日は、奇しくもHiroshiの四十九日の日であった。

クロの亡骸を両腕に抱き、家の中に連れてきた。タオルを絞り、顔や体を拭いてやった。目を閉じさせてやり、頑張ったねと云ってやった。クロは安らかな顔をして眠っていた。ふとHiroshiのことを思っていた。彼も安らかな顔をしていたっけ。すべての苦しみから解放されて子どものように眠っていたっけ。クロはHiroshiの居る同じ所へ永遠の旅に出た。私は泣いた。Hiroshiの時には泣くことができなかったというのに、目が腫れるほど私は泣いた。

ちょうどよい大きさの箱にクロを納め、線香や花も入れた。黒い毛には花の色が鮮やかだった。好きだったキャットフードもそばに置いた。それから線香に火をつけ、般若心経を詠んだ。その日はクロの通夜だった。夜が明けるまで、何度も私はクロの顔をみるために箱の蓋を開け、硬くなり始めた体を撫でた。Hiroshiのことを思っていた。何度もお棺の蓋を開け、冷たい頬を撫でていた。クロにも同じことを私はしていた。

翌日、残暑が厳しい午後、庭の裏手にある土手に、大きな穴を掘った。もう一度、クロに手を合わせて穴の底にクロを寝かせた。顔の部分には花を置き、そっと土をかぶせて埋めた。そこは猫たちが裏の野原に遊びに行くのに通る場所であった。大好きなお兄ちゃん“じいじい”も毎日通る。欅の切り株に座っていたり、トラ吉と喧嘩をしたりもする。仲間たちのそんな光景を、クロはこれからも見ることができる。

クロが居なくなってしばらくは、庭にまだ居るような気がした。買物から帰ると、「ハォー、ハォー」と鳴いてアジをねだる声が聞こえてきそうだった。Hiroshiが居なくなってすぐ、ちょうど同じような感覚だった。庭仕事をしているような、今にも玄関から「ただいま」と帰ってきそうな気がして辛かった。「ひとり言」No.69に掲載しているクロを写したHiroshiが五ヶ月後に他界し、鬱々として暮していた日々に、クロは私を慰めていた。あの写真から一年半後にクロもHiroshiのもとへ旅立った。

例によって送ったあとは後悔である。もっとアジをやれば良かった。家猫と差をつけ過ぎていた。家をトラ吉一家に乗っ取られたあと、すぐ新しく造ってやれば良かった。もっと早く病院へ連れて行けば良かった、等々。後悔は尽きない。周りの者はそんな私を慰める。右近庵へ辿り着かなければ、もっと早く逝っていた。おなか一杯になって日向ぼっこをするクロは幸せだった。お兄ちゃんのじいじいと遊ぶのも楽しかった、等々。

クロはHiroshiに写真を写してもらい、彼が逝って嘆き悲しむ私のそばにずっと居た。のべ二年ほど出入りをしていたクロは、生涯の大部分を右近庵の庭で過した。飼猫の方が居ないことが多く、クロはいつも庭に居た。私のそばに寄り添うように、適度の距離を保ちながら、どこへも行かず庭に居た。どこへも行かない私は、その姿に目を細めた。そしてクロは旅立った。もうあなたは元気になってきましたね、ボクは任務を遂行しましたよ、とでも云うように。

ボスクロを追放したことの呵責から、クロJr.が居ついた時には立派に育ててやろうと思ったものだ。ボスクロに似ず病弱で臆病な猫であったが、それだからこそ私はよけい愛着を感じて可愛がった。ハスキーな声で鳴くクロを、森クンと呼んだり、クロイチ君と呼んだりもした。週に一度のアジの買出しの日を知っており、車の音がしただけでハォハォと鳴き、アジやイワシを見ると、ボスクロと同じように目をきらきら輝かせた。

短い生涯ではあったが、右近庵へ来て幸せであったと思いたい。死期を悟ってどこへも行かず、いつも居た生垣を死場所に選んでくれてありがとう。私のそばで死んでくれてありがとう。私の最も辛い時期に、庭から慰めてくれてありがとう。あの音は、もう聞くことができなくなった。書いている時、夜中にバリッバリッと網戸を引っ掻く音が懐しい。

クロよ、安らかに。Hiroshiに可愛がってもらうといい。私と同じく彼も無類の猫好きだから、うんと遊んでくれると思う。おまえもHiroshiを遊んでやってくれることを願っている。

                     (完)



2005年8月4日撮影

2005年10月7日 

         
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