楽しかった初「例会」

「水無月の会」主催の例会があった。水無月右近にちなんで六月に行われた記念すべき初めての例会である。どうせ雨だろうと思っていたが、当日は梅雨のさなかにもかかわらず晴れていた。久しぶりの正装に身の引き締まる思いがし、いそいそと家を出た。考えてみれば、ずいぶん長い間TV(トランスヴェスタイト=異性装)欲を満たしてやっていなかった。一張羅のスーツにネクタイは、やはり心地よい。背筋も伸びて自信がみなぎる。自分のために、たまにはこの格好をしてやらなければと思ったようなことである。

会場の新阪急ホテル内 REED さんには「水無月の会」管理人さん兼この日の幹事さんの“あまのん”さんがすでに着いておられた。私の姿に少しばかり驚かれた様子であった。(何度も右近庵でお会いしているというのに)照明を落とした貸切りの部屋は適度に暗くてなかなかよい雰囲気である。まぶしくなくて私にはちょうどよい。ほどなくして参加者の皆さんが到着しはじめた。東北や関東からはるばるお越しくださった方々もおられ、私のために駆けつけてくださったのだと思うと、感慨深いものがあった。やがて開始時刻になり、例会が始まった。

まずは“あまのん”さんの音頭で乾杯がおこなわれた。飲みながら食べながら、簡単な自己紹介でもということになった。さすが皆さん大人である。どなたも臆することなく、サイトへ辿り着いた時期や好きなページなどを語っていただいた。私はといえば空腹のため、ウンウン、どうもどうもと云いながら、ひたすら食べていた。(私はどこへ出かけるにも、その日は家ではモノがノドを通らず、出先でワンサと食べるのだ)

料理が次々に運ばれ、話もはずんで宴も佳境に入り、やおらカメラや携帯を取り出して私を激写する人、仕事のことを語り合う人、冗談も飛び交い、リラックスした様子で皆さん和やかにくつろいでおられた。しかし二時間というのはアッというまに過ぎ、一次会終了の時刻になってしまった。参加者のM氏による一本ジメで締めくくられ、めでたく一次会を終えた。当日の六月十八日はポール・マッカートニーの誕生日であることから、二次会はコピーバンドのライブを聴ける店を予約しているという幹事さんの説明に、いちばん狂喜したのは私であった。

梅田をあとにし、私たちはゾロゾロと曾根崎へ向かって歩きはじめた。土曜日とあって夜のキタは人、人、人である。雑踏は一人で歩くと寂しくなることがあるが、団体で歩くとコワいもの無しである。ついセンセイになってしまい、全員がはぐれずについてきているかと、何度か後を振り返ったりした。ほろ酔いに、湿り気のあるなま温い夜風は心地よく、一路 Live & Dinning“LONDON TOWN”へと我々は進んだのであった。

店ではすでにライブは始まっており、演奏のまっ最中であった。いちばん奥のコーナーの席を予約しておいてくださり、暗がりの中、着いた者から次々になだれ込むように座った。座った瞬間、キターッ!という感じであった。何が来たのかというと、とにかく私は Beatles というだけで、無条件に来るのである。何もかも吹っ飛び、即、入りこむのである。皆さんに申し訳ないながら、もう気くばり右近はどこかへ行ってしまうのである。お恥ずかしい話であるが、Beatles に関しては正常の域を越えている。病的である。それは自他ともに認めるところである。

この日は三つのバンドが出演することになっていたということだが、到着してすぐ二つめのバンドが終了、休憩の後、三つめのバンド演奏が始まった。このバンドのヴォーカルがとてもいい。ルックスは全く似ていないが、歌い方や声までもがポールにそっくりなのである。 Beatles 時代のポールのソロや Wings の曲が次々に演奏され、私もビールを飲みながらノリノリ、参加者の皆さんも適度にノリノリであった。Fool On The Hill、When I'm Sixty-four、Hey, Jude、Sgt. Pepper's、Jet、Band On The Run、Ebony & Ivory、Birthday などなど。最高にゴキゲンになってしまった。

けれども楽しい時には終わりがかならずやってくる。演奏が終わると閉店時間が近く、近畿圏組は帰宅しなければならず、終電の時刻も迫っていた。梅田までまたゾロゾロ戻り、なごり惜しくはあったけれど、皆さんと挨拶を交わして解散となった。ほんとうに楽しい夜であった。

そもそもこのような集いをと云ったのは私である。恥ずかしながらファンサイトをというお声はいくつかあったが辞退していた。分不相応と考えていたのと、あまり人と関らず、ネットでだけの右近でよいと考えていたからだ。しかし何度か発言してきたことだが、どうしても私は virtual(虚)の世界にだけ棲むことができない。どういうわけか以前よりも見てくださる人々はふえてもいる。もしもその中に reality(現実)の世界で私と会って話してみたいと思ってくださる人々がおられるなら、ぜひお会いしたいと思う気持ちが募ってきた。

けれどもフタをあけてみれば思いのほか参加者は少なかった。申し込みが来ないのだ。私はひどくガッカリした。詩や文は読んでくださるのに、会いたいとは思ってくださらないんだと少しばかり落ち込んだ。皆さんご都合が悪いんだとか、遠くて来られないんだとか、ネット族は表に出てこずコッソリ見ていたいのだとか、右近ファンは敢えて横のつながりを求めないのだとか、周りの人はいろいろとなぐさめてくれたが、「なんでかな」は消えず、私は嫌われ者なんだと少々イジけてしまった。

それでも最終的に十数名が参加してくださり、無事に例会を行うことができた。参加してくださった皆さんには深く感謝したい。また、その日はどうしても参加できず、とても残念だというメールや、私と会って話はしたいが多人数は苦手でというメールもいただいたりもした。例会と名付けたのは、今後も定着させたいと思ったからである。今回は見あわせた方々も、またの機会に参加していただければ嬉しい。

半隠遁生活をしていた私がこんなことを思いついたのは、Hiroshi の死である。彼との関りで私は多くの悔いを残した。そしてまた、人は突然この世から居なくなることがあるのだと実感させられた。私が最も残したくない悔いは、人と人との関わりにおいての悔いである。会いたい人には会っておきたい。会いたいと思ってくださる人とは会っておきたい。そんな熱い思いを抱き、これからも人々の協力を得て、参加者が多くても少なくても「水無月の会」例会は続けていきたい。

「クール・ビズ推奨」と環境相の小池百合子女史が陣頭指揮をとっておられるが、そんなもの何のその、ネクタイはTVの命である。暑かろうが茹(う)だろうが、ネクタイをきりりと締めた時の快感といったらない。私を含めて三人はネクタイ装着組であった。一方、生まれついての男性諸氏は皆Tシャツというラフなスタイルであった。私たち三人組を横目で見て「カワイイッ」などと思っていたのではないかと少しばかり気にかかる。

次回は秋、「透けてゆく人」の出版時であろうか。どれ、榊リュウに出演交渉でもしてみよう。

2005年6月24日 

         
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