自費出版うらおもて(その3)

 〔お金を出せば新鋭作家?!〕

思わぬところから代金の内訳について聞かされていなかったことをに気づき、それを要求するとY氏は「もっと早く云って欲しかった」とよけいなことをメールに書いてよこした。そう云いたいのはこちらの方である。送られた書類には「見積書」とあったが、そんなものは契約を交す前に、まず客に提出するべきものの筈である。本ができて残金を支払う段になって、慌てて作成して渡すことじたい変な話だ。怠慢を棚に上げ、文句をこぼすなど逆ギレと同じである。それについてもクレームを云わせてもらうと、Y氏は謝罪してきた。送られてきた「見積書」の封も切らず、私は残金をすぐに入金した。

そんなことがあってからY氏からは疎んじられたのか連絡が途絶えた。ところが十月のある日、ひょっこり封筒が送られてきた。開けてみると、文芸社主催の新春ドラマスペシャルを2006年1月初旬に放映する際、本の宣伝を映像付きで数秒放映し、同時に催される全国の有名書店でのフェアに参加しないかとの勧誘であった。私の作品は参加する権利があるからぜひというのだ。しかし30名という狭い枠のため、満員になりしだい締め切るとあった。それにかかる費用については、どこにも書かれていなかった。

テレビで宣伝される! 有名書店のフェアで平積み! 本を出したものならば、その言葉に食指が動かない者はないであろう。恥ずかしながら一瞬は私も身を乗り出してしまった。だが、すぐに冷静になり「バカな」と思ったのだ。それに費用が書かれていないところを見ると、きっと“参加費”は高額であろうと思われた。そんなものと思いはしたが、気になるのが人情である。隠しているふうな価格そのものにも興味があった。そこで翌日になってY氏にメールで尋ねてみたところ、その費用とは、な、なんと、160万円ということであった。私のみっともない根性は吹っ飛び、残ったのは驚きだけであった。しかもすでに予約は満杯、出場権は即、完売されたということであった。ひやかし組の私なんぞ寄るすべもない。椅子とりゲームのごとく、怒濤の勢いでシロウト著者たちにその権利は買われたのであった。

ひゃ、160万円! アホらし。数秒間テレビで本の映像を流してもらい、揃いのピンクの帯をつけてもらって大手有名書店に数週間並べてもらうだけで160万円! アホくさい話である。それだけあれば私の本が1000冊以上も買える。そんな小っ恥ずかしいことをお金を払ってしてもらうなら、自分で買ってバラまいた方がマシである。さらにY氏は別の宣伝方法も勧めてきた。それは「朝日」と「毎日」の有力二紙に、写真付きで一回ずつ広告を出すというものであった。こちらは60万円とのことである。アホらし。それだけあれば私の本が400冊買える。自分で買って全国津々浦々の図書館に寄贈した方がずっといい。

「私は素人に徹します。本が出せただけで充分です。以後はこのようなお誘いは不要です」
このような返事をY氏に送ると、以後、お金のかかるお誘いは、私の許には来なくなった。

しかしながら驚きである。160万円と云われてポンと出す人が世の中にはたくさんいるのだ。60万円なんて安いものなのだ。これだけあればもう一冊の本が出せそうである。私の場合、出版に関する請求額230万円にこれらの宣伝費を加えたら、230+160+60で、な、なんと450万円である。アホらし。一冊の本にそんな多額を費す人が居るのであろうか。これだけのお金があれば、豪華客船で世界を旅することができるし、国産車なら二台も買える。崇高にも、どこかへ寄附をして気持ちよくもなれるのだ。

文芸社だけで前宣伝が盛り上がっていたそのドラマは、一月のとある日曜日、人があまり見ないような昼の時間帯に放映されたようだ。コマーシャルを流してもらった“160万円”の人たちは、本にハチ巻きをしてもらい、“新鋭作家フェア”に参加したのだろう。“60万円”の人たちは、大きく写した表紙の写真付きで、有力紙に一日だけ載せてもらったのだろう。それらお金を払った人たちは“新鋭作家”と祭り上げられるわけである。(照れくさくないのかな。私はまっぴら御免である。新鋭作家などでないからね)いくらでも金を絞り上げたい出版社に、いくらでも出す“著者”。シロウトの自費出版とは、誠に奇妙きてれつな世界である。

ここまで書いて、怒る気持ちが急に萎えてしまった。文芸社の“ボッタクリ商法”を糾弾するつもりで(その3)を書き始めたのであるが、怒るよりも哀しくなってしまったのだ。自由主義経済のわが国では、ものの値段をつけるのは自由であるし、需要があればこそ供給され、それが法外な値段でも取引きは成立する。本をつくるという段階で水増しの値をつけ、出来あがってからも宣伝費といって客から絞りとる出版社。“作家”とおだてられ、売れますよとノせられて、スイスイ多額のお金を出す客。正しいものの価値、お金の価値とは何だろうと考えると、明らかに狂っている素人出版の現状にゲンナリしてしまうのである。

私は生涯で一冊かもしれないという気持ちで「透けてゆく人」を出版した。それは熱い思いであった。費用のことは頭になく、とにかくあの物語を形にしたかったのだ。それはHiroshiのいちばん望んでいたことでもあったからだ。もちろん書くことは何より好きなことであり、愛しており、ものを書く人間になるのは夢のひとつであった。いつかは自分の本をというのも温めつづけた夢と云ってよい。書くことと、書いたものを本にすることへの思いは、私は人一倍強かったのである。

その夢が叶ったのであるが、自費出版の内幕は、やはり「お金」が大きくものをいう仕組みであった。だいいちに、一冊の本を出す値段というのが高すぎる。私が出版した「透けてゆく人」にかかった費用の内訳は、次の通りであった。

  費用内訳
 組  版  425,000円
 用  紙  136,014円
 製  版  226,200円
 刷  版  64,500円
 印  刷  126,000円
 P  P  30,000円
 製  本  77,000円
◎企  画 350,000円
◎デザイン 230,000円
◎編 集 費 570,000円
 小  計  2,234,714円
 消 費 税  111,736円
 合  計  2,346,450円









発行部数 1000部
(内訳)
文芸社販促用 100部
著者分 100部
流通部数 800部

よくわからないのが「企画」(35万円)である。企画も何も、私の原稿は完成済であった。案だけでも可という言葉につられ、ネタを頭の中に入れ、手ブラで行った客ではない。「デザイン」(23万円)というのも理解しがたい。(その2)で述べたように、カバーデザインは原案からタイトル文字、色に至るまで、知人夫婦の協力によりこちらで作成した。文芸社専属のデザイナーは、送られてきた画像の指示や、色番に従っただけである。(この件に関して質問をしたが、持ち込みでも同額であるとの返事であった。なぜだ。)

最も不服に思うのは編集費(57万円)である。自分では云いづらいが、これ以上は直しようがないというほど校正には心血を注ぎ、(HPでの掲載時にそれはほぼできていたが)私なりに完成度は高めてあった。したがってA氏のすることはほとんどなく、私の原稿は最も楽な仕事であったと思われる。A氏はいい人のようなので、不満をぶつけるのは心苦しい。決して安くないこの金額は、どうしてハジキ出されたかY氏に訊いてみたいものである。文を書き慣れない人の文章を校正するのと、慣れている者の文章とでは手間のかかり方が違う。したがって、かけた労力によって編集費は定められるべきではないだろうか。一律というのは腑に落ちない。(しかも、めっぽう高額なのはなぜであろうか)

私が疑問を感じる「企画」「デザイン」「編集費」の合計だけで115万円にもなるのである。さらに印刷・製本費が加算され、234万円となっているが、これらの費用に水増しがあると、ひどく怒っておられる人をサイトで見つけた。その人は編集のズサンさに怒り、訴えて契約を破棄させ、お金を取り戻しておられる。私はどうしても本が出したかったので、(それにまだボンヤリしていたので)そこまで怒るパワーが無かったが、振り返るとMさんという方の怒りは尤もだと頷ける。「編集」はマユツバである。

文芸社曰く、宣伝費は持たせてもらいますとのこと。それで協力出版なのだそうだ。その宣伝とは、たった一度、その他オーゼイで毎日新聞に文字だけ並べてもらうというものであった。別のサイトで誰かが云っている。あれだけ有力紙で頻繁に宣伝しているなんて、いかに稼いでいるかがわかると。その通りである。あれ以来、シロウトっぽい人の本が大きく宣伝されていたら考える。「いったいいくら払ったんだろう…」

 教訓。本は金なり。しかし金をかけてもシロウト本は売れないものは売れない。金をかけずに時間をかけて、人から人へ、ゆっくりと浸透してゆくのがよいのであろう。

                     (つづく)

       文芸社に関するMさんの記事数種

2006年1月30日 

         
前の日常 次の日常

右近的 INDEXへ