自費出版うらおもて(その1)

 〔“共同出版”とは“自費出版”〕

昨秋、私は念願の本を刊行するに至った。
ちょっと待っていただきたい。またその話かと思わないでいただきたい。今まで語らなかった(語れなかった)面白いことを、セキララに語るつもりであるから、ヘェー、ホォ−、そーだったんだァと聴いていただけると確信している。私のように、いつか本を出してみたいと思っている人、野次馬的に興味のある人、どなたにも聞いておいて損のない話である。但し、私の経験からの話であり、私自身の見解であると念を押しておきたい。

このようなことを語ろうと思ったきっかけは、空前の自費出版ブームに首をかしげたくなっているからである。先日、朝日新聞の記事を読んで驚いた。2004年の新刊書籍発行点数の1位は最大手の「講談社」で2191点、2位はなんとシロウトの自費出版で大きくなった「新風舎」の1847点だそうである。中学生から高齢の方々まで、内容も絵本、実用書、ドキュメンタリー、半生記、闘病記、ミステリー、小説、エッセイとさまざまである。「新風舎」の社長は「2005年は2700点を出版、講談社を超えたはず」と話したという。しかし、巷につまらない本もふえたといえど、プロを相手とシロウト相手、レベルも異なる出版物を数で競うことに意味があるのかどうか。

「新風舎」のほか「碧天社」、そして私が関わった「文芸社」などの出版社を記事では「実は、自らは『共同出版』と呼ぶ、新しい自費出版を手がける新興の出版社なのだ」とし、それらを『新・自費出版』をてがける会社と云いきる。また、その記事のタイトルに「自分さがし」のためとあり、サブタイトルに「総クリエーター時代」とある。その類の出版社で本を出すのは自分さがしであったのか。(いったいぜんたい「自分さがし」って何だ。意味不明の言葉である)しかも本を出したい人の大部分が、今まで本や読書と無縁の人たちであると書かれてある。Oh,no!

ご承知のように、私が本を出したのは文芸社である。したがって、この出版社のやり方について、ありのままの事実を述べ、自費出版の仕組みについて説明し、客としての不満もついでにお聞かせするとしよう。

2005年3月、大阪梅田での出版相談会に私は出向いた。Hiroshiの死後半年ほどの時であり、私はまだ頼りなく、大阪の中心地へ出かけることは一大決心であった。予約の時間にまにあうよう家を出て、予定通りにそのビルに着いた。案内されて中へ入ると、今ふうのヒゲをたくわえた三十代半ばくらいのY氏が居て、彼が私の担当であった。人あたりのよさそうな彼の第一印象は、それほど悪いものではなかった。

Y氏はすでに私のホームページに目を通し、「透けてゆく人」と詩集を読んでいた。そして感想および講評を用意してあった。もちろん誉め言葉が並んでいた。誉められて怒る者はない。彼が云うに、特に小説の方は感動的で、ぜひこちらから本にということであった。また彼は性同一性障害の記録フィルム撮影に関わったことがあると云い、本の内容に大いに共感を示してくれた。営業モードであるとわかっていても、それらは嬉しいことであった。文芸社での出版の形は1.企画出版 2.協力出版(共同出版) 3.自費出版 の三つであった。1.は売れると見込んだものを全額文芸社もちで出版、2.は読んで字のごとく著者との共同での出版(宣伝費を文芸社がもつという意味なのだそうである。が、後に語るがソレがクセモノなのである)、3.は全額自己負担で本をつくり、流通にも乗らないものだと言う説明であった。(嗚呼、悲しき哉、コレでと判断された書き手たち!それなら何もココで出版しなくても・・)

私の原稿は2.の協力出版にあたり、その扱いは持ち込まれる原稿の2〜3割しかない名誉なことなのだとY氏はのたまい、こちらの気持ちをくすぐった。殆どの人々にそう云っているのだろうとは後でわかったことであるが、その時は彼の言葉に気をよくし、頬を紅潮させて帰途についた。本にすることを最も喜ぶのはHiroshiであろうと嬉しかった。数日後、Y氏からの電話で私は契約の意思を伝えた。Y氏は喜びのあまりひどく饒舌で、さらに作品を誉めた。そして後日、金額の連絡があった。それは234万円という額であった。決して小さなお金ではなかったが、すぐに私は承諾した。なにぶん初めてのこと、何の知識もなかった私は、そんなものかなと思ったのだ。支払い方法は 1.全額納入 2.二分割 3.ローン があったが、私は2番を選んだ。途中で何かのトラブルがあれば契約を解消することがあるかもしれないので、全額を先に払い込むのを控えようと思ったのだ。

Y氏はいっそう弁舌さわやかになり、また作品をベタ誉めした。このあたりから私は彼にあまりいい感情を持たなくなった。モミ手をしているのがアリアリであったからだ。そのあと、いついつまでに振り込んで欲しいと念を押し、追って契約書を送ると云って電話を切った。口述で伝えられた振込みまでの日数は、わずか数日間であった。私は即刻代金の半分にあたる117万円を振り込んだ。時は三月下旬、彼にはその月の営業成績がかかっており、必死であったようである。私のような有難い客の出現は、渡りに船であったのだ。私は悲しみを引きずってボンヤリし、私にはものの値段がよくわかっていないようなところもあり、何の疑問も感じることなく、何を尋ねていいかもわからず、スイスイと契約をしてしまったのであった。あの物語が本になる。それだけで私は充分満足だったのである。

契約後、一抹の不安を抱えながらも本づくりが始まることは嬉しく、喜びを感じた。しかしそれ以後Y氏からは何の連絡もなく、四月、五月が過ぎて六月になった。申込みから半年後には完成と聞いていたが、いつまで放置されるか心配になった。六月半ばになってやっと、以下のような簡単なスケジュールが書かれた紙が、挨拶状とともに編集担当のA氏から送られてきた。

◎編集・制作スケジュール

平成17年
 6月20日頃  印刷所に入稿
 7月15日頃  初校(著者へ、校正期間約10日)
 7月28日頃  再校(著者へ、校正期間約7日)
 8月 1日頃  この頃、表紙カバーデザイン・帯案が
         出来(著者へ)
 8月15日頃  校了・下版

<印刷・製本>
 8月25日頃  完成

*完成本を著者にお届け:平成17年8月末頃
 書店配本:平成17年10月1日より
 奥 付 日:平成17年10月15日


※契約後6ヶ月めに書店配本という流れでは、9月がそれに当たったが、1ヶ月遅らせたのは私の希望であった。

                     (つづく)

2006年1月25日 

         
前の日常 次の日常

右近的 INDEXへ