リシングル一年生

リシングルという言葉があるらしい。“re”というのは、「くり返す」「ふたたび」という意味を表わす接頭語であるから“ふたたび独身”という意味であろうか。念のため辞書を引いたが見当たらない。どうやら造語のようである。9月7日付の朝日新聞でこの言葉を初めて知った。

山田行利さん(55)は、6年半前に妻を肺がんで失った。二人で営んでいた衣料品店を廃業、その後はタクシーの運転手をしながらファッションの仕事での再起を誓う。レンタルブティック開業直前までこぎつけたが、いつも妻の明るさが支えであった。その妻が他界する。「こんなはずじゃなかった」という思いが心の中に渦巻く。中高生の3人の子どもたちを支えなければならない山田氏は生活費を稼ぐために働き、家事もこなす。

彼は日々、「ご乗車ありがとうございます」と客に声をかける。見ず知らずの、境遇も分からない客たちと触れ合ううち、死別や離婚で虚しさ、焦燥感を抱えているのは自分だけではないと思い至る。そうして彼は、再び独り身になった人が集える会ができないものかと構想を練る。妻の死から1年半後の2000年夏、リシングルのサークルを発足させるのである。パソコン教室、誕生会、死別の集いなどの行事を催して親交を深めたり、似た境遇の者同士が心情を吐露しあって思いやる。

妻の死から6年半がたち、3人の子どもたちは成長した。末娘は成人式を迎え、長男は来春から社会人になる。奨学金とアルバイトで生活費を賄う姿が頼もしく映る。志望校に合格したとき、成人した時、就職が決まった時、妻がいたらどんなに喜んだろうかと感慨にひたる瞬間がある。私も同じことを感じている。娘が大学院に受かった時、私の本ができた時。Hiroshiがいたらどんなに喜んだろうかと感慨にひたり、チョッピリ悲しくなったのだ。

私はようやく1年と1ヶ月が過ぎたばかりの“リシングル1年生”である。一周忌や初盆を迎えて当時のことを思い出し、失意の日々が甦ったが、しばらくの停滞の後、私は頭を上げることができた。あきらめきれない気持ちは今でも消えないが、天命という言葉が私を少しだけあきらめさせたのだろう。それに、いくら嘆いてもHiroshiは戻らないという厳然たる事実をようやく認めたのである。

そのことを認識するのに私は1年と1ヶ月を要した。まったく頼りない状態であったのに、「もう大丈夫」と笑って答え、解るわけがないと誰にも心の中を見せずに黙して耐えた。内なる私は行きつ戻りつ、寄せては返す波のように一進一退の状態をくり返していた。立ち直った振りなどしても、すればその分、溜息も多く出た。だからといって人前で泣きわめくことができる性格ではない。私みたいな人間は自身で悲しみを消化して、自分の足で立ち上がるしかないのだった。

一周忌前後から、私は積極的に人と関わろうとするようになった。銀河詩手帖からの原稿依頼に応え、学生時代の仲間と旧交を温めた。8月末には本ができた。差し上げたい人への郵送を始めた。9月になり、長女宅の猫係りを引き受けた。次女がインドへ発つのを見送った。HPではブログを加えた。遍路に出かける準備もしている。来月は出版記念会や、同窓会もある。出て行かなければ何も得られず同じ所で停滞する。人と接しなければ自分ひとりで精神は低迷する。Hiroshiがいれば誰もいらないと思っていた私であったが、今いろいろな人びとが力を与えてくれるのが解るのだ。やっと穴蔵から這い出てきた私を皆が歓迎してくれる。

自分が背負った不幸を少しでも緩和させようと、さまざまな角度からHiroshiの死を捉えて自分なりに納得しようとしたことがあった。その一つに宇宙的解釈というのがある。それは、太陽や月や地球、その他の惑星の歴史に較べれば、人間の一生なんて微々たる長さだという見方だ。おなじく人類の歴史や日本史、世界史から考えると、10年や20年予定より早くなったとて、そんなものは如何に短い期間であるかという発想である。遅かれ早かれ人は皆、死ぬのである。長いも短いも、早いも遅いも、宇宙的・歴史的レベルで考えれば、たいした差はなく天命によって人は死んでゆくのである。そう考えようとしたのだ。

かくして私は現在の境遇を受け容れ、リシングル生活に積極的に馴染もうと考え始めたのである。否、同じやるなら楽しまにゃ損、損とばかり、大いに楽しんでやろうとさえ思っている。(リ)シングルならではの楽しみは、見渡せば結構あるのだ。山田氏のように同じ境遇の人たちと集うのもよし、“家庭”に縛られることなく出歩くのもよし、もちろん飲み歩くもよしである。作りおきのお好焼を解凍して食べながらの行儀悪い読書もよし、一心不乱に書くのもよしなのである。リシングルライフは満更でもない。

「人は一人で生まれ、伴侶を得てもいつかどちらか独りになる。『今』と『今から』を大切に」と山田氏は云う。そのとおりである。伴侶と二人そろって他界できる確率は極めて低い。逝く人と送る人。伴侶を得た以上、いつかはこの残酷な分類に潔く従わなければならないのだ。Hiroshiが居ないことなど考えたことも無かった私にも、天からの命令は容赦なく下されたわけである。ならばそれに従うしかない。

若葉マークをつけてリシングルの道を走り始めた私のハンドルさばきは危っかしい。外の景色を楽しむ余裕はまだない。独り旅も悪くはないと少しだけ思えた夜、はや虫たちが賑やかに鳴き、秋の気配がした。

その記事の題にはこう書かれていた。
「また少しずつ人生は晴れていく」
そうだといい。そうなればいい。秋晴れになるといい。

2005年9月9日 

         
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